第9話

 


 


「美味しいっ!お母様このステーキ柔らかくて、とても美味しいわ。」


 侯爵が不在のなか始まった晩餐会に最初は不満を覚えていた。しかし、目の前に出される数々の料理を食べ進めているうちにあまりの料理の美味しさに不満はどこかに消え去っていってしまった。


「本当ね。初めて食べたわ。こんなに美味しいお料理は。」


「そうだな。流石は侯爵家の晩餐だな。いい素材を使っている。そして、その素材を最高の状態を活かすように料理人が調理しているようだ。流石は侯爵家のおかかえの料理人だな。」


 お父様もお母様も先ほどの不信感など忘れたように、舌鼓を打ちながら料理を堪能する。


「おほめにあずかり光栄でございます。」


 ヒースクリスさんも満足そうに微笑みながら返してくれる。


 というか、侯爵家での晩餐会というが、食べているのはお父様とお母様と私の3人だけである。晩餐会というか食事をしに来ただけになっているような気がする。


「あの。失礼ですが、侯爵様にはご家族がいらっしゃらないのでしょうか?」


 失礼にあたるかもしれない。でも気になったものは確認しないと気が済まない性分だ。本来であれば、事前に相手のことを調べるのが筋かもしれないけれど。


「ええ。先代の侯爵夫妻は、旦那様が16歳の時に事故でお亡くなりになりました。また、旦那様にはご兄弟もございません。」


「そうでしたか。それは失礼いたしました。」


「いいえ。構いません。侯爵家のものが誰もこの場に姿を見せないとなると不安にもなります。こちらこそ、最初に説明せずに申し訳ございませんでした。」


 ヒースクリスさんはにこやかな笑みを浮かべながら答えてくれた。失礼な質問に対しても丁寧に答えてくれるだなんて、本当にヒースクリフさんはよくできた人だ。もしかして、普段おおやけに現れない侯爵をサポートしているのもヒースクリフさんなのだろうか。


「侯爵様も大変な思いをされてきたのね。」


「そうだな。アンジェリカ。しっかりと侯爵様を支えてあげるのだよ。」


 先ほどまでは侯爵に対して不信感を持っていたと思われるお父様とお母様だが、美味しい料理と侯爵の生い立ちを聞くと、とたんに侯爵に対して同情的になった。


 娘である私が言うのもなんだけど、お父様とお母様が今まで数多の人たちに騙されるのがよくわかる。少し不審なところがあっても、すぐに相手を信じてしまうきらいがあるのだ。


 まあ、そんなことを思っている私も少しだけ侯爵の生い立ちに同情してしまったことは秘密だ。


 


 


 


☆☆☆


 


 


 


「当家の料理は楽しんでいただけましたでしょうか。」


 出てきたフルコースをデザートまで堪能してまったりとくつろいでいた私たちに、ヒースクリフさんが話しかけてきた。


 ヒースクリフさんは、話しかけるタイミングをしっかりと心得ている。


「ああ。とても美味しくいただいたよ。ありがとう。」


「ええ。美味しかったわ。最後のデザートがふわふわしてて口の中でとろけるようだったわ。まるで雲を食べているみたいでしたわ。」


「どれもこれもとても美味しいお料理でした。これで侯爵様がご一緒してくれればなおよかったことでしょう。」


「ちょっと、アンジェリカ。そういうことは言っちゃダメよ。」


 お父様もお母様も侯爵家の料理を褒めるばかりだったので、侯爵が同席しなかったことに対してチクリと言ってみる。すると、すぐにお母様に小さな声で窘められた。


「そうですね。申し訳ございませんでした。もし、よろしければこれから旦那様のところにご案内させて頂きたいと思います。いかがでしょうか。」


 ヒースクリフさんは対して気にもしていない様子で、そう告げてきた。


「しかし、侯爵様はお忙しいのだろう?私たちが会いに行っても大丈夫なのかい?」


 お父様は心配そうにヒースクリフさんに問いかける。


 ヒースクリフさんは上品な笑顔を浮かべたままで、


「問題ございません。それではご案内いたします。また、大変申し訳ございませんが、キャティエル伯爵夫人におかれましてはこちらでお待ちいただければ幸いにございます。」


 お母様を侯爵に会わせる気はないと言い切った。


 なぜ、お母様は侯爵に会わせてもらえないのだろうか。私の中にまた一つ不審の種がひょこんと芽吹いた。


 「あら、私はお留守番なのね。侯爵様にはなにか考え事でもあるのかしら?ふふっ。アンジェリカいってらっしゃい。」

「え?お母様?」


「侯爵様の言うことには従いなさい。アンジェリカ。大丈夫よ。こんなに使用人の統率がとれた家だもの。侯爵様はとても良い人だと思うわ。その侯爵様が私にはここに残るように言ったのよ。きっとなにかわけがあるのよ。だから、安心していってらっしゃい。」


お母様はそう言ってにっこりと笑った。その笑みは侯爵を信じていると言っているようにも見えた。まだ、会ったこともない侯爵を信じられるだなんて。


「さあ、アンジェリカ行こうか。侯爵様がお待ちだ。」


お父様もお母様がここで待つことには疑問をいっさい持っていないようだ。お父様もお母様と同じですっかり侯爵を信じてしまっているらしい。


「こちらへ。旦那様は執務室でお待ちです。」


「え、ええ。わかったわ。」


お父様とお母様、それにヒースクリフさんに促された私は、頷くしかなかった。




☆☆☆




「旦那様。キャティエル伯爵とアンジェリカお嬢様をお連れしました。入ってもよろしいでしょうか。」


お屋敷の二階にある執務室に案内された私たちは部屋の前で待つようにヒースクリフさんに言われた。そうして、ヒースクリフさんが執務室の中にいる侯爵におうかがいをたてている。


「…………。」


「……旦那様?」


部屋の中からは返答がない。不思議に思ったヒースクリフさんがもう一度侯爵に向かって声をかける。


「ご、ごほんっ。」


すると中から咳払いが聞こえてきた。どうやら侯爵は執務室の中にいるようだ。


「旦那様。キャティエル伯爵とアンジェリカお嬢様をつれて参りました。入ってもよろしいでしょうか。」


ヒースクリフさんは先程と同じように侯爵におうかがいをたてる。


「キャティエル伯爵だけ入るように。」


執務室の中からは無機質な声が聞こえてきた。これが、侯爵の声だろうか。どことなく甘さを含んだ低音は耳に馴染む。しかし、感情が声にこもっていないため、とこか無機質に思える。

この声で感情を乗せてささやかれたらきっと、誰でも侯爵の虜になるのに、残念。


「キャティエル伯爵。どうぞ、中にお入りください。アンジェリカお嬢様は申し訳ございませんが、しばらくここでお待ちください。」


ヒースクリフさんはそう言うとお父様を執務室の中に案内した。執務室の前に取り残された私は、手持ち無沙汰に立っているしかない。


侯爵は私も呼んだのではないの?なぜ、私はお父様と一緒に執務室の中に入ることができないのかしら。


「アンジェリカ様。こちらの椅子をお使いください。」


お父様とヒースクリフさんが執務室の中に消えると、どこからか一人のメイドが椅子を持ってやってきた。

重いだろうに私のために持ってきてくれたのだろうか。


「ありがとうございます。」


私はメイドにお礼を言って、用意してくれた椅子に腰かけた。

正直なれないヒールを履いていたためずっと座りたかったのだ。だから、メイドの気遣いにはとても助かった。


「足を気にされておりましたね。こちらは室内履きでございます。よろしければお使いください。」


そう言ってメイドはシンプルな靴を渡してきた。ヒールがないぺったんこの靴。それは、私がいつも履きなれていた靴に似ていた。


「ありがとうございます。馴れないヒールで足が痛かったの。助かったわ。」


「もったいないお言葉。恐縮にございます。」


メイドが用意してくれた靴にいそいそと履き替える。

ヒールから足を引き抜けば、足の先が真っ赤になっていた。どうやら皮が剥けかけているらしい。


「本当にありがとう。あなたみたいなメイドがいるなんて侯爵は幸せね。」


そう言ってメイドに微笑んでみたが、すでにメイドの姿は消えていた。


「あれ?どこに行ったのかしら?」


不思議に思って首を傾げる。仕事が忙しいのかしら。あとでもっとちゃんとお礼を言わなければ。ヒースクリフさんに言えばどのメイドか教えてくれるわよね?


「アンジェリカお嬢様。お待たせいたしました。申し訳ございませんが、旦那様はアンジェリカお嬢様にお会いしないともうしております。ですが、扉越しであれば会話をなさるそうです。」


しばらく椅子に座って待っていると、執務室の中からヒースクリフさんが現れてそう言った。


待たせておいて会えないとはどういうことだろうか。



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