第3話

「うぅぉぉおおおおお!」

 猛獣のような鬣と巨大な牙、大木の幹ほどもあろうかという四肢。横倒しになった船の通路では狭すぎるのか、這うような格好でオーガが咆哮している。

「そんな……。ギリー、オレたちがわかるか?」

「があああ!」

「ぐはっ!!」

 怪物は有無も言わさずアルドに体当たりを食らわせた。窮屈な状態にも関わらず、恐ろしいほどの俊敏さだ。

 弾き飛ばされたアルドは後方へ吹っ飛び、通路を部屋のように仕切っていた瓦礫の中へ突っ込んでしまう。

「アルド!」

「ギリー殿! やめるでござる!」

 なおも怪物は攻撃の手を緩めない。正面のエイミと背面のサイラス目掛けて、手足を別々の生き物のように駆使して襲いかかる。

 腰の入っていない、まるでじゃれ付いているかのような一撃一撃が恐ろしいほどに重く速い。

「いいぞ! これで力仕事から開放される。さあ時間が惜しい。蹴散らせオーガギリー!」

「ぐるぅぅ……」

 バロンの言葉を受けた怪物はどういうわけか攻撃を止めると、身を捩って声の主の方へと反転した。

「む。なんだその目は? 知性は与えたはずだ。主人には返事ぐらいしろ」

 怪物は獲物を狙うように姿勢を低くしてバロンをじっと見ている。

 サイラスとエイミはその隙を突いて、リィカに救出されたアルドの元へと駆けつけた。

「くっ、どうなってるんだ?」

「わからないけど、少なくとも頭が良いようには思えないわね」

「おいおい。ワタシの呪法理論は完璧のはずだよな、オーガギリー。もしや何かの冗談のつもりか? それとも名前が気に入らなかったか?」

「ぐがぁあああ!」

 怪物は咆哮とともにバロンに突進する。しかしバロンは反応できなかったのか棒立ちのままだ。

 激突するかと思われたその時、怪物はいきなりもんどり打って、苦しみ悶えるような声を上げだした。見れば自分の手で自分の首を締め付けているようだ。

「な、なんだ!?」

「ああ、ああ……、ああ忌々しい! このワタシがどれだけ貴様に合わせてやったと思っているのだ!」

「バロン何をした!」

「想定済みと言っただろう。ワタシに逆らえば自動的にこうなる仕組みなのだ」

「苦しんでるじゃないか!」

「ふむ。可哀想だと言うのかね? いいだろう。実験としては一歩前進したからな」

 バロンが杖をかざすと、眼前に火球が出現した。ものすごい熱量を周囲に放ちながらみるみる膨れ上がっていく。

「な、なにを?」

「この優雅で完璧なワタシに、汚点などあってはならない。貴様ら風に言うなら、せめてもの慈悲だ」

「やめろバロン……」

「塵になれ、この失敗作が!」

「やめろーーー!!!」

 痛みで膝をついていたはずのアルドが誰よりも速く駆けた。怪物が苦しみもがいてバタつかせている足を掻い潜り、体が溶けてしまいそうな火球の熱にも臆することなく、バロンの死角となっている球の反対側から相手の喉元目掛けて剣先を突き立てる。

 甲高い金属音が響いた。危険を察したバロンは火球を瞬時に消し去り、杖でアルドの攻撃を受け止めたのだった。

 拮抗し、鍔迫り合いとなる。

「どうしてお前らときたらそう諦めが悪いのだ。もはやコイツはただの能無しオーガだぞ?」

「ギリーを元に戻せ」

「ふん。貴様の独善で、あの子供の望みを奪うというのかね?」

「いいから戻す方法を答えろ」

「馬鹿め。そんなものハナから存在せん」

「嘘をつくな!」

「オーガ族の怨嗟の念を消し去れると? 容易でないのは、貴様が腰にぶら下げている剣を見れば一目瞭然だろう!」

「くっ……」

「そもそも実験動物など、使い捨てが基本だ!」

 バロンは後ろに退きながら片手を伸ばし、アルドの眼前に小さな爆発を起こした。

 とっさに肩当てと籠手を近づけ盾代わりに防いだが、バロンは既に距離を取って黒い靄での転移を始めている。

「逃がすか!」

「後ろに気をつけたまえよ」

「え? うわっ!?」

 後方から怪物の太い腕が迫っていた。前方に飛び込むようにしてなんとか回避したのだが、床に這いつくばるような形になってしまう。

 視線の先で、バロンの姿が靄に包まれ消えていく。

「近くにいるものを誰彼かまわず襲うとは、度し難い馬鹿だ。まあ時間稼ぎの労に免じて、その失敗作は生かしておいてやる」

「待てバロン!」

「煮るなり焼くなり好きにしろ。だが人間に戻すのは時間の無駄だぞ。これはあの小僧が望んだ結果だなのだからな。ヒャッハッハ!」

 バロンの姿は消えてしまった。

(オレは、やっぱり、望まれていない……?)

「ごがぁぁああ!」

「アルド!」

 怪物の腕が床に這いつくばったままのアルドに振り下ろされる。大きな衝撃音とともに、床となっている板が弾け飛んだ。

 筋肉の隆々と膨れ上がった怪物の腕が、アルドの横たわるすぐ脇に突き刺さっている。

「無事でござるか?」

「あ、ああ。助かったよ」

 サイラスは刀の峰で怪物の拳の側面を打ち、軌道を反らせていた。

 アルドは立ち上がり、サイラスとともに怪物から距離を取る。

「ぐうぅぅぅ」

 ゆっくりと腕を引き抜きながら怪物が唸る。目には殺気が漲っている。

「やる気満々のようでござる。アルド、どうするでござるか?」

「わからない。でもバロンの言うことなんて当てになるもんか。きっと何か方法があるはずだ」

「だったら、ここは一旦退きましょう!」

「同感でござるな」

「でも、こんな所にギリーを置いてって大丈夫かな?」

「元々、人も寄り付かない場所デスシ。この保存食があレバしばらくは問題ないと思われマス!」

「そうだな。よし、そうと決まれば……、全力で逃げるぞ!」

 一行はとにかく回避にだけ徹し、無事に難破船からの脱出を果たした。そして休む間もなく、ギリーを元に戻す方法を探すため、時空を超えて古代へと旅立っていった。


 ◇


 BC2万年。アルドたちはパルシファル宮殿の食堂にやってきていた。

一行は白いローブとベールを纏った女性と話をしている。

「うーん。オーガへの変身か……」

「元に戻す方法はないでござるか、ラチェット?」

「そうねぇ」

 サイラスに問われ、ラチェットは顎に手を添えて考え込んだ。

「前に、解呪師さんにお願いしてサイラスを元の姿に戻そうとしたことがあったでしょ?」

「ああ、よく覚えてるよ」

「あのときはカエルの姿になる呪いを、本人が想像した姿へと上書きしようとしたじゃない? 原理としては同じようなことだと思うのよね。要するに、一種の変身薬というか」

「でも、ギリーはオーガなんて見たことないと思うぞ?」

「そこよね。恐らくだけど、何かオーガの精神とか霊魂みたいなものがその子に影響を与えてるんじゃないかしら」

「そういえば、バロンがオーガ族の怨嗟がどうとか言ってたな」

「だったらきっと、オーガの怨嗟を成分として使う方法があるのね。それが抱えていた負の感情と結びついてしまったのよ」

「して、ギリー殿は救えるでござるか?」

「理屈としては可能だと思う。結びついている怨嗟を切り離すか消すかさえすれば、あとは変身薬で戻れるはずよ」

「ならば急いで薬を!」

「言ったでしょサイラス。理屈としては、よ。オーガの怨嗟は何万年かかっても消えないと言われているぐらい強力なの」

 ラチェットはアルドが腰に佩いているオーガベインに視線を落としながら続ける。

「はっきり言うけど、オーガの呪いを完璧に解ける人物なんて一人も思いつかないわ……」

 一同の間に重い沈黙が漂う。それがどれほど正しい意見なのか、何度となく魔剣の力を目の当たりにしてきているだけに痛いほどよくわかっていた。

「それでも、やれるだけやってみたいんだ。お願い出来ないかな?」

「アルドさんに、常識は通用しマセンノデ」

「ふふっ。リィカの言うとおりね」

「お、おい二人とも」

「フフ……、フハハ、ハッハッハッハ! 笑わせるではないか!」

 突如としてアルドの腰の長剣が震え、喋りだした。

「オーガベイン!?」

「ワタシのウィットが気に入りマシタカ?」

「うぃ……、何を言っておるのだ? 我らオーガ族の怨嗟を雪ぐなど、片腹痛いと言っておるのだ」

「やってみなければわからないだろ」

「そうか? この剣に押し込められた我らですら、貴様の精神を容易く乗っ取れたのだぞ。年端も行かぬ子供の精神など、とっくの昔に食い散らかされておるわ」

「くっ……、それでも!」

「まして紛い物でもオーガはオーガだ。そう簡単に怨嗟は消えぬ。さっさと切り捨ててやるのが小僧の為だぞ?」

「お前の言うとおりになんてするもんか!」

「まあよい、忠告はした。我ら、貴様が絶望の果てに生けとし生けるものを憎むその瞬間を、心待ちにしているぞ。フハッハッハ――」

「よ、よく喋る剣ね……」

 ラチェットが面食らったような顔をしている。アルドたち旅の一行は慣れたものだが、彼女にしてみれば驚嘆に値する出来事に違いない。

「あ、ああ、時々な。でも実際、コイツの言うとおりにはしたくない。そのために出来ることは何でも試したいんだ」

「わかったわ。あの時の解呪師にも協力をお願いしてみる」

「ありがとう。恩に着るよ」

「では一旦、拙者は我が家に戻っているでござる」

「沼にか? どうして?」

「あの解呪師殿は心底カエルが苦手でござろう?」

「そういえば。でも宿とか、その辺りに隠れておくとか」

「アルド。きっと取りに行かなきゃいけないものがあるのよ」

「そうなのか?」

「エイミ、かたじけない……」

 サイラスは折り目正しくお辞儀をすると、食堂を去っていった。

 アルドは、ラチェットがどことなく嬉しそうにエイミの顔を見ている理由がいまいちわからずに小首を傾げる。

「それじゃ、早速準備に取り掛かりましょう。まずは解呪師の彼女を探してきてくれるかしら?」

「居場所に当てはあるのか?」

「実は昨日、たまたま別件で会ったばかりなのよ。だからまだそう遠くへは――」

 そこで突然、部屋の外から女の悲鳴が飛び込んできた。

「ギィヤーーーーー!!! カーーエーールーーーーー!!!」

「……すんなり見つかってよかったよ」

「ええ、そうね……」


 幸いなことに、薬の生成はラチェットの手持ちの材料で事足りた。全員で手分けをしたこともあって、思ったほど時間も掛からずに済んだ。

「はい、こっちが変身薬。でもってこっちが街の人の治療薬ね」

 アルドはラチェットから透明感のある赤い宝石のような玉と、ぎっしり中身の詰まった手提げの袋を手渡された。

「街の人の問題まで解決できると思わなかったよ」

 巫女のような服装をした解呪師の女が誇らしげに胸を張りながら言う。

「お話をうかがう限り、濃度が違うぐらいで呪術の仕組み自体は変わらないようですから」

「二人とも、ありがとう! それじゃ、早速サイラスと合流して」

「アルド、ちょっといいかしら?」

「ん、どうした?」

「ギリーとオーガの精神を引き離すことが出来ても、本人が元に戻るのを拒んだら意味がないのよね?」

「そうね。変身薬の類は、基本的には本人が変身したいという願望を持つ必要があるわ。だからこそ、そのオーガなんとかは力づくで薬を飲ませることはしなかったんでしょうし。逆もまた然りね」

「だったらオーガになろうとした理由を突き止めておいたほうがいいんじゃない?」

「確かに……。でも両親の話も食い違ってたしな」

「ラチェットさんは、何か予想できませんデショウカ?」

「私?」

「なんでまたラチェットが?」

「子供たちの魔法の先生ですノデ」

「あ、そうか。だったら例えばだけど、変身したがる子供っていたりしないか?」

「うーん、いないこともないけど。でも、まだ小さくて経験が少ないと言っても、ひとりの人間なの。考え方から悩みから、みんなそれぞれだわ。だから、はっきりしたことは本人の口からしか聞くしかないと思う」

「そっか……、だよな」

「でも強いて言うなら、真っ直ぐに向き合うことかしら」

「真っ直ぐ?」

「ええ。子供はよく見てるわ。大人たちが真剣に自分と向き合ってくれているかどうかをね。時々、少し遠回しな方法で、それを確かめようとする子も中にはいるの」

「ギリーは両親を試してるってことか?」

「どうかしら。本人に自覚がない場合もあるし」

「なんか、むずかしいな……」

「ふふふ。なんであれ、貴方たちが目を背けてしまったら、その子の未来は消えてしまうわ。だから、ね」

「ああ、わかったよ」

「そうね。本人には聞けないし、あとは両親に改めて聞いてみましょうか?」

「デハ、サイラスさんと合流――」

「あああっ!!」

 突如、解呪師の女がびっくりしたような奇声を上げた。

「ど、どうした?」

「すっかり忘れてました。街の人の治療薬ですが、絶対にオーガになったお子さんには飲ませないでくださいね」

「なにか危険なのか?」

「ええ。街の人の薬は呪いを固めるために石化薬を利用してるんです。お腹の中に呪いを集めて程よい固さにまとめる為に。薄くて定着してない呪いでしたら、それでスッキリ出ていくので。でも既に変身して呪いが全身に定着している状態だと、一箇所に集らず、あっという間に全身カチコチの石像になってしまうはずなんです」

「石像!?」

「でも石化ぐらいならそれほど苦もなく解除出来るんじゃない?」

「いえ、エイミさん。普通の呪いや魔法ならそうかもしれませんが、なにせ薬と反応しているのが数万年は褪せないと謳われるオーガの怨嗟ですから。ちょっとやそっとじゃ解けなくなると思います」

「わかった。間違えることは無いと思うけど、念の為気をつけるよ。こっちの大きくて赤い玉がギリー用だな」

「はい。そっちは石化薬は使わずに、呪いの分離作用と自我の防護作用それから変身効果と、成分が順序よく作用するよう配合してあります。もちろん、効果が最大限に高まるようありったけの魔力も込めて。はっきり言って自信作ですよ!」

「そ、そうか。難しいことはわからないけど、なんとかなりそうな気がしてきたよ」

「万事うまくいくよう、祈ってるわ」

「心強いよ、ありがとう」

「それでは出発シマショウ!」

 アルドたちはラチェットと解呪師に別れを告げ、次なる目的地へと旅立っていった。


 サイラスと合流した後、ユニガンに到着した一行はギリーの家へと向かっていた。

「それで、もう気は使わなくてもいいのかしら、カエルの剣士さん?」

「ん? ああ、沼で一泳ぎして、すっかり心は整ったでござるよ。かたじけない」

「あ、取りに行くってそういう意味だったのか!」

「ゲコッ!? アルドは何だと思ってたでござるか?」

「てっきり着替えかなにかだと……」

「いやはやなんとも」

「ここまでくると一つの芸よね」

「勉強にナリマス」

「そんなに呆れないでくれよ……」

 皆の反応に少し落ち込んだ様子のアルドを、駆け足の兵士が追い抜いていった。

「む。アルド、何やら街が騒がしくないでござるか?」

「そういわれてみれば確かに……」

 さらに二人の兵士が駆け足で一行を追い抜こうとする。

 アルドはその内の一人を呼び止めた。

「なあ、ちょっと悪い」

「なんだ? 見ての通り私は忙し――あ、あんた!」

「ん? あ、干し肉をあげた人か!」

「悪いが、もう食べてしまったので返せないぞ?」

「いや、そうじゃないんだ。どうして慌ててるのか聞こうと思って」

「なんだ知らんのか? セレナ海岸に巨大な怪物が現れたんだそうだ」

「巨大な怪物!?」

「オーガじゃないかなんて情報もある。とにかく今は東門に防衛の布陣を敷いている最中なんだ。攻撃隊の編成が済んだら討伐が始まる。それが終わるまで安全な所に避難しておくといい」

「あ、ああ。わかったよ」

「なに、また干し肉が手に入ったら頼むぞ」

 そう言うと兵士は走り去った。

「怪物ってきっとギリーのことだよな?」

「難破船から出てきちゃったのね」

「拙者たちも急ぐでござる!」


 状況を聞いたギリーの両親は、ただでさえ青かった顔色をさらに青くして、まるで死人のようになって床に這っている。

「そんな、騎士団が……」

「とにかくオレたちは急いで薬を飲ませに行かなくちゃならない」

「でもその前にもう一度、ギリーがオーガになろうとした理由に心当たりが無いか聞かせてほしいの」

「理由……」

 両親ともに懸命に記憶を辿っているようだったが、しかしそれらしい答えにはたどり着けなかったようで、やがてまた後悔を口にして咽びだした。

「私が傍にいてやれなかったから……」

「いいえ、あの子の将来ばかりで、今をみてあげられなかった私が……」

「わ、わかったよ、ありがとう。後はオレたちがなんとかする」

「うう、アルドさん、私も、どうか……」

 ギリーの父親がアルドに手を伸ばしながら懇願する。どうあっても付いてきたいようだ。

「悪いけど危険なんだ」

 アルドは男の手に、治療薬の入った袋を握らせた。

 本当なら自分たちで騎士団に渡して街の人々を助けたいところだが状況は刻一刻を争う。薬が効けば少しぐらいは動けるようになるに違いない。居ても立っても居られないのであれば、この人にお願いできないかと考えたのだった。

「これは治療薬だ。俺たちの代わりに――」

「ギィィイイリィイイイイーーーーー!!!」

 治療薬と聞いた途端、ギリーの父親は突如飛び上がり、猛牛のごとく外へと飛び出していった。

「あ、おい!」

「もしかして、ギリーの治療薬と勘違いしたんじゃ?」

「ええっ!?」

「石にナッタラ戻れマセン」

「お、追いかけるでござるよ!」

 一行は血相を変えながら、バタバタと広間を後にする。

 残された母親が祈るように囁いた。

「ああギリー……。どうか、もう一度だけ抱き締めさせて。そうしたら、二度と離さないと誓うから……」


 東門防衛の準備を慌ただしくおこなっている兵の一団を尻目に、アルドたちはセレナ海岸へ向け走っていく。

「まだ攻撃隊は出てきてないみたいだな」

「それにしても、どれだけ速いのよあの人!」

「どこまで行ったでござるか?」

「イマシタ!」

 崖側の道へ折れると、前方にギリーの父親と怪物を認めた。父親は怪物に鷲掴みにされ高々と持ち上げられている。

「いま助けるぞ!」

「やめてください!」

「……え?」

「さあ、ギリー! お薬だぞ。お父さんごとごっくんしなさい」

「ば、馬鹿な真似はよせ!」

 一行は全速力で救出に向かうが、斬り込める間合いまではまだ遠かった。父親を掴んだ怪物の手が口元へと近づいていく。

「そうだ。いい子だギリー。幸せになるんだぞ……」

「やめるんだギリー!!」

「あはあ!」

 アルドが全身全霊で叫んだとほぼ同時に、父親が何か間の抜けた声を上げる。すると、どういうわけか怪物は手を止めた。

「ん? どうした?」

「ごああああっ!!!」

 何回か鼻をひくつかせた後、いきなり父親を放り投げてしまった。

 父親は運良く一行の近くの砂地に落下した。アルドたちは守るように立ち塞がる。

「おい、大丈夫か?」

「いえ……。もう、最悪です……」

「まさかひどい怪我を?」

「いや、その。手の圧力と声の刺激で、有無も言わさず、……出ちゃいました」

「ご、ごめん。でも、その薬は街の人用で、間違ってギリーに飲ませると石になってしまうんだ」

「そ、そんな、私はなんてことを……」

「そうね。しばらくそこで反省してなさい。親が犠牲になって、それで人間に戻ったギリーがどれだけ苦しむか、じっくり考えて!」

「お、おいエイミ」

「ギリーは、私たちが絶対に元に戻すから」

 エイミは、こちらを見据えながら低く唸っている怪物に強い眼差しを向けた。

 一触触発の空気の中、アルドが赤い薬の玉を取り出す。

「やれそうでござるか?」

「わからないけど、やるしかない。行くぞ!」

 掛け声とともに怪物に突っ込んでいく。狙いは相手の顔面だ。取り付くことさえ出来ればどうにかなるのではないかとアルドは考えていた。

 怪物が打ち下ろす拳を一つ二つと避けながら隙を窺う。しかし次から次に繰り出される攻撃にその機会は見いだせず、ついには飛び退いて距離を取らざるを得なくなった。

「くそっ、簡単には近づけないか」

「どうするでござるか!」

「悩んでる暇はないわ。私が囮になるから、なんとかして」

「ダメだ、危険すぎる!」

「アルドさん」

 不意にリィカが手の平を差し出した。すぐには何のことかわからなかったが、どうやら薬玉を渡せということらしかった。

 アルドはとりあえずリィカに薬玉を預けてみた。

「ワタシは、アンドロイドですカラ」

「それはどういう?」

「まさかリィカ」

 リィカが怪物の方へ歩み寄っていく。

「さっきみたいに薬ごと食べられるつもりなんじゃ?」

「なんだって!」

「ギリーさん! お腹が空いてマセンカ?」

「ごがああああ!」

 近寄ってきたリィカを威嚇するように怪物が吼える。

「ダメだ、リィカ!」

「エイッ」

「ん?」

 アルドたちが抑えかかるよりも早く、リィカの手から放り出された赤い玉が、綺麗な放物線を描いて大きく開かれた怪物の口へ吸い込まれていった。

「がっ……」怪物の動きが止まる。

「……入った」

「弾道計算は得意分野ですノデ」

 呆気にとられている一同に、リィカがどこかで聞いたようなセリフを発した。

「ぐ、ぐが、ぐがぐ……」

 怪物が胸を押さえて苦しみだした。薬の効果が現れてきているようだ。

「リィカ、見事でござる!」

「ああ、よくやった! オレたちの声が聞こえるかギリー?」

「……ボ、ク、ナ、ニヲ?」

「オーガになる必要なんてない! 元の姿に戻ろう!」

「オー、ガ……? オーガ……、ヒ、ヒィイ! カ、カイブツ!」

 アルドたちの視線の先で、怪物の姿のままのギリーは何かに怯えるようにブンブンと腕を振りはじめた。

「ど、どうしたんだ?」

「ラチェットたちは、オーガとギリー殿を分離すると言っていたでござる」

「てことは、ギリーの精神がオーガの精神を見て驚いてるってことか」

「たしか防護がどうとかも言ってたよな?」

「そうね、問題はないと思うけど……」

「なんにせよ、精神の中にまでは手を出せないでござる」

「結局、呼びかけ続けるしかないのか……」

 かつてクロノス・メナスと、そしてエデンと対峙した際とよく似た状況に、アルドは歯噛みする。その大団円とはならなかった結末が、否が応でも頭をよぎっていた。

 一行が必死に呼びかけを続ける中、ギリーの父親がよたよたと前に歩み出てきた。

「ギリー、本当にギリーなのか? 父さんだぞ、わかるか?」

「ト、ウサン……?」

 父親の声に、ようやくギリーが反応を示した。

 アルドたちの表情にも安堵の色が浮かぶ。

「すまなかった。お前の苦しみに、気づいてやれなくて……。なあギリー。帰ったらたくさん話をしよう。お前の苦しみを、父さんにも抱えさせてくれ」

「ウ、ウウ……、ダ、メ。ダメダ! ボクハ、モウ、ナガ、ナ、イぃぃいい!!!」

「ギリー……?」

 呆けたように立ち尽くしている父親の向こうで、怪物は体中に黒い靄を纏いながら、獣のように咆哮した。

「まずい!」

 漲る殺気を感じ取ったアルドが、父親に飛びついて横倒す。間一髪で放たれた怪物の拳が空を切っていった。

「ギリー、ギリー!」

 アルドが押さえるのも構わずに、父親は怪物に縋ろうと手を伸ばす。

 だが怪物は意に介さない。低く唸りながら二人を睨みつけ、腕を振りかぶった。

「なぜだギリー! こんなに大切に思われているのに、どうしてそこから目を逸らすんだ!」

「ぐるううぅぅぅ」

「頼む! オレたちの声を聞いてくれ! オレたちの助けを望んでくれ!」

「があああああ!!!」

 説得にはまるで聞く耳を持たず、怪物は全体重を込めるように腕を振り下ろした。

 アルドの眼前に巨拳が迫る。逃げれば父親が潰される。かといって父親を押さえた体勢で防ぎきれるものでもない。

 ただ真っ直ぐ、目だけは逸らさない。アルドは最期に意地だけ貫くつもりであった。

 ――突然、視界の先で怪物の体がSの字にくねった。脇腹にサイラスの刀の峰が、膝頭にリィカの槌が、肩にエイミの蹴りが打ち込まれている。

 怪物はバランスを失い、回転するようにつんのめって倒れた。

「アルド!」

 すぐさま三人はアルドと父親を引き、うつ伏せになっている怪物から距離を取らせる。

「怪我はないでござるか?」

「あ、ああ。大丈夫だ、すまない……」

 どうもピリッとしない様子のアルドを見たエイミは、いきなり胸ぐらに掴みかかった。

「なにやってんのよバカ! 死ぬとこだったじゃない!」

「だってオレには、ギリーを信じることしか」

「信じたければ生きるの! 生き続けて、信じ続けるの!」

「エイミ……」

 全力で怒り、涙目になりながら訴えるエイミの表情に、アルドは言葉を失ってしまった。

「みなさん、来マス!」

 怪物がのっそりと起き上がる。振り向きざまにアルドたちに見せた顔は、これまで以上の怒りに満ちているようだ。

「やれやれ、まるでこたえてないようでござるな」

 サイラスが歩み出る。

「親父殿、元はと言えば拙者がバロンを仕留めそこねたせいでござる。どうか拙者を終生恨んでくだされ」

「え……?」

 サイラスの言葉の意味を受け止めきれずにギリーの父親の表情が固まる。

 静かに息を吐きながら刀を構えたサイラスに、エイミの手を振りほどいてアルドがよたよたと近寄っていく。

「どういう意味だよ、サイラス……?」

「父親を手に掛けようとした。命を掛けた呼びかけも届かなかった。もはや、これまででござる」

「ば、馬鹿言うなよ。なあ、親父さんも、一緒に止めてくれよ」

「…………」

「なんでそんな顔してるんだよ! ダメだ、絶対にダメだサイラス! 頼むよ、きっと他に方法が……」

「お別れに泣いてやれなかったと苦しんだ、初対面のこのカエルめを庇ってくれた、こんなにも両親から愛されて育った。そんなギリー殿が、誰彼かまわず傷つけることを望むと思うでござるか!」

「だからって……、だからって斬っていいってことには!」

「ギリー殿に泣くのかと問われた時、浮かんだのはヴァーンの顔でござった。今でも考えるでござるよ。せめて泣いてやれば、せめて斬ってやれば。少しは魂を慰めてやれたのではないかと……。拙者の心の甘さがときに魂を傷つけるならば、今こそそれを断つときでござる。――たとえ、鬼の所業と誹られようとも!」

 サイラスの全身から闘気が迸る。

「エイミも、リィカも! 止めてくれよ!」

「アルド、薬が効かないなら、もう……」

 皆が悲しそうな顔で俯いている。

「でも、ラチェットだって、目を背けるなって、これじゃ……」

「ギリー殿。お覚悟を」

「ごがぁぁあああ!!!」

 その時だった、ガチャガチャと鎧を鳴らして三人の兵士が現れサイラスの前に躍り出た。

「なっ!?」

「加勢するぜ!」

「ここは我等に!」

「ニゲロ」

 突然のことにサイラスが目を剥いたわずかの間に、怪物は兵士たち目掛けて突進を始めていた。

「いかんっ!」

 溜めた力の全てで踏み込んで、サイラスは兵士たちの前に飛び出した。怪物が力任せに振った腕に斬撃をぶつけてどうにか勢いを弱めながら盾になったものの、なおその衝撃は強烈であった。サイラスの体は、兵士ニ名を弾き飛ばし、アルドのすぐ横を掠めるようにして後方へ飛ばされてしまう。

「サイ、ラス……?」

「ぎゃわあああ!」

 まるで歓喜に沸くように怪物が叫んだ。

 振り向けば、受け止めようとしたらしいエイミとリィカを下敷きにしてサイラスは力なく横たわっている。

 アルドがよろよろと覚束ない足取りで怪物へ近づいていく。「なんで、なんで」と繰り返しながら、駄々をこねるように巨大なスネを叩き続ける。

 何事かと首を傾げていた怪物は、やがてニヤリと笑うと小突くような力でアルドを蹴飛ばした。

 アルドの体が砂地に転がる。

 怪物は、立ち上がろうとしたアルドを再び同じように蹴って転がし、嬉しそうな声を発する。まるで玩具で遊ぶ子供のようだ。

「これが、君の望んだことなのかよ!」

 アルドの慟哭が崖下に消えていく。

 怪物は足を上げた。その影がアルドを覆う。

「アルド!」

 ふとエイミの叫ぶ声が聞こえた。

 アルドは再び顔を上げる。なにか考えがあるわけではないが、何もせずに潰されてはならないと体に力を込めた。

「が! ぐが、がああああ!」

「なんだ?」

 だが怪物は突然、苛立たしげに自らの背中に腕を回しはじめた。うまく背中に手が届かず、その場でぐるぐると回りだす。ちらりと見えた背中にはギリーの父親が張り付いていた。

「な、なにやってるんだ!」

 どうやら頭の方へとよじ登ろうとしているようだ。

 手で掴むのを諦めた怪物はブンブンと上半身を振りはじめる。

 勢いで空中に放り出された父親だったが、ちょうど目の前にあった鬣を掴むことができた。振り回された勢いで、そのまま顔面に近づいていく。

「うわあああああ!!!」

 父親は怪物の顔面へ衝突するも落下せずに張り付いた。鬣を掴んだ手と、怪物の口に差し込んだもう一方の腕で体を支えているようだ。

「が……」

 急に怪物が動きを止め、顔に父親を張り付けたままゆっくりと頽れて膝をつく。

「ギリー! ギリー!」

「おい、まさか……」

 アルドの悪い予想を肯定するかのように、怪物はみるみる石になっていく。あの治療薬に違いなかった。

「愛してる。愛してるぞギリー。こんな、こんな父さんで、ごめんな……」

 すっかり石になってしまった怪物に縋りながら大声で泣き喚く父親を、一同はただ呆然と見守ることしか出来なかった。


「すみませんでした、サイラスさん……」

「いや、謝るべきは拙者の方でござる」

 ようやく少し落ち着きを取り戻した父親が、自らの失態のように謝罪する。

 サイラス自身の技量と、エイミたちが受け止めたおかげもあって大事には至らずに済んだのだった。

 夕暮れが迫る中、石像となった怪物の前で父親がぼんやりと佇んでいる。

「すまない。オレたちの力が足りなかったばかりに……」

「いいえアルドさん。もし私だけだったら、これがギリーだと知ることもないまま、この子は退治されてしまったに違いありません」

「親父殿。拙者どもを責めて良いのでござるぞ」

「そんな……。ギリーはこうして帰ってきたんです。行方が知れないままでも、死んでしまったわけでもない。人殺しにも、ならずに済みました……」

 波の音が聞こえてくる。

 その場の誰もが喋りだすきっかけを失っていると、一人の兵士が現れ話しかけてきた。

「アルドさん、搬送の準備が整いました。日暮れも近いですし、出来れば早めに取り掛かりたいのですが?」

「あ、ああ。だ、そうだけど?」

「……はい。国王陛下に直訴までしていただいて、何から何まで、ありがとうございます」

 この一件に対し騎士団は、危険性が無いとは言い切れないと石像を接収しようとした。そこでアルドたちは面識のあるユニガン国王に直接ことの顛末を伝え、石像をギリーの両親が管理できるよう願い出たのだった。

「オレたちにはこんな事ぐらいしか……」

「では、お願いします」

 父親が告げると、幾人もの兵士たちが現れ石像を取り囲んでテキパキと作業を始めた。

 仕方のないこととは言え、運搬される物質に変わってしまったという現実が今更ながらに突きつけられるようだ。

「やはり私は、人間失格だ……」

 父親は両膝をついて、再び涙を流し始める。

 肌寒い風が辺りを吹き渡っていった。

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