▪デート前編

「アイツ……間に合うのか?」


 腕時計をチラ見しつつ、俺は一向に現れない彼女に向かって舌打ちをした。


 ──午前十時、正面入口前にて。


 そう言われていたはず。街中にあるイオンなのだが、建物は大きく、店も多数揃っている。


 ……それにしても、最初のデートぐらい早めに来るもんだろう。俺は壁にもたれてスマホをいじりながら、何度も歩道の方をチラ見した。


 いくら性格が正反対だとは言え、さすがに時間と金銭感覚の共有は外せない。もっとも、鈴本が時間をきっちり守るタイプのようには到底思えないのだが。


「あーいたいた、おはよ」


 そんな感じでソワソワしていると、目の前にそいつは現れた。


「…………」


 端的に言うと、俺は絶句した。


「え、なに。あんまジロジロ見ないでよ」


「……あぁ、すまん」


 休日の鈴本は、実に清楚な格好をしていた。強がらないで言うと、まあ可愛かったのだ。


 青いブラウスと、白いロングスカートは長い足がより強調される。髪はいつも通りのショートなのだが、黄緑色の髪飾りを付けていて、とても愛らしく仕上がっている。


 こんな鈴本は、知らなかった。


「かわいい。うん、似合ってる」


「ほ、ほんとか! やっと私の良さを分かってもらえたな」


 いつもなら、俺なんてそっちのけで、すぐに自分のしたい話に持っていくくせに。今日は珍しく行動を促すこともなく、ただ俺に上目遣いをしている。


「スーッ……よし。行くぞオラ」


「今の深呼吸で豹変しすぎだろ!?」


「つーか、成谷。その私服はなんだ」


 ビシッ。と、俺に指をさしてそう言う。


「えーっと、黒いジャケットにWEGOで買った紫のTシャツ、そして全く履き慣れないジーパンですが何か?」


「見りゃわかるわ。……思ったよりはキマってるけど、もう少し背伸びしたっていいんじゃねーの。ホラ、お前って元は悪くないんだからさ、一歩でも踏み出してみたら?」


 鈴本はぶっきらぼうに言うと、立ちすくむ俺を置いて、店の中に入っていった。


「ま、待ってくれ!」


 思わずため息をついた。まったく、こいつとは、まるで性格が合わない。だが、それがいいのも事実である。


 さっき恥じらっていた、あの健気さはどこに行ったんだ。


 不思議な女である。


 *


 しばらく俺は、彼女のキーホルダー巡りに付き合っていた。すぐにスタスタと歩いていくもんだから、何回も置いてかれそうになった。その癖、楽しいのかそうじゃないのか分からないくらい、無表情で物色していた。


「成谷。力比べでもしようぜー」


 ゲーセンの前で鈴本は足を止めた。


 どうやら、パンチングマシンで勝負をしよう、と言いたいらしい。


「いいけど……」


「よし。負けた方が昼ごはんおごりな」


 自信満々な顔で、そう吹っ掛けてくる。


 いや、俺が勝つに決まってんだろ。男子高校生舐めんなよ。


「私、こう見えて運動神経いいから」


 拳を合わせて、彼女はそう言って笑った。


「いや良さそうではあるけどな。そりゃあ、俺だってサッカーで…………」


 まずい。俺は余計なことを口にしたあと、一旦黙った。


 自然なところで切ったつもりだったが、鈴本は不思議な顔をして、近づいてくる。


「え、成谷ってサッカーやってたの?」


 もう、誤魔化せそうにもない。俺は大人しく自身の経歴を語ることにした。


「えっとまぁ、────こういうことなんだ」


「ちょ、日本代表って……なんでサッカーやめたのよ」


 鈴本の反応は、想像以上に良かった。過去の栄光にすがるつもりはないが、微反応だと泣けてくるからな。


「ま、怪我が多くて。中三の春に大怪我をして、きっぱりサッカーは辞めることにした」


 元々膝に爆弾を抱えていたのだが、やがて日常生活にも支障をきたすようにもなっていた。


「あのままサッカーを続けていたら、一生車椅子生活になっていたかもしれないから。辞めたことに、後悔はないよ」


「ふーん。……そ、そんな話をされたって、昼ごはん代は払ってあげないからな」


 初めて、三次元のツンデレが可愛いと思えた。自信満々な顔が崩れて、か弱い表情を晒す。


 鈴本は、意外に表情豊かな奴なのだ。


「……な、なんだよその顔。ツンデレとかじゃねーからな。調子乗んなよ」


 そう言って、鈴本は俺の頬を引っ張った。


「痛い、痛い!」


 前言撤回。やはり、こいつの無神経さはどうしようもないみたいだ。


 *


「私の馬鹿力を舐めんじゃねーぞ」


 そう言って、鈴本はパンチングマシンにお金を投入した。


 そして、右手にグローブを装着。


 消毒などはしていなかったので、特にそういうのを気にしないタイプのよう。手つきは妙に慣れている。


「おい、成谷。私がどうして最初にコインを投入したのか、わかるか?」


 いきなりこちらを振り向いて、鈴本はそんなことを訊いてきた。服装が清楚なことを差し引いても、強者の香りがプンプンしている。


「何故って……自信があるからだろ」


「その通り。成谷のお財布に100円入れてやったよーなもんだからな。感謝しろよ」


 恩着せがましい鈴本をスルーして、俺は目の前のパンチングマシンを観察した。


 どうやらこの機器は、ミットが天井から吊るされているタイプではなく、自動で起き上がる仕組みになっている。


 つまり、ミットが倒れる速度がパンチの威力に換算される。上から下に、叩きつけるように殴るのが得策のようだ。


「よく見ててよ」


 しかし……そんなことを彼女が考えているわけもない。ただ、ゴリラ並みの腕力に身を任せているだけだ。


「おりゃああ!!」


 そうして予想よりも可愛い掛け声で、鈴本は拳を振り下ろす。


 ズバーン! といい音がしたと同時に、スクリーンに結果が表示された。


『198kg』


「ここに来て自己ベスト更新! やったぜ!!」


 飛び跳ねて喜ぶ鈴本は可愛いが、それ以上に俺はこの記録に衝撃を受けていた。


 言っておくが、この数字は恐ろしい。自分の体重の二倍程度出れば良い方なので、仮に鈴本の体重が45kgだとして、なんと四倍以上の数字である。


「ま、それぐらいなら勝ってやんよ!」


「は? その貧相な体でなに口走ってんだよ」


 そこまで痩せてはいないと思う。割とガッチリしてる方だ。腕も硬いし。


「……いくら、お前がゴリラだとして痛い! じょ、冗談だっての!」


 頬をつねられてから、コホン、と一呼吸おいて俺は高らかに宣言する。


「勝負に勝つために、それに必要なことをやるのは当然だ」


 今、俺がやるべきこととは。パンチングマシンの構造を概ね理解し、どうすれば記録が伸びるのか考えることと、


「早く、振り下ろす」


 あとは気持ちだ。それを念仏のように唱え、俺は鈴本から受け取ったグローブを装着。入念に動作を確かめて、


「────ッ!!」


 何も言わずに、夢中で拳を振り下ろした。


 良い感触を受け取った右手は、ミットを叩きつけるまで真っ直ぐにブチ抜いた。


「…………やるねぇ」


 記録が出る前に、鈴本は静かな笑みを浮かべてそう呟いた。ムキになるのかと思ったら、そんな謙虚な言葉が出てくるとは。


 無論、数字が出るその瞬間まで、勝負は分からない。


「…………ふぅ」


 サッカーをしていた時にも、何度かあった。


『あと数秒で、試合が終わる』──って時に、同点弾を決められたり。


『キーパーを抜いて、無人のゴールにシュートをぶち込むだけ』──そんな時に、思いっきり滑って転び、ゴールを逃したり。


『あと数センチで、得点になっていた』──ボールを、相手にギリギリ掻き出されたり。


 サッカーだけに言えることではない。全てのスポーツ、いや、人生も同じ──そこまで諦観する必要は無いとは思うが。


 勝負ってのは、紙一重なのだ。ぶっちゃけ、『昼ご飯の勝負とかなんでもいいだろ』なんて思う人がいるかもしれないが……


 目の前の勝負に本気マジになることは、本当に大切なことだと思う。それは、ゲーセンでのパンチ対決だって同じなんだよ。


 全力で挑まなきゃ、相手に失礼だ。


『238kg』


「よっしゃあ!!」


 俺は、いや、俺の持つプライドは勝った。


 勝ち誇っていた奴に勝利を収めることは、本当に爽快だ。


「あー悔しー!! すげぇなお前!」


 死ぬほど悔しそうな顔をしながら俺の背中を叩くアイツは、なんだかたくましく見えた。

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