第六章 花霞

       一


 放課後、帰る支度をしていると花咲が近寄ってきた。

「藤崎くん、今日は図書委員の会議で遅くなりそうなの。だから写真は明日でいいかな?」

「うん、じゃあ、明日」

 花咲と入れ違いに、斉藤道子が話しかけてきた。

「藤崎くん、子猫、まだ残ってる?」

「いるよ」

「じゃあ、一匹譲ってくれない?」

 斉藤ははにかんだように言った。

「いいよ」

「じゃあ、今日一緒に帰っていい?」

「いいけど」

 正直斉藤は苦手なのだが猫の貰い手は必要だ。


 紘一は斉藤と連れだって帰宅した。

 斉藤はよほど猫が欲しかったのか、はしゃいでる様子で何やら色々喋っていたが、紘一は殆ど聞いてなかった。


「あれ? あの子、確か紘一君の好きな子じゃないですか?」

 紘彬と一緒に紘一の家に向かっていた如月が言った。

 確かに紘一の家へ続く道を花咲が一人で歩いていた。

「紘一君があの子と約束してるなら遠慮した方がいいですよね?」

「でも、それならさっきメールしたときにそう返事してきただろ」

 メールの返事には「待ってる」としか書いてなかった。

「俺達に彼女だって紹介したいのかな」


 紘一は、家に着くと玄関にいる斉藤のところに子猫の入った段ボールを持っていった。

「残りはこの二匹なんだ」

 紘一はタオルを敷いた段ボールに入っている子猫を見せた。

「可愛い~」

 斉藤は目を輝かせて猫に見入った。

「藤崎君はどっちがいいと思う?」

 二匹の子猫を抱き上げて訊ねてきた。


 洋服選びじゃないんだから……。


「斉藤の好きな方選びなよ」

「う~ん、どっちにしようかな」

 斉藤が子猫を交互に見ているとき、チャイムが鳴った。

「はい」

 紘一がドアを開けると、そこには花咲が立っていた。

「花咲……」

 紘一は思わず狼狽えた。

 別にやましいことはしていないのだが、なんだか浮気の現場を見られたような気になった。

「委員会が早く終わったの。だから……道子ちゃん! どうしてここにいるの?」

「あ、猫欲しいっていうから……」

 紘一はとっさに弁解した。

「夕香梨ちゃんこそ、どうして来たの! もう猫貰ったんだから用はないはずでしょ!」

 斉藤がきつい口調で言った。

「私は猫の写真を撮りに……」

 花咲が言い訳するように言った。


「道子ちゃん、猫は飼えないって言ってたじゃない」

「飼えることになったの!」

「でも……」

「夕香梨ちゃんこそ、殺される猫を減らすために保健所から貰う事にしたって言ってたくせに、藤崎くんから貰ったじゃない!」

「それは……」

「猫に紘一って名前つけたこと、知ってるんだからね!」

「え?」

「あ!」

 紘一が花咲を見るのと同時に、彼女が真っ赤になって俯いた。

「私帰る!」

 斉藤は猫を段ボールに入れると帰ってしまった。

「あ! 道子ちゃん!」


「は、花咲、俺も花咲のこと……」

 紘一が真っ赤になって告白しようとしたとき、

「ごめんなさい! 道子ちゃん達のこと、裏切れないの!」

 花咲はそう言って頭を下げると走っていってしまった。

「花咲!」

 後に残された紘一は呆然と花咲が駆けていった方を見ていた。


「紘一……」

 紘彬も如月も、紘一にかける言葉が見つからなかった。

「兄ちゃん、如月さん、ごめん。今日はゲームする気になんない」

「そ、そうか。兄ちゃん達のことは気にするな」

 紘彬がそう言うと紘一は家の中に入っていった。


 勝手に修羅場を演じられたあげくに振られてしまったのだから落ち込むのも無理はない。

 紘彬と如月は家の外に取り残された。

「仕方ないな。どうしようか。うちにはゲームないんだよな」

「そうなんですか?」

 ゲームそのものは紘一の部屋にあるが、どちらかと言えばゲーム好きは紘彬の方に見えるのだが。

「ゲームやってると祖父ちゃんが説教してくんだよ」

「そうですか」

「あ、もしかして、桐子ちゃんとどっか行きたいか? それなら俺、遠慮するけど」

 紘彬の言葉に、

「そんな必要ないですよ。桐子ちゃんはむしろ桜井さんがいた方が嬉しいと思いますし」

 如月は慌てて手を振った。

「そうか? じゃあさ、桐子ちゃんに友達連れてきてもらえよ」

「分かりました」


 如月がメールを打つと、すぐに立花から返事があった。

「待ち合わせ場所、歌舞伎町でいいですか?」

「いいよ。なんで?」

「歌舞伎町には行きたくないって……」

「それは仕事でだよ。拳銃だの青竜刀だの持ち出す奴らがいるだろ」

 青竜刀は滅多にないと思うが、確かに客で行く分にはそれほど危険はない。

 ぼったくりにさえ引っかからなければ。

「じゃあ、行きましょうか」

 二人は並んで歩き出した。


「それにしても紘一君、さすが桜井さんの従弟だけありますね」

 如月は感心したように言った。

 一度でいいからあんなにモテてみたいものだ。

「俺、あんなにモテないぜ」

「バレンタインのお返しのキャンディ、問屋で箱買いした人が何言ってるんですか」

 紘彬一人では持ちきれないので如月も手伝ったのだ。

「署内の女性全員から貰ったじゃないですか。掃除のおばさんも含めて。それと今まで事件で関わった女性とか、警察に入る前からの知り合いとか」

「義理チョコなんていくら貰ってもモテてることにはならないだろ」

「既婚の女性は義理でしょうけど、それ以外は本命ですよ。桜井さんのチョコだけグレードが違ったじゃないですか」

「警部補だから良い物だったんじゃないのか?」

「だったら課長や署長はもっと良い物貰ってるはずじゃないですか」

「違うの?」

「婦警達、徳用の袋から出して配ってましたよ」

「そういうことはもっと早く言えよ」

「てっきり気付いてるかと」

 紘彬はとぼけてるのか天然なのか、如月にも今イチ掴みきれなかった。


 待ち合わせの場所には立花を含めて五人の女性がいた。

「羽田俊子です」

「成田美代子です」

「空港コンビか。茨城がいれば完璧だったな」

「よく言われます」

 羽田と成田は顔を合わせて笑った。

「そちらの二人は花井京子さんと岬凪子さんです」

 立花が紹介した。

 全員紘彬と同じ署の婦警だった。

「桐子ちゃん、連れてくるの一人じゃなかったの?」

 如月が小声で訊ねた。

「それが……桜井警部補が来るって聞いたら、みんな来たいって言っちゃって……」

「五対二か、こっちもあと三人用意した方がいいのか?」

「やめておきましょう」

 何人来ても紘彬一人がモテることには変わりないだろう。

 呼んだ三人に恨まれるだけだ。


 紘彬達が飲み屋に入っていくと、山崎達がいた。

 紘彬に気付いた奥野が手を上げた。

「どうした、そんなきれいどころ連れて」

「羨ましいだろ。そうだ、お前達も一緒に飲まないか? 丁度こっちは三人足りなかったんだ」

 そう言ってから如月達の方を振り返って、

「いいだろ?」

 と訊ねた。

「桜井さんのお友達ならいいですよ」

 羽田が答えた。


 紘彬達は机をつけて十人が座れるようにした。

 紘彬の友達ならいい、と言いながらも、紘彬の隣の席をめぐって水面下で密かな争いがあったが、当の本人は気付いていなかった。


       二


 紘彬達が飲み始めてしばらくしたとき、

「ひろ君、見ーっけ」

 と言う声がして振り返ると、やたら派手な服を着た女性が立っていた。

「芳子か」

 奥野が迷惑そうに言った。

「ひろ君の行きつけ覚えてたんだ。偉いでしょ。褒めて褒めて」

 奥野は眉をひそめてそっぽを向いたが、芳子と呼ばれた女性は気にした様子もなく、強引に奥野の隣に座った。

「この人達は? ひろ君のお友達? だよね、山崎さんと吉田さんいるもん。小沢芳子でぇす」

「…………」

「…………」

「…………」

 気まずい沈黙が続いた。


「……如月風太です」

 いつまで待っても奥野は芳子に自分達を紹介しようとしないので、如月が自己紹介した。

 如月に続いて紘彬達が順番に名乗っていった。

「ひろ君のお友達だね。覚えておかなきゃ。メモメモ」

 そう言って芳子は奥野の方を見たが、突っ込んでくれそうにないと見ると、

「って、メモ帳ないじゃん。てへ」

 セルフ突っ込みをして、舌を出しながら自分の頭をコツンと叩いた。


 それからは芳子の独演会だった。

「芳子ね……でね……芳子がね……それで芳子が……芳子ってば……」

 芳子一人が喋っていた。

 みんな白けた様子なのにも気付かない様子だった。


 十時近くなり、

「女性はもう帰った方がいいな」

 奥野はそう言うと、

「芳子、送るよ」

 と言って立ち上がった。

「わーい。ひろ君、今日うち泊まってく?」

 等と言いながら奥野の腕にぶら下がった。

「泊まらねぇよ」

 奥野はそう言うと、紘彬達の方を向いて、

「いつもの店で待っててくれ」

 と言った。


 婦警達も続いて出て行くと、紘彬と如月、それに山崎と吉田が後に残った。

「相変わらず痛い女」

「奥野の彼女なんだからそう言うなよ」

 紘彬がたしなめるように言った。

「奥野の方はもう別れた気でいるよ」

「じゃ、俺達も行こうぜ」

「この店じゃダメなのか?」

 紘彬が訊ねた。

「あの女が戻ってきたら困るだろ。だから知られてない店に移るんだよ」

 紘彬と如月は顔を見合わせながら吉田達の後に続いた。


 別の店に移ってしばらくすると奥野がやってきた。

「早かったな。彼女の家、近いのか?」

 紘彬が訊ねた。

「まさか。タクシーに乗せたよ」

 奥野はそう言うと、椅子にどかっと座った。

「ったく、参るよな。空気読めっての」

「性格は悪そうに見えなかったし、きれいな子だし、何が不満なんだよ」

 紘彬が言った。

「こいつ、専務の娘との結婚が決まってんだよ」

「だから別れるのか?」

「だって、あれ、上司に紹介できるか? 確実に出世コースから外されんぞ」

 奥野が言った。

「あれって、彼女を物みたいに言うなよ。だったら、なんで付き合ってたんだよ」

「だって、顔はいいから連れて歩くのには向いてるだろ」

「ホント、あの女の取り柄って顔だけだよな」

「わざと冷たい態度取ってんのにさぁ、離れないんだよな」

「そりゃそうだろ。東大出の出世頭だぜ。何が何でも離す気ないだろ」

 芳子の悪口を聞いているうちに紘彬は徐々に不機嫌そうな顔になっていった。

「あー、死んでくんないかな、あの女」

 奥野はそう言ってから、慌てて紘彬の方を見た。


 紘彬はいきなり立ち上がると、

「俺達明日早いから、もう帰るよ。行こうぜ、如月」

 と言って如月に声をかけた。

「はい。それじゃあ、失礼します」

 如月は奥野達に会釈をすると、紘彬について店を出た。


「悪いな、如月」

「何がですか?」

「昔はあんなじゃなかったんだけどな。女の子とも真面目に付き合ってたし」

「自分は別に気にしてませんよ」

「なんかとことん飲みたい気分だな」

 紘彬はのびをして曇っている夜空を見上げた。

「お付き合いしますよ」

「寮って門限ないのか?」

「ありますけど、終電終わったら署の柔剣道場に泊まりますから」

「それくらいならうちに泊まれよ」

「いいんですか?」

「おう。じゃ、飲みに行こうぜ」

「あ、それならいい店知ってますよ」

 紘彬と如月は連れだって歩き出した。


「桜井さん、永山のことなんですけど……」

 紘彬がパソコンで報告書を打っていると、如月が話しかけてきた。

「どうした?」

 紘彬は顔を上げた。

「ちょっと気になることが……」

 如月の言葉に、椅子ごと向き直った。

「小沢が、飲んでるときに配達に来た永山に会ったって言ってましたよね」

「それで?」

「永山のバイト先に確かめたんです。夜遅く配達したことがあるか」

 紘彬は黙って聞いていた。

「そしたら歌舞伎町はそもそも受け持ち区域じゃないそうなんです。それに、週二日くらいしか働いてないんだとか」

「……俺の高校時代の同級生が大学の時、宅配のバイトやってたんだけどさ、荷物一個につき何十円って歩合制だったらしいんだ。それも届け先が受け取るまでもらえないとかって。今は違うかもしれないけど」

「そんなに儲かるバイトじゃないってことですよね」

 それなのに永山はどうやって半年で三十二万円もの金を貯めたのか。


「それにさぁ、永山の口ぶりだと少なくともデートくらいはしてたんだよな」

「そんな感じでしたね」

 と言うか、田之倉は除外するとしても永山とだけ寝てなかったとも思えない。

「麻生みたいな女の子が安い店に入ると思うか? でも、割り勘にもしそうにないだろ」

「確かに」

 話に聞いた限りではおごってもらって当然と思っている女性のようである。

 如月は麻生のような女の子とデートしたことはなかったが、一回が高くつきそうだというのは何となく想像がついた。

「永山の大学の出席率とか交友関係とか調べてみたんだけどさ、たまに授業をサボることはあっても大体出席してたみたいなんだよな。それに友達付き合いもちゃんとしてたみたいなんだ」

「しゃかりきになってバイトばかりしてた訳じゃないってことですね。バイト代は安いのに」

 となると、他に収入があったことになる。

 それもかなり割のいいものだ。

「宅配の制服着てれば何持っていっても誰も疑わないよな」

「どんなものでも、どこにでも堂々と持ち込めますよね」

 紘彬と如月は顔を見合わせた。

「永山をどこで見かけたか調べてみます」


「俺は拘留されてる小沢に聞いてみる」

 紘彬は佐久と共に取調室に向かった。


「話したら釈放してくれるのか?」

 永山のことを聞かれた小沢が身を乗り出した。

「そんなわけないだろ」

「じゃあ、減刑してくれるとか」

「確約は出来ないが、心証は良くなるな」

 小沢は黙り込んだ。

「自分の立場が分かってるのか? 暴力団の資金洗浄手伝ったんだぞ。少しでも心証良くしなければお勤めがそれだけ長くなるぞ」

 小沢はしばらく迷った末、ようやく話し始めた。

 自分が関わった暴力団とは関係ないことなら話しても大丈夫だと思ったのだろう。


 小沢から話を聞くと、紘彬はそれを調書にまとめた。

「そろそろ昼飯にするか」

 紘彬はそう言って如月の方を振り返った。

 紘彬と如月は連れだって刑事部屋を出た。

 廊下を歩いていると中山が向こうから来た。

「桜井警部補」

「おう、楢崎」

「『な』しか合ってませんよ」

「あ、すまんすまん。中村だろ。サッカー選手と同じって覚えてたんだ」

「えっと、自分は…………はい。そうです」

 中山は諦めた表情で答えた。

「何か用か?」

「この書類なんですけど……」

 中山が書類を見せた。

「あ、それ、俺にも関係があるから一緒に行くよ。すみません、桜井さん、先に行ってて下さい」

「分かった」

 紘彬は如月と別れて歩き出したところで振り返った。

「そうだ。中山、俺の机にある書類、お前んとこの課長に届けておいてくれ」

「はい」

 中山は紘彬が行ってしまうと如月に、

「如月巡査部長。自分はおちょくられてるんでしょうか」

 と訊ねた。

「う~ん、捕らえどころのない人だからなぁ。俺もどこまで本気なんだかよく分かんないんだよ」


       三


「歌舞伎町来るなら遊びに来たいよな」

 紘彬がいつもの不満を口にした。

 如月が苦笑する。

 二人は、小沢やその他の永山の知り合いなどに聞き込みをして、どこの店で何時くらいに見かけたかを調べだした。

 すると明らかに配達時間を過ぎているときに配達に現れていたことが何度もあった。

 見かけたという店は三軒だけだが、それはたまたま他の店に来たときに誰も居合わせなくて見られなかったのか、それともその三軒以外行ってないのかは分からなかった。

 紘彬と如月はとりあえずその三軒の店や周囲の店を聞き込みして回った。

 三軒の店では全ての店員に「自分は受け取ってない」と否定されてしまい、他の店でも自分のところには来ていないと言われてしまった。


「歌舞伎町の建物ってエレベーターがないビルが多くていいですよね」

「小さいビルが多いからな。エレベーター、好きじゃないのか?」

「自分の田舎にはビルなんてものはなかったので東京に出てくるまで、修学旅行で行った京都以外では乗ったことなかったんですよ。それで、エレベーターで戸惑って顰蹙ひんしゅく買ったりしたことがあるもので」

「それは分かるな。俺んちも一戸建てだからさ、近所のマンションのエレベーターで遊んでて管理人さんに怒られたことがある」

「エレベータって東京では珍しくなさそうで意外とないところあるんですね」

「そうなんだよな」

 紘彬が相鎚を打った。

 二人は永山が行ってそうな店を探して歩いていた。


「聞き込みって靴底がすり減るんだから、靴くらい支給して欲しいよな」

「お仕着せの靴履きたいですか?」

「履きたくな……」

 紘彬が答えかけたとき、

「止まれ!」

 暗い路地から声がした。

 立っているのはバーテンダーみたいな黒い服を着た若い男だった。

 手には拳銃とおぼしきものを持っていた。

「おい、こっちに来い」

 男が拳銃を振った。

 紘彬と如月は顔を見合わせた。

 目顔で頷きあうと男の方へと近づいていった。


「それ以上近づくな」

 二人は男から三メートル程離れたところで足を止めた。いつの間にか四人の男に囲まれていた。

 四人とも拳銃を持っている。

「命が惜しかったらこれ以上嗅ぎ回るな」

 凄んでるつもりらしい低い声で言った。

「如月、拳銃はそうそう当たらないんだったな」

 紘彬は脇にあるゴミ箱の横に捨てられている壊れた傘を拾いながら言った。

「こんだけ近ければ外すはず……」

 言い終える前に紘彬は、男の手首を傘で強打していた。

 男が拳銃を落とした。

 男達は慌てた様子で拳銃を立て続けに撃った。

 如月は流れ弾に当たらないように身体を低くした。

 紘彬は素早い寄り身で二人目の男の懐に飛び込むと、手首に傘を叩き付けた

「痛っ!」

 落ちた拳銃を蹴って如月の方へ滑らせた。

 三人目の肩を傘で突いた。拳銃が落ちる。

 最後の一人が紘彬に向けて何度も引き金を引いているが弾を撃ち尽くしたらしく、引き金の音だけがしていた。

 紘彬は男のそばによると傘を捨て、男に背負い投げをかけた。


 如月も近くの男に駆け寄ると腕を捻りあげた。手錠の片方を男の手にかけ、もう一方を壁を伝っている細い配管にかける。

 紘彬も男に手錠をかけている。

 大して時間もかからずに全員拘束した。

「近いってことは素手の間合いってことでもあるんだよ」

 紘彬は男達に言った。

「拳銃を接近戦で使うヤツがあるか!」

「そこですか!」

 拳銃を回収していた如月が突っ込んだ。

「折角の飛び道具なんだから最低十メートルは離れて使え!」

「桜井さん、叱るなら拳銃持ってたことに対してにして下さい。第一、素人じゃ十メートルも離れたら当たりませんよ」

「拳銃持つのは違法だってことくらい、小学生だって知ってるだろ」

「だからって使い方教えなくても……」

 如月は呆れて言った。


「おい、誰に頼まれてこんなことした」

「さぁな」

「何か探られたくないことでもあったんだろ。でなきゃ、こんなことしないだろうからな」

「知るか!」

「話す気がないなら話したくなるまで付き合ってやるぞ。取調室でな」


 二人は通報を聞いて駆けつけた警官に男達を引き渡した。

「俺、こいつに拳銃の使い方教わったぜ」

 後ろ手に手錠をかけられた男が、警官に叫ぶように言った。

「誰か教えたのか?」

 紘彬は如月の方を見て訊ねた。

「さぁ?」

 如月は肩をすくめた。

「いい加減なこと言うと心証悪くなるだけだぞ! さっさと来い!」

 制服警官の一人が男を引っ立てていった。

 もう二人の制服警官も男三人を連れて続いた。

「俺今取り調べの可視化絶対必要だと思った」

「自分もです」

「誰にも聞かれてなければなんとでも言えるもんな。冤罪えんざいとかあるしさ」

「やってない罪で刑務所入れられたりしたくないですよね」

「次の選挙は可視化を公約にしてるとこに入れようぜ」


 紘一と花咲はあれ以来、お互い意識して避けていた。

 花咲が友達を選んだ理由は分かる。

 紘一だって親しい友達と同じ女の子を好きになったら、友情を優先しただろう。

 それは、花咲より友達が大事というわけではない。どちらも同じくらい大切だ。

 それでも、やはり、友達と好きな女の子なら友達を選んでしまうだろう。

 でも、両想いなのだ。

 それが分かっていながら友達に遠慮して付き合えないというのは悔しかった。


 初恋は実らないってこう言うことなのか?


 紘一は溜息をつくと鞄を持って教室を出た。

 その後ろ姿を斉藤が何とも言えない表情で見つめていた。


 あ、そうだ、今日はゲーム雑誌が出る日だっけ。

 それに英語のテキストも買わないと。


 紘一は高田馬場に向かった。

 ゲーム雑誌はコンビニで買えるが、英語のテキストが売ってる書店は少し離れている。

 そこまで行くくらいなら高田馬場まで足を伸ばした方がいい。


 英英辞典も買いたかったし。


 それで高田馬場に行くことにした。

 戸山公園を通って高田馬場に向かう。

 戸山公園と言ってもこっちは箱根山とは紘一の家を挟んで反対側である。

 箱根山がある方は戸山公園箱根地区と言い、こちら側は戸山地区である。

 戸山公園は災害時の広域避難場所になっているだけあって広いのだ。


 明治通りから早稲田通りに入れば、そこは商店街なのだが遠回りだ。

 目的の本屋は高田馬場駅前だから戸山公園を斜めに突っ切っていった方が早い。木々の緑のトンネルの間の道を歩いて行くとスポーツセンターがある。

 紘一達の祖父がここで剣道を教えていた。紘彬や紘一もここで剣道や柔道の稽古をしている。


 公園には大抵犬がいた。

 大きな犬を三匹も連れている人を時々見かける。

 確かに紘一の家のように一戸建ても結構あるにはあるが、あんな巨大な犬を三匹も飼える程大きな家なんてあるのだろうか。

 犬を二匹も三匹も連れている人は結構いる。よほど犬好きなのだろう。

 ベンチに座って鳩に餌をやっている人もいた。

 駅前の本屋でテキストと英英辞典を買い、雑誌売り場に行く為にエレベーターに乗ろうと本棚を回ると、文房具売り場のところに内藤がいた。


 まさか、あいつまた……。


「内藤」

 紘一の声に内藤が振り返った。

「藤崎」

 後ろめたそうな顔はしていない。今日は何もしていないようだ。

「何か買いに……」

「おい、お前ら!」

 突然、大人の声がした。

 紘一が振り返るのと、内藤が逃げ出すのは同時だった。

 声の主はガードマンだった。

 ガードマンは紘一の肩に手をかけると、

「ちょっと来てもらおうか」

 と言った。


       四


 如月は高田馬場の書店から電話を受けると、紘彬には何も告げずに出てきた。

 紘一がいる部屋に如月が入っていくと、店長の谷垣が勝ち誇ったような表情を浮かべていた。

 ガードマンも小鳥を食べたばかりの猫のような満足げな顔をしていた。

 テーブルの上には紘一の鞄の中身が広げてあった。

 どうやら鞄を逆さにしてぶちまけたらしい。

 谷垣がテーブルの隅にあるボールペンを指した。


「刑事さん。精算前の商品を持っていましたよ」

「もう一人の少年は逃げましたから今度は間違いありません」

「捕まえたのはガードマンの方ですか?」

 言いながらガードマンの手を見た。それから鞄の中身を確認した。

「そうです。彼が捕まえました」

 谷垣が答えた。

 如月は紘一に向き直った。

「紘一君、手袋持ってる?」

「この時期に? まさか」

「じゃあ、ハンカチかティッシュは?」

 紘一は如月の言わんとしていることが分かったようだ。

 ポケットを裏返して見せて、

「持ってない」

 と答えた。


 如月はポケットから証拠品を扱う為の手袋を取り出して手に嵌めた。

 ガードマンもようやく気付いたらしい。

 ハッとした様子を見せた。

 谷垣だけが理解できてない様子で不思議そうな顔をしていた。

 ガードマンはボールペンを掴もうとしたが、それより早く如月が取り上げた。


「これが盗まれたものなら犯人の指紋がついてますね」

 ようやく気付いた谷垣が、まさか、と言う表情でガードマンを見た。

「紘一君の指紋も採りますけど、お二人の指紋も採らせていただきます。構いませんね」

 如月の言葉にガードマンが青ざめた。

「いいよね、紘一君」

「いいよ。俺、それに触ってないし」

「あの……」

 谷垣がおずおずと口を開いた。

「手違いがあったようですので、今日のところはお帰りいただいて……」

「それでは紘一君の濡れ衣は晴らせません」

「実害は無かったわけですし……」

「実害がなかった? 紘一君を犯罪者呼ばわりしといて実害がないって言うんですか!」

「申し訳ありません! 今後このようなことはないようにしますので、どうかご容赦ください」

 谷垣が頭を下げると、ガードマンもそれに習った。


 二人は書店から出ると、並んで歩き出した。

「如月さん、有難う。二度もゴメン」

「気にすることないよ。君があれに触ってたら助けられたか分からないし」

「何となく触らない方がいいような気がしたから、鞄から荷物出すときぶちまけたんだ」


 さすが桜井さんの従弟だけあってさといな。


「でも、次は手袋するだろうから、あの店はもう行かない方がいいよ」

「そうする。……あのさ……」

「何?」

「今日は内藤、何もしてなかったよ。ちゃんと買いに来たんだと思う」

「そっか」

 如月が紹介した塾へ行っているようだし、もう心配することはないようだ。


 そのとき、着信メロディが流れてきた。如月のスマホではない。

 紘一はスマホに出ると、

「如月さん? いるよ」

 と答えてから如月にスマホを渡した。

「もしもし」

 如月は紘一のスマホを肩で挟んで、ポケットを叩いた。無い。

 どうやらスマホを署に置いてきてしまったようだ。

「如月、永山を逮捕しに行くぞ。早く帰ってきてくれ」

 紘彬はそう言うと電話を切った。

「紘一君、俺、署に戻るから」

 如月はそう言ってスマホを返すと、警察署に向かって走り出した。


「桜井さん、遅くなりました」

 肩で息をしながらそう言うと、

「走ってきたのか? どうせ署に戻ってくるところだったんだろ、急かせちゃって悪かったな」

 紘彬が謝った。

「いえ、仕事中ですから」

「紘一の面倒見てくれてありがとな」

「自分は何もしてませんよ。それより、何か進展があったんですか?」

 紘彬は渋い顔をした。

「この前、拳銃で襲ってきたチンピラが永山のこと吐いたんで、逮捕しに行こうと思って令状も取ったんだけどさ……」

「もしかして逃げたとか」

「それならまだ良かったんだけどな。夕辺歌舞伎町の通りで倒れてたらしい」

「逮捕に行かれないって事は……」

 死んだ、と紘彬は答えた。


「一一九番した人の話によると、道ばたで嘔吐して倒れたって言うから、最初は急性アルコール中毒が疑われたんだけどな」

「違うんですか?」

「血中のアルコール濃度は中毒になるほどじゃなかったそうだ。よほど酒に弱かったんじゃなければ、だけどな」

 遺体は司法解剖に回された、と付け加えた。

「アルコール以外のものは出てこなかったんですか?」

「そうなんだ」

「それって……」

「中毒になるようなものを口にしてないにも関わらず死んだんだ。年齢や症状から言って脳卒中や心筋梗塞とは考えにくいだろ。脳卒中は嘔吐することもあるから、一応調べるはずだけどさ」

 紘彬はそれ以上言わなかったが、何を考えているのかは分かった。


 そこへ団藤がやってきた。

「もう一人も死んでたぞ」

「どういうことですか?」

 如月が訊ねた。

「チンピラは永山ともう一人の名前を吐いたんだ」

 もう一人は岡本洋介という歌舞伎町のバーのバーテンだという。

 店の名前を聞くと、如月が桐子と何度か行ったところだった。

 やはりHeを扱っていたのだ。

「大塚の観察医務院からの連絡で分かったんだが、昨日、永山と同じ時に別の病院に運ばれた男がいたんだ」

 永山は宅配の制服を着ており、もう一人は歌舞伎町のバーで仕事中に倒れたので、すぐに身元が分かったらしい。

 岡本も永山と同じで、嘔吐して倒れたらしい。そして、胃を洗浄してもアルコールも食べ物も殆ど出てこず、血中アルコール濃度は低かった。

「何を使ったかはともかく、同じ頃に同じ症状で倒れたって事は、同じ場所で毒を盛られたと見ていいだろうな」

「二人の足取りを調べるぞ。上田と佐久は永山を調べろ。俺と飯田は岡本をやる。桜井と如月は二人の持ち物を調べろ」

 団藤は飯田を呼ぶとすぐに出て言った。


       五


 桜井と如月は新宿署へ向かった。

 二人とも歌舞伎町で倒れたので証拠品は新宿署へ運ばれたのだ。

 永山も岡本も、仕事中だったために大して持ち物はなかった。

「めぼしい物はスマホくらいか」

 紘彬が手袋をした手で永山のスマホを取り上げた。

 如月も岡本のスマホを手に取った。


 紘彬はまず永山のスマホの電話帳を見た。

 ア行からリストを見ていくと、全国展開しているドラッグストアの名前があった。

 紘彬達の勤めている警察署の近くにもある。ここへ来る途中にも何軒かあった。

「永山はなんでドラッグストアの電話番号なんか入れてるんだ?」


 如月はその言葉に、紘彬が持っているスマホの画面を覗くと、岡本のスマホの電話帳を開いた。

「こっちにもありますね」

 今度は紘彬が如月の持っているスマホを覗いた。

 自分の持っているスマホの画面と見比べる。

「同じ電話番号だな。どこの支店のだ?」

「桜井さん、変ですよ。店の番号なら固定電話のはずじゃないですか。これはスマホの番号です」

「そう言われてみれば……」

 紘彬は自分のスマホからその番号にかけた。


 コール音を聞きながらしばらく待つと、

「もしもし」

 しゃがれ声の男が出た。

「この電話の持ち主かい?」

 こちらが口を開く前に男が訊ねてきた。

「そうです。拾ってくれたんですか?」

 紘彬はとっさにそう応えた。

「それなりの礼をしてくれるなら返してやるぜ」

 どうやら謝礼目的で交番にも届けずに持ってたらしい。

「分かりました。お宅はどちらですか?」

 紘彬が訊ねた。

「家なんかねぇよ。俺ゃ、ホームレスだ」

「じゃあ、場所を指定してください。そこへ行きます。お名前は?」

 男は小林と答えた。

 紘彬は場所を聞くと電話を切った。


 紘彬と如月が歌舞伎町のバス停へ行くと五十代くらいのホームレスがいた。

「小林さん?」

「あんたかい、落としたのは」

「ええ、まぁ。とりあえず座りませんか? 飲み物でもどうです?」

 紘彬は言葉を濁して、小林に訊ねた。

「コーヒーでいいよ」

「ついでに何か食べますか?」

「甘いもんが食べてぇなぁ。……って、それが謝礼だって言うんじゃねぇだろうな」

 小林が疑いの目を向けてきた。

「いえ、ちゃんと支払います。いくらくらいですか?」

「こ、これくらい……」

 小林が遠慮がちに手を開いてみせた。

 五万円と言うことはないはずだから五千円ということだろう。

 紘彬は財布から一万円札を一枚取り出した。小林が手を伸ばそうとしたのを紘彬が手で止めた。


「その前にちょっと聞きたいことがあるんだが」

 紘彬の言葉遣いに小林が腰を浮かせた。

「あんた、警察かい!?」

 如月がさり気なく小林の背後に回った。

 紘彬は、警察手帳を見せながら、

「おたくを逮捕しに来たわけじゃないから落ち着いてくれ。まぁ、座って」

 一万円札を小林の胸ポケットに入れた。

 小林が渋々という感じでバス停のベンチに座った。

「コーヒーと甘い物だな」

「自分が買ってきます」

「頼む」

 紘彬は財布から千円札を三枚出して如月に渡した。

「そこのコンビニで買ってきてくれるか。甘い物もあるはずだから適当に見繕ってきてくれ。それと弁当も」

「はい」

 如月はすぐに踵を返した。

「それで? このスマホはどこで拾った?」

「この道を行った先にあるファーストフード店の近くだよ」

 小林が道を指した。


 話によると、夕辺歌舞伎町のゴミ箱を覗いて回っているとき、道端にスマホが落ちているのに気付いて拾ったのだという。

「桜井さん、お待たせしました」

 如月がコンビニの袋を差し出した。

「悪いな」

 紘彬は小林に袋を渡した。

「拾った場所に案内してくれるか?」

 紘彬は小林に頼んだ。


 小林はすぐに腰を上げて、ファーストフード店に向かって歩いていった。

「ここだよ」

 小林が道路を指した。

「落ちるところは見てないのか?」

「見てねぇ」

「そのとき、どんな人が歩いてた?」

「スーツ姿の男が何人か」

「顔は?」

「背中しか見てねぇ」

 それから紘彬と如月が色々聞いたが、本当に拾っただけで何も知らないようだった。


「あれ?」

 拾ったスマホをいじっていた如月が声を上げた。

「どうした?」

「使えなくなりました」

「今、急にか?」

「はい」

「俺ぁ、何もしちゃいないぜ」

「分かってるよ、ありがとな」

「いいってことよ」

 小林はそう言って、踵を返そうとした。


「夜はどこで寝てるんだ?」

「西口のバスターミナルのとこだよ」

「まだ寒いだろ。施設を紹介してやろうか?」

「いや、あそこは行きたくねぇ」

「どうして」

「あそこは広い部屋の隅にストーブが一個あるだけで、毛布一枚渡されただけじゃ寒くて眠れねぇしよ、正月三箇日なんか職員が休みだからって三日間一日三食カップ麺だったんだぜ。それくれぇならこっちの方がいい」

「そうか、じゃあ、もし何か困ったことがあったら交番でこの名刺を見せて俺に連絡するように言ってくれ。何時でもいいから」

 紘彬はそう言うと自分の名刺を渡した。


「取りあえず、そのスマホのキャリアのショップがそこにあるから行ってみるか」

 二人はショップに向かった。

 受付に立っていた女性に警察手帳を見せると、上司らしい女性が出てきて店の奥に案内された。


 勧められた椅子に座って女性と向き合った。女性の名前は鈴木敦子と言うらしい。

 如月は鈴木にスマホを手渡した。

 鈴木はしばらくパソコンを叩いていたが、やがて、

「これはついさっき、解約の手続きが行われてますね」

 と言った。

「契約者の氏名と住所と、通話履歴を教えて頂けますか?」

 如月がそう頼むと鈴木は、またキーボードを打ち始めた。

 鈴木が打ち出した用紙を見た紘彬と如月は顔を見合わせた。

 契約者名「吉田泰之」となっていた。

「桜井さん」

「あいつだよ」

「同姓同名の別人って事は……」

「住所まで同じ同姓同名の別人ってのはまずいないだろ」

 如月は通話履歴に目を落とした。このスマホからはほとんどかけておらず、着信専用にしていたようだ。

 かけてきたのも永山と岡本と石川だけだった。

 署に戻ると、団藤と佐久に石川の取り調べを頼み、紘彬と如月は吉田を呼び出した。

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