第2話 スポ特待生も木から落ちる


 昼食の時間がやって来て十碼岐とめきは義兄たちの机に合流した。幸滉ゆきひろを遠巻きに眺める廊下の女子の数は、今は番犬がいるせいか朝よりも少ない。


 いち早く食事を済ませたのはその赤毛の番犬だった。


 周囲へ睨みを利かせるポニーテールの彼女の名は狛左こまざ椎衣しい。父親は葛和くずわの子会社の責任者をしている。そのせいか、彼女は幼少期から葛和くずわの人間を信望し、特に長男の幸滉ゆきひろを主人と仰いでいた。幸滉ゆきひろ以外に懐かないキツい性格で、彼に好意を寄せる女子たちの防波堤となっている。


 平均的な身長や豊満な胸元からは想像できないほどに、彼女の目つきはあまりに鋭い。幸滉ゆきひろに対する表情は髪型も相まって柴犬のようなのに、それ以外に向ける目つきはドーベルマンだ。


 ちなみに椎衣しいは、この世で一番嫌いな人間は十碼岐とめきだと公言している。今も十碼岐とめきに向ける視線だけひと際に厳しい。環境省職員が外来種に向ける憎悪の視線に近かった。


 椎衣しいが弁当箱をカバンに仕舞い、自身の机から紙の束を取り出す。朝から幸滉ゆきひろが頼んでいた調査の報告のようだ。


蕗谷ふきのやつぼみ、十五歳。一年四組所属。一般家庭で両親ともに健在。収入も中の下で、目立った問題は見受けらません。……が、ボクのいないところで幸滉ゆきひろ様に接近するなどこの女……!」


 恨ましげに拳を震わせる。


 ホームルームギリギリに登校してきたはずの椎衣しいは、昼にはもうその資料を用意していた。書類にまとめた資料を幸滉ゆきひろに渡す。十碼岐とめきはそれを横から覗き見た。


 そこにはあまりに精密なプロフィールが書かれていた。つぼみ自身のこと以外にも、三親等以内の家族構成から、家庭の総収入、課税状況、両親の職場における交友関係にいたるまで。外部からの観察で入手できるであろう情報はすべてそこに載っていた。


 いつも彼女がどこからこういった情報を入手してくるのかは十碼岐とめきにとって最大の謎だった。


「いやあ、相変わらず仕事早いわ。さっすが葛和くずわ番犬わんちゃん。そだこまっちゃん、オレが頼んでたやつ、なんか想定と違うほうに行ってんだけどお?」


「なんだその困ったちゃんみたいな呼びかたは。困った人間は貴様だろう。ちなみにあれは指示どおりにしかしていない」


「ええー、じゃあなんでよ。オレのお願い忘れてた?」


「ボクは忘れたりしていない。他に介入があったのだろう。幸滉ゆきひろ様の持ち物を奪ったあげくに失くすような貴様の足りない脳みそとボクを一緒にするな」


「なんだそれえ、いつ頃? 中学一年? うわガチで覚えてねえ」


「……クソが。ボクがお仕えするのは葛和くずわグループ未来の代表者だ。貴様の優先度など最下位に決まっているだろう。ボクは貴様を誇り高き葛和くずわの方々と同列などと思ってはいない」


「んもうっ、狛左こまざちゃんってば辛辣しんらつカワイイ♪」


 からかいの言葉を投げると、正面の幸滉ゆきひろが冷たい視線を寄越す。


十碼岐とめき、あんまり椎衣しいに絡むんじゃないよ」


「へいへい、すんませんおにぃさま。にしても、んなとこの子どもがどうやってここのバカ高い入学金を払ったんだ?」


 十碼岐とめきの問いに、椎衣しいは嫌悪に顔をしかめながら答えた。


「陸上のスポーツ特待生制度で入学している」


 幸滉ゆきひろ付箋ふせんの貼られたページをめくる。そこには確かに、入学金と授業料の免除に関する契約書の写しがあった。


「スポ特? 息してたのかその制度。全然見かけねえしとっくに撤廃されてるもんだと」


 兎二得とにえ学園では明確に文化部が優遇されている。各大会での受賞歴も多く部費も増大だ。

 一方の運動部は存在しているものの、文化部の影に隠れて冷遇されがちだった。実績の少なさが顧問の手抜きを生み、それが部活動の収縮につながりさらに指導者の不在を呼ぶ。悪循環によって、学園の運動部のほとんどは他校でいう同好会ほどの規模となっている。


 そんな学園がスポーツで特待生を取るなど十碼岐とめきには想像できなかった。学力特待生ならば各学年に一クラス分はいる。だがスポーツ特待生の話は一度も聞いたことがない。


「十年ぶりの特待生だそうだ」


 椎衣しいはそれほど興味がないらしい。どうして今更と十碼岐とめきが首を傾げると、幸滉ゆきひろが思い出したように呟いた。


「ああ、去年陸上部が都大会で良い所まで行っていたから。理事長が欲を出して募集していたような。本当に入学者がいるとはね」


 椎衣しいが瞬時に同意する。


「ええ、さすがのご慧眼けいがんです幸滉ゆきひろ様。今年度のスポ特生は彼女一人だそうですよ。運動部員くらいしか認知していない件だと思われます」


 パタパタと腕と胸を揺らして称賛する椎衣しいから視線を外し、十碼岐とめきはぼんやりと東校舎中庭を眺めた。二階に位置する教室の窓からは生徒たちが外のベンチで昼食を取る姿が見下ろせる。


 梅雨の晴れ間は日差しが強い。中央に生えたケヤキが木陰を作る。その木の中で何かが光を反射するのに気づいて、十碼岐とめきは腰を上げた。


「あぁあ、喉乾いたー。狛左こまざちゃん、ジュース買ってきてぇ。炭酸がいいなあ」


「二酸化炭素だけ吸っていろクズが。気泡わいてるのは貴様の脳みそだろう。自分で行けもしくは逝け」


「ちぇ。つれねえなあ。オレもイジワルじゃないし、仕方ない行ってきてあげようかねえ」


「貴様の飲み物だろうが。なぜ恩を売る側の態度なのだ!」


「げはっ、うわーん狛左こまざちゃんの暴力乙女ー!」


 背中を蹴られて教室から飛び出す。

 十碼岐とめきはそのまま自販機の並ぶ食堂のほうではなく、中庭へと足を向けた。



       ◇   ◆   ◇



 靴に履き替え中庭に出ると、窓から見えたケヤキの根元へやって来た。周囲で弁当を食べていた生徒たちは十碼岐とめきを見ると逃げて行ったので、周囲に人はいない。


「さあて」


 ケヤキを見上げると足を振り上げた。


「よっとお!」


 腰を入れて思い切り幹を蹴りつけた。さほど太くもない幹は振動を伝え盛大に枝を揺らす。さえずっていた小鳥が飛び立ち葉っぱが舞う。そして古い枝と一緒に落ちてくるものがあった。


「ぎゃうっ!」


「おお振ってきた」


 セーラー服に身を包んだ少女が背中から落ちて悲鳴を上げる。十碼岐とめきが近づくと、女生徒は背中をさすりながら飛び起きた。


「何すんの! 蹴ったりしたら木にくっついてたトカゲさんが可哀想──って、あ、あれ? えーっと……とめき先輩?」


 少年を視止め、目を丸くし口をポカンと開けたのは間違いなく今朝の少女だ。

 十碼岐とめきは自分の想像が当たってニヤリと口元を歪めた。


「そうその十碼岐とめき先輩ですよお。朝ぶりだな蕗谷ふきのやつぼみ。ほうら挨拶代わりに先輩が遊んでやろう。くるくるー」


「みゃー!」


「ふはははははは!」


 肩を掴んでつぼみを回転させる。全身を軽く見たが怪我はしていなさそうだ。これなら治療費を請求される可能性はないだろうし訴えられても勝てる。どうやらこの少女、頑丈なようである。そして身体が軽いのかよく回る。体幹も良いようで軸がブレない。まるで駒のようだ。十碼岐とめきは楽しくなってきて、ついでに多めに回してみた。


 すぐふらふらした足取りの少女が出来上がる。


「目が……目が回っ……」


「おお可哀想に。大丈夫かあ? そこのベンチに座ろうな」


「うえっ、ぁい……」


 顔を真っ青にした少女の背中をさすり、近くのベンチに誘導した。つぼみだけ座らせて、十碼岐とめきは立ったまま彼女のつむじを見下ろす体勢になる。


「んでお話なんだけどよお」


 右足で背もたれを蹴り踏みつけにし、つぼみに顔を近づける。覗き込んだ少女はもう普通の顔色に戻っていた。日に焼けた健康的な肌に、微かに香る汗と制汗スプレーが混じった柔らかい匂い。間近で覗いた少女は、いかにも柄の悪い行動をとる十碼岐とめき気圧けおされるでもなく当たり前に見返してくる。


 そんな少女の態度に十碼岐とめきは眉を寄せた。


「なんなの、おまえ。最近感じてた視線はお前だろ。朝といい今といい。木登り大好きなおサルさんかあ? 動物園逃げ出してきたんだな? 保護してやろうかコラ」


「へへ、得意なんです木登り。でもまるでキンシコウのようだなんて。孫悟空には負けますようっ」


「勝手にワンランク上の猿に脳内補完しやがった! おりに帰れストーカー女!」


「なっ、ストーカーじゃありません。べべ別に先輩たちを観察なんてしてませんよ、やだなーあはは」


「じゃあこりゃなんだ?」


「げっ」


 回している間にかすめ取った双眼鏡を目の前に突きつけた。つぼみは露骨にいつの間に! という顔をした後さっと目をそらし指をいじる。


「よく見えるので……」


「何が」


「ぁえっと、…………黒板?」


「お前は双眼鏡使わにゃならんほど視力ゴミなのか?」


「ゴミ…………の文字まで見えます」


 転がっていたくしゃくしゃの紙を指差す。何かのプリントらしいが十碼岐とめきには見出しすら読み取れない。


「良好な視力でなによりだなあ。それじゃあお前の座席が木の上にでもあんのかなあ? そんなら双眼鏡必要だもんなあ、ええ?」


「ぐうぅぅ。認めます。お二人の様子をちょっと観察してました。ごめんなさい」


 つぼみはノリの良いタイプではないらしい。すぐ白状してしまう。十碼岐とめきは拍子抜け感を抱きながらも足を下ろして彼女の隣に腰かけた。ここからが本題だ。


「朝のあれ、どういう意味だ」


 つぼみは言った。『お二人のどっちかがわたしの初恋だったかもしれないんです』と。十碼岐とめきはその意味を掴めずにいた。


 意識して声のトーンを落し脅すような口調で尋ねると、つぼみも暗い表情に変わる。しばしの沈黙のあと、少女は意を決したように動いた。


「これです」


 ポケットから取り出したのは緑色の安全ピンのついた緑色のプラスチックの板だった。横七センチほどの長方形で、意外と分厚い。


 見覚えがあるどころではない。かつて幸滉ゆきひろが生徒会長を務め、十碼岐とめきも途中から転入した兎二得とにえ高等学園付属中学の名札だ。


 だがさっきの資料によれば、蕗谷ふきのやつぼみ兎二得とにえ中学にいた経歴はない。


 つぼみが指をずらす。

 そこに彫られた名は、『葛和』だった。


「拾いものなんです。わたしはこの名札の持ち主に救いの言葉を貰いました。たぶん先輩たち兄弟の、どちらかですよね?」


 自身を見上げる期待の視線に、十碼岐とめきは予想以上の面倒臭さを察知して喉の奥で呻いた。



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