▪かつての想い人

「智人、やっほー!」


「あ……おはよう」


 鈴本による顔面殴打事件の、翌朝。吊革を掴んでぼーっとしていると、目の前に実咲が座っていることに気がついた。


「久しぶりだね」


 少なくとも月曜日に会ったのだが、他意の無い笑顔で語りかけているあたり、ただ覚えていないだけなのだろう。


 カチューシャがお似合いの同級生の、その瞳が真っ直ぐにこちらを見つめている。俺はこいつと同じ高校に通うために、受験勉強を本気でやった。そして、無事合格した。


 今までは微妙な関係だったけど、高校ではステップアップしたい。……つい最近までそう思っていた、幼なじみである。


「最近、部活はどう?」


「楽しくやれてるぞ。そっちは?」


「順調だよ。だんだんスマッシュも上手くなってきたし、バドミントンって結構楽しい」


 そう言って、彼女ははにかむ。うむ、やはり実咲はかわいい……あぁ、もちろん。鈴本の次にな。


「高校から始めて、速攻で高体連のメンバー入ったんだろ? すげぇよ、実咲」


「ノリっちこそ。サッカーから脚本家に転身って、事実は小説よりも得なりって言うもんだね」


「奇なりだよ。なんだえなりって」


「……別にいいじゃないかー」


「古いわ。って言おうと思ったけどこの間ようつべ見てたら出てきたわ。ゆりやんと」


 テヘッと舌を出す実咲。見え見えのボケはご愛嬌である。つまらなくても、異次元レベルに可愛いからOK。……あぁ、もちろん。鈴本の次にね。


「そういえば、この前紗月と帰ってたよね。仲良いの?」


 朝からどぎつい話題を振ってくる。


「いや、何も無い。ただの友達、トモダチ」


「怪しすぎるでしょ。……ねね、もしかして付き合ったの?」


 この女は勘が鋭い。俺が片思いしていた件についてはまったく気づいてくれないのに、だ。


「……ええと」


「幼なじみに隠し事なんて、智人もたくましくなったねぇ。ぶっ殺すよ?」


「わかった、わかったから続きは電車降りた後な!」


 俺をからかって楽しそうな実咲。ほんと、青瀬といいこいつといい、俺の周りには(小)悪魔が多くないだろうか。


 *


「実咲。頼むから電車の中で恋バナは慎んでくれ」


 駅から、学校に向かう道中。


 ようやく人混みから逃れられ、少々肩の荷が下りる。


「ごめんごめん。……ってかひとつ疑問なんだけど。智人と紗月って性格合うの?」


「全く合わないが??」


 もうここまで来たら付き合っていることもバレていそうなので、素直に吐き出すことにした。


「あっはは。だよね、だって二人の共通点なんて高校生なことくらいしかないじゃん」


「実咲はアイツと仲良いのか?」


「うん、結構話すよ。というかあの子は、誰とでも仲良いんじゃないかな。裏表のない、とっても素敵な子だよ」


 お前もな、と呟いておく。


 あと、俺には鈴本が裏表のない素敵な子には全く見えないのだが……実咲が言うならそうなのかもしれない。


 世の中の大多数のJKが何かしらの闇を抱えている中で、実咲のような天使もいるものだ。


「智人はね、きっと考えすぎなんだよ。紗月って感覚派だからさ、とにかく考えるよりも先に行動するタイプなの。良くも悪くもアクティブだね」


「なるほど……俺の理解できない人種だな」


「確かに、智人とは正反対。でも、今は性格合わないなー、って思ってても大丈夫だよ。案外違う者同士って惹かれ合うから」


 笑顔で彼女はそう話した。優しい声色で、俺にアドバイスをくれる。


「ありがとう、すごく参考になる。……ところで、それは経験談か?」


「いや、少女漫画で読んだの」


「信ぴょう性急に薄くなったが!?」


「んー、まぁ大丈夫っしょ!」


「不安ばかりが増していく……」


 ソースがかなり怪しいものの、その助言には耳を貸さずにはいられない。


 正反対どうしは惹かれ合う、……と。


「わかった。ありがとう」


 そうして歩いているうちに校舎が見えてきた。住宅街の中にある、ひときわ大きな建物。『私立花川高校』都内でも指折りのマンモス校だ。


「いやーそれにしても暑くなってきたねぇ」


 実咲は話が一段落すると、手で首元を仰いだ。


「それな。もう五月も終わり頃だし、そうこうしてる間に梅雨が来るな」


「やめて〜!!」


「俺に言うな」


 ここら辺はあまり栄えてないとはいえ、腐っても首都圏だ。青瀬の住んでいた北海道とは違って、何かと蒸し暑い。


 故郷がここなだけにもう慣れたが、新参者にはかなりしんどい気候なのではなかろうか。


「夏になったら、水鉄砲でピストルごっこしようね!」


「何歳なんだよ……」


 他愛のない話をして、俺たちは別れた。


 昔から、実咲は自分の恋バナをしない。俺が訊いても、『乙女には秘密があるの』などと言って一切教えてくれない。


 別に乙女じゃなくても、秘密の一つや二つぐらいあるっつーの。


 そんなことを思いながら、俺は教室に入っていった。


「おはよう……ッ!?」


「なぁ、成谷!! お前付き合ったんだって!?」


「くっそ、いいなあああああああ!!」


「羨ましいぜ、くぅー!!」


「しかも相手はあの鈴本紗月だろ!? どうやって付き合ったんだよ!」


「鈴本……結構可愛いよなぁ!!」


 なんだこの地獄は。


 教室に一歩踏み入るなり、芋臭い男子高校生共がいっせいに俺に群がる。


 そして、『鈴本』『付き合う』『可愛い』『リア充爆散しろ』という言葉が辺りを飛び交う。


「ちょっっと黙れッ!! お前ら、なんなんだよ急に!」


「何、って……お前が鈴本と付き合ったっていう噂を聞き付けたから、野球部全員で祝いに来たってだけだが」


「だから全員坊主だったのかよ! 練習しろ練習!」


 なんなら、中には俺の知らないヤツもいた。


 とまぁ、こんな地獄があれから毎日のように開催されている、という現状だ。


 さすがに今回のようなケースはレアだが、知らない人間が祝いに来ることも多々ある。


 進学校だから話題に飢えているのだろう。小テストから少しでも目をそらす為に、俺と鈴本を利用しているとしか思えない。


「まぁ、いいか」


 坊主共にもみくちゃにされながら、俺はそんなことを呟いたのであった。

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