第13話ー⑥


「じゃあ帰りまーす!」


 柊木さんは再度、可愛らしく敬礼をすると来た道を戻るように歩き出した。


 当たり前のようにタクシーは待機していて、後部座席のドアが開く。


「も、もう帰っちゃうんですか?!」


 驚きのあまり、思わず引き止めてしまった。


 柊木さんは「うん?」と振り返ると優しく微笑んだ。


「帰ってほしくないの?」


 ドクンッ──。

 鼓動が激しく脈を打つ。


 一秒でも早く帰る。確かにさっきまで、柊木さんに会うまではそう思っていた。


「うっ……」


 喉元まで出かかる言葉は何故か声になってくれない。


 帰るって言わないと。もう夜遅いから今日は帰るって──。



 気づけば柊木さんは目の前に居た。

 俺の両肩に手を乗せると、そのまま背伸びをして耳元で囁くように──。


「明日もお互い学校でしょ? だめだよ。きっとこのまま一緒に居たら、朝まで眠れなくなっちゃうから」


 その瞬間、耳が亜空間に持っていかれるような衝撃が走る──。


 あ、朝までいったいなにをするって言うんですか!!


 こ、これは彼女のフリ。フリとしての彼女。

 柊木さんは彼女を演じているだけに過ぎない。俺が彼氏のフリをしているように。


 フリフリ。……フリフリ。フリ……フ……リ。


 な、なにをフリフリするって言うんですか!!


 それが本心ではないとわかっているのに、ドキドキする心を抑えられない。


 それどころか──。


 今、また──。

 合体できる距離に居る。


 衝動すらも抑えられない。

 無意識に体が求めてしまう。

 安らぎのゼロ距離マシュマロホールドを──。


 気づいたら柊木さんの腰に手を伸ばしていた。


 まるでブラックホールに吸い寄せられるかのように──。 


「だーめ。これ以上は帰りたくなくなっちゃうから我慢しなさい!」


 腰に伸ばした手はパチンと叩かれお叱りを受ける。


「すっ、すっ、すみません!」


 ハッとして正気を取り戻す。


 でも、目の前の柊木さんは嬉しそうに笑っていた。それは、たいへんよくできましたの花丸満点の笑顔。


 ひょっとして今のが正解だったのか……?

 

 別れを惜しむカップル。それこそが今この場での、彼氏のフリの正解……?


 意図せず無意識に、

 本能に逆らえずしての行動が、正解を引き当てたのだとしたら──。


 こんなのはもう、彼氏のフリじゃない。


 柊木さんに対する裏切りだ……。


 そんな感情が表に出てしまっていたのか、柊木さんは俺の頭を撫でた。


「ごめんね。無理すると続かないんだよ。最初はいいかもしれないけど。……わかってくれるとお姉さん嬉しいかな」


「い、いえ! 柊木さんが謝ることじゃないです! 俺なら大丈夫ですから!」


 大丈夫じゃない。

 このまま彼氏のフリを続けていたら、きっとまたポカを侵す。……お役目を果たせない。


 空元気な返事をするも、柊木さんは見透かすように考える素振りを見せた。


「う~ん。やっぱり、わたしたちにはデネブが必要なのかも」


 その結果なのか、唐突に脈絡もなくおかしなことを言い出した。


 デネブと言えば夏の大三角形。

 アルタイル、ベガ。そしてデネブ。

 七夕伝説だと彦星と織姫が会えるように二人を導くカササギ。恋のキューピッドであり救世主のような存在。


 ついさっき、アルタイルとベガはおやすみメッセージを送る際にネタとして使った。

 そのメッセージのアンサーがあるとしたら、確かにデネブかもしれない。


 つまり、デネブが居ればハッピーエンド。


 なるほど!

 おやすみメッセージの返信を口頭でしてくれているのか!



「そうですね! デネブは欠かせませんね!」

「れんや君もそう思ってくれるんだ! 良かったぁ。じゃあちょっと待ってて」


 そう言うと何故か小走りでタクシーまで戻り、スマホを取り出すと俺宛てにメッセージを送ってきた。


 メッセージを開いてみると、DL画面が出てきた。

 それは位置情報・・・・系のアプリだった。


 なにこれ……? デネブ……?


「それ、家に帰ったらDLして。わたしたちを繋ぐ架け橋。デネブだよ! 会えなくて離れていても、今よりずっと近くに感じられるから」


 正直、なにを言っているのかわからない。

 けど、七夕伝説にちなんでいるのはなんとなくわかる。だからそれっぽい返事はできる!


「ロマンチックですね!」

「ねっ。とってもロマンチック。それがあれば会いたい時にいつでも導いてくれるから。二人を繋ぐ、二人だけのデネブだよ!」


「はい!」


 どうにか話を合わせることはできたけど。


 このアプリのなにがデネブで、どのあたりがデネブなのか全くわからない。


 デネブってなんだ……?


 さも当たり前のように言ってくるので、その答えを聞き返すこともできず。


 別れを惜しみつつも柊木さんはタクシーに乗って帰っていった。


 不確かな、デネブを残して──。







 ☆ ☆ ☆


 結局、家を出てから五分も経たずに帰ってきた。いったいなにに怯え【お出迎え大作戦】などと言っていたのか、柊木さんに対して申し訳ない気持ちになった。


 思えば、柊木さんってこういう人だ。周りに気配りができて、優しくて。その背中にはいつだって羽が生えているように美しくて──。


 いつから誤解していたのだろう。……酒に溺れて虚ろな目をしていた時かな。あのときはお酒臭かったし……。別人だったもんな……。



 ……それにしても、タクシー代が勿体無いような気がしてならない。


「う~ん。やっぱり勿体無い。だって往復だろ。いくら掛かるんだろう……」


 考えごとをしていたからなのか、俺はついうっかり部屋を間違えてドアを開けてしまった。


  「「えっ」」


 ベッドの上で布団に包まりうつ伏せ気味に寝転がっている夏恋と目が合う。


 ……あれ。あれれ。



「ちょっ、ちょっと! 入るならノックくらいしてよ! 出てって!」

「お、おう。悪い!!」


 大急ぎでドアを閉め、廊下へ。


 うっかりしていた。妹の部屋を勝手に開けるなんて、兄として失格……。


 しかも床の下に夏恋の服が転がってたような……。ってことは、布団の下は……。


 まじなにやってんだよ、俺!!

 兄妹二人だけで暮らしてるから、こういうことだけは絶対に! って思って気を張ってたのに……。


 脱衣所で鉢合わせるよりも最低だろ!

 妹の部屋を勝手に開けるなんて!!



「……………………………」



 ……って、待て。

 あれ。あれれ。あれれれれ。



 ここ、俺の部屋だな…………。

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