第3話 盗賊 そして血祭り

「イルゼ……イルゼ……。私は、イルゼ」


 イルゼはリリスが引くほど自分の名前をぼそぼそと呟き続けていた。

 そして、隣のリリスにこいつ絶対友達いなかったなという目を向けられていた。

 リリスの見立ては間違っておらず、イルゼには友達などいたことがなかった。


 剣聖としての彼女に望まれていたのは、戦う事だけだったから。


「のう、イルゼ。そんなに自分の名前が気に入ったのか?」


 そこでハッと現実に帰ってきたイルゼが、リリスの質問の答えを探す。


「分からない。でもなんとなく、イルゼっていう名に愛着はある」


 なんじゃそりゃとリリスは首を傾げる。

 イルゼは自分でも自分の事がよく分からなくなっているようだった。


 しかし、無理もない。イルゼは五百年もの間、眠りについていたのだから。


「余の力が完全に戻れば、お主の記憶を戻せると思うぞ」


 その言葉にがばっとイルゼがリリスに飛びつく。

 思いのほか喜んだイルゼを受け止めきれず、リリスは地面に押し倒された。



「ほんとに? ――本当に私の記憶を戻せるの!?」



「あ、あぁ。全盛期の余の力をもってすれば、お主の記憶を戻す事など造作もない事よ」


 イルゼがむっと頬を膨らませる。今の会話のどこにイルゼの腹の虫を悪くする言葉が含まれていたのかリリスには分からなかった。


「私の名前はお主じゃない、イルゼって呼んで」


 よほど自分の名前が気に入ってるらしい。

 つい先程までは自分の名前には興味もなく、『剣聖』と言い張っていたのにとリリスは苦笑する。


「悪かったのう、イルゼ。しかし、早くそこをどいてくれぬか?」


 名前を呼ばれ満足そうに起き上がり、リリスに手を伸ばす。

 イルゼの手を借りて立ち上がったリリスは、彼女の笑顔に目を奪われた。


(こやつ……。こんな顔も出来たのか)


 リリスが今まで見てきたような、ただ命令に従うだけの無表情ではなく、年相応の恋する乙女のような顔つきをしていた。


(恋の相手は自分の名前であろうな)


 そのまま二人は他愛もない話をしながら歩き続けた。


 そして数時間歩き続けた所で、リリスが急に立ち止まる。


「イルゼ……もしかしてと思うが街などにも寄らず、故郷に着くまで歩き続けるつもりか?」


「? そうだけど」


 何を言っているの当たり前じゃんいう視線をリリスに向ける。


 対するリリスの顔はどんどん青ざめていく。


「寝る時はどうするつもりじゃ?」


「え、普通に地面に横になればよくない?」


 またも何言ってるのこの人という視線を向けられ、自分が間違っているのではとリリスは洗脳されかける。


 しかし懸命に当然のように繰り広げられる狂気の論理に抵抗し、実にまっとうに反論する。


「い、いや。普通は旅となれば、宿に泊まるものじゃぞ。もちろん野宿となる事もあるじゃろうが、ただ地面に横になるというのはおかしい。――金はあるのだろう? 余は柔らかいベッドで休みたいのじゃ。イルゼも五百年ぶりに目覚めたのだから、ゆっくり休みたいであろう?」


 うーんと悩むイルゼの脳内では早く故郷に着きたい気持ちと、リリスの至極まっとうな意見が、激しい戦いを繰り広げていた。


「分かった。リリスの言うことも一理あるね」


 どうやら今夜は柔らかいベッドで寝れそうだとリリスは内心安堵する。

 イルゼは花の刺繍が入ったポーチからこともなげに、大量の金貨が入った袋を取り出す。


「これだけあれば足りる?」


 イルゼは買い物をした事が無かった為、貨幣の価値を理解しておらず、袋を逆さに振って地面にじゃらじゃらと金貨を積み上げるという乱暴なやり方で大体の量を把握しようとする。


 その行動に仰天したのは、戦争前は人間の食べ物を食べに行ったりしていたため、ある程度は貨幣の価値を分かっているリリスだ。

 魔王なのだから、持ち合わせがないなら人間に対価を払う必要はないという残念な思考回路の持ち主でも、一般的な知識は持ち合わせているのだ。


 少女の二人連れがこんな量の金貨を持っているなどと知れたら、トラブルの元である。


「こんな道端で金を広げるでない!」


「え、どうして? なんで広げちゃだめなの?」


「それはじゃな……」


 もはや常識という点ではポンコツ魔王の方が、人類の希望であり、最終兵器であるはずの剣聖たるイルゼよりも上だった。

 とは言え、イルゼにどう説明したものかと自問するリリスにも、上手い答えが見つからない。


 なにしろ。


(五百年前、部下達にお前は強いだけが取り柄の馬鹿だと言われていたが……いざ本物の馬鹿を目にすると、自分でもこんなに言葉が見つからないとは思わんかった)


 リリスもまごう事なきアホの子であった。


 二人して唸っていると彼女達の上に、影が掛かる。


「ようお嬢ちゃん達。その金、ちょっと俺らにも分けてくんないか?」


 無精髭を生やした男達が彼女達を囲んでいた。

話しかけてきた男だけは腰に下げた剣を筆頭に良い装備をしていたが、その他の男達は、それぞれ上等とは言えないがよく使い込まれた得物を手にしている。

 薄汚れた風体からして明らかに盗賊だ。似つかわしくない荷馬車を連れている事から、どこかで悪事を働いた帰りなのだろう。


「なに? 私たち忙しいんだけど」


 魔王と剣聖の全力をもってしても困難な常識の探求中だった。


「つれねえなぁ。――お。近くで見れば、いい顔してるじゃねえか」


 男は無遠慮に手を伸ばし、イルゼに触れようとする。

 イルゼは咄嗟にその手を払い、嫌悪感を露わにする。


「触らないで」


 イルゼに睨みつけられてもなお、男は余裕の表情を崩さない。

 たかが女二人、どうとでも出来ると考えているのだろう。


「おいおい、そんな事言っていいのか? ――俺は『Aランク』だぞ」


 そう言って男は冒険者カードを取り出す。

 そこには男の名前とAランクという文字が書いてあった。


 偽造防止の魔工インクは、素人目にも見分けがつく。

 そして冒険者ギルドのランクは、すなわち強さの証明だ。


 大抵の場合これを見せれば、相手は大人しく降参してくれた。

 ましてや女二人、すぐにでも言いなりになると男は考えていた。


「なあに、殺しはしねえよ」


 周りの男達も同様で、イルゼとリリスの身体を値踏みするかのように見つめていた。


(なんか背筋がゾクっとする)


 イルゼがぶるッと震える。

 全身が彼等を拒絶していた。


 その様子を怯えと取ったのか、男が歩み寄る。


 イルゼは咄嗟にリリスを後ろにかばうように前に出て、愛剣を抜き、構えた。

 白く透き通るような刀身が、陽の光を浴びてその切れ味を主張するかのように、燦然ときらめく。


「それ以上近づいたら、斬る」


 イルゼが空気を凍てつかせるような冷たい声音で、男に警告する。

 だが男の足取りは止まらない。


「ほら、やってみろよ」


 嘲るように軽く手を上げ、周りの男達も下卑た笑い声をあげる。

 少女の剣を軽く避け、適当に殴りつければ言う事を聞くようになるだろうという確信を持っていた。

 実際に彼等は、そういったやり方で何人もの女を、自分達の欲求を満たす玩具にしてきたのだから。


 男が一歩近づく。

 そしてイルゼは、彼が警告を無視したと判断し、剣を横一閃に振るう。


 

 辺り一面に血が飛び散った。



「え?」


 声を出したのは誰だったか分からないが、斬られた本人ではありえなかった。

 頭部を失った男の体は地面にどさりと倒れ、首が遅れて落ちる。

 滑らかな切断面からは血が流れ続け、荒野を潤していた。


(これがAランクの冒険者? 随分と弱いね)


 あまりの弱さに拍子抜けしたイルゼだったが、元より大した腕でない事は、分かり切っていた。

 それでも、武器を構えたり、回避しようとする動きさえ見せないというのは、彼女の予想外の事であったが。


「次はだれ?」


 顔に血を付けた少女が、剣に付着した血を軽い一振りで振り払うと、人一人斬ってなお、一筋の曇りもない刀身が現れた。

 彼女は淡々と男達を見渡す。


 先程とは打って変わり、たったの一撃で立場は逆転した。

 狩る側だった筈の盗賊達はいまや狩られる側となっていた。


「……お、お前。一体何者なんだ!?」


 それは、決して聞いてはいけない質問であった。

 知らない方が、まだ絶望しないでいられただろう。



「私? ……私はイルゼ。『剣聖』で、『Sランク冒険者』のイルゼだよ!」



 名乗りを上げたイルゼは笑顔で盗賊達を殺戮していく。

 そこには一片の慈悲もなかった。皆、等しく肉塊にされていく。

 怒号も、悲鳴も、懺悔の声も、何一つ耳に入らないと言うように、イルゼは男達を、一振りで一人ずつ斬り殺していった。


 リリスはその光景に悪寒を覚えた。


 一歩間違えれば自分もあの男達と同じ肉塊にされていたかと思うと見ていられなかった。


 決して、血と臓物に気持ちが悪くなったとかではない。

 なにせ、彼女もその手で沢山の人間を殺してきたからだ。内臓がぐちゃぐちゃになるような戦場も経験している。


 だからイルゼのそれに対し、何を言える訳でもない。

 しかし、複雑な気持ちだった。


(傍から見ると、余はこんなおぞましい姿に映っておったのか? ……なんとまあ)


 そして一人を残して全ての盗賊を肉塊に変えた。

 一人残した理由は証言が必要であったからだ。五百年前も、情報を得るために一人は最後まで生かしておいた。



 今も昔も少女のやり方は何一つ変わっていなかった。



「ひ、ひぃぅ」


 男の下半身から嫌な臭いが漂った。どうやら、あまりの恐怖に失禁してしまったらしい。


 情けない姿になって怯える男を無視し、イルゼは荷馬車に目を向ける。


 荷台の幌をめくって覗き込むと、そこには年若い少女達が口を塞がれ手足を縛られて、転がされていた。皆、健康的で豊満な果実を実らせた見目麗しい少女だったが、一様に泣いて、怯えている。

 あのまま盗賊達に連れ去られていれば、彼女達は男達の慰みものになるか、奴隷として一生を終えていた事だろう。


 イルゼが剣を向けると、皆さるぐつわのせいでくぐもった悲鳴をあげて、縮こまり、目を閉じる。


 イルゼは手足を縛る縄を切断していくが、それでもなお少女達は怯えていた。

 今のイルゼは、全身を血で真っ赤に染めていたからだ。


 さらに少女達は、イルゼが戦っている姿は見ていないが、盗賊達の断末魔は聞いていた。


 現場を見ていないのは、不幸中の幸いだっただろう。もしも見ていたら、先の男と同じように失禁していた筈だ。

 今、剣を持って、全身血にまみれた姿のイルゼは、彼女達にとって盗賊達と同様に――いや、それ以上に恐ろしい存在であった。


「リリス、来て」


 怯えられているイルゼに代わり、リリスが彼女達の面倒を見る事になった。

 リリスは決して後ろを見ないように伝え少女達もそれに頷く。

 

 そして、意外に優しい手つきでさるぐつわをほどいていく。

 イルゼはと言うと、乱暴な手つきで男を縛りあげて、荷台の隅に放り込んだ後、体に付着した血を落とす為に近くの川辺で鎧を脱ぎ、水浴びをしていた。


 淡く髪を濡らし、均整の取れた肢体に、瑞々しい肌を晒すイルゼは、驚くほど神秘的で、お伽話に出てくる女神ラフェーティアのような雰囲気を醸し出していた。


 イルゼの沐浴を離れた所で見ていた、リリスと少女達は、女神と見間違うようなイルゼの美しさに見惚れ、息を呑んでいた。


(……綺麗な人)


 それはイルゼに対する少女達の共通の認識であった。


 当の本人は、その視線を気にする事なく、クンクンと自分の身体の匂いを嗅いで、血の匂いが残ってないか念入りに確認していた。


 魔族との抗争の時は、身なりなどを気にしている余裕はなかったが、比較的平和は現世では、イルゼもイルゼなりに清潔感には気を使っているようだ。


「乗って」


 イルゼが御者台に登り馬の手綱を取る。


 馬を扱った事は五百年前にもあった。


 手綱を引くと、彼女達を乗せた馬車はゆっくりと動き始めた。

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