第2話 予行練習、まじパない!
我が家の階段から天使が舞い降りた。
ゆっくりと階段を降りてくる。
と、最後は二段飛ばしでジャンプ!
「おーまーたせっ! ごめん待った?」
「いや! ぜんぜん! 今来たとこ!」
あ。ミスった。
ここ、うちの玄関だわ……。
「あっれ~、意外とノリノリじゃん! 気分はもうデートだったりして?」
「ま、まぁ……そうだろ。普通に考えて」
「ふふっ。そーですかそーですか! じゃあ行こっか!」
余裕のない俺に対し、夏恋は
いや、だってお前。めちゃくちゃ可愛くなってるし! 初デートだし! こんなの普段通りのお兄ちゃんで入れるわけないだろ!
妹(仮)よ!!
この(仮)にはほとほと困ったものだ。
でもひとたび、玄関を出れば──。
「せーんぱい! ひょっとして可愛い後輩を前にして上がっちゃった感じですかぁ~?」
彼女は妹から後輩にジョブチェンジする。
元々は後輩だったからな。
「せんぱぁ~い」なんて言ってよくからかわれたものだ。
親の再婚で兄妹になったその日に、夏恋は先輩呼びからお兄呼びに一瞬でシフトしたけど、それは家の中だけ限定。外では未だに「せんぱぁ~い」なんて呼び方をしてくる。
たったいま、呼んできたように。
家と外で二つの仮面を持つ。
こいつはこれでかなり器用なやつだ。
そして今度は彼女の仮面まで被ると言うのか!
とはいえ予行練習だ。俺だって負けてられない!
「じゃあいくぞ!」
「ねえねえ先輩、ほら! 忘れてるよ?」
そう言うと手を出してきた。
「……へ?」
「手繋ぐの嫌なら腕に抱きついちゃいますけど? どっちがいいか選んでくーださい」
それはもう選択肢のない脅しのようにも聞こえた。……予行練習を舐めてた。
「ま、まあ彼氏なら手くらい繋ぐよな。わ、わかってるよ」
「なら良かった!」
夏恋の手を取ると、猛烈に指が絡んでくる。俺はそれを必死に阻止した。
「あっれれ~、せんぱぁ~い?」
「……くっ。それはちょっと、まだ早いと思うのだが」
「はぁ。わかりましたよ。じゃあ手の力抜いてください」
「お、おう。おいおいな。予行練習のラストステップにでもとっといてくれ」
「はーい」
と、返事をもらったところで手の力を抜くと──。
「残念でしたー! 先輩は相変わらず甘ちゃんですねー! こんなの第一ステップですよ? やると決めたからには徹底的にやりますよー!」
恋・人・繋・ぎ! 完成!
ひぃ! 予行練習を完全に舐めてた……。
買い物して茶でも飲んで、だべって“楽しかったねー”とか言うのを想像してたのに!
結局その後、カフェで“あーん”をされたり、腕に抱き着かれたりして、俺のライフポイントは家に着く頃にはゼロになっていた。
ほのかに残る、ましゅまろの感触。
二の腕から肘にかけて……柔らかいのが当たってた!!
しかし、家の中では妹(仮)になる。
感情の整理が追いつかなくて、ゆらゆら揺れた心は、とっても忙しい感じになってしまっていた。
でも、こんなのは序章に過ぎなかったことをすぐに知ることになる。
もう、ライフポイントゼロなのに!!
◇ ◇
それは夕飯を二人で食べているときのこと。
今夜はカレーにした。今日は当番無視で二人で作ろうってことで! もちろん最高に美味しい!
俺と夏恋の二人暮らしが成立しているのは、この家事スキルのおかげだったりもする。
お互い子供の頃から鍵っ子で家のことはなんでもやってきたからな。
だから気が合うっていうか、上手いことやっていけてるんだが……。
あーんまではわかる。わかるんだ。
でもいま、目の前ではとってもおかしな光景が広がっている。
スプーンがひとつしかないんだよ。
二人で食卓を囲んで、ダイニングテーブルなのに椅子を並べて座って……!
あぁ、そんなことよりもやはり! スプーンがひとつしかないんだよ!
「俺のスプーンがないみたいなんだけど」
「うん。だって必要ないよね?」
「な、なんで?!」
「お兄はいまわたしの彼氏でしょ~?」
言わんとしていることはわかる。もう既にひとつのスプーンで何口も食べてるから。
カップルって、こんなことするの?!
「ほらお兄! あーんだよ? あーーーーん」
だ、だ、だから!
そのあーんてするスプーンはお前が使ってるやつ! もう何度も使ったけど……。
いや。するんだろうな。
世の中のカップルなら。あーんてするなら……スプーンは二つといらない!
あぁそうだよ。なんてったって予行練習! そう、予行練習なんだから!!
「おう。うまいな」
「そりゃ二人で作ったからね。ていうかこれならお皿もひとつで良かったかなぁ。……うん。次からはお皿もひとつにしよう!」
「そ、そそ……。そうだな!」
「じゃあ朝はおっきなお皿に目玉焼き乗せようねっ! 明日の朝食とお弁当はお兄の当番だからよろしく~!」
「お、おおおおう。そうだな!」
「噛みすぎててかわいんだけど! これから少しずつ覚えていこうねっ。おにぃちゃんっ!」
「ひゃ、ひゃい……!」
うんともへいとも言えずひゃいになってしまった。
予行練習……まじパねえ!!
そうして夕飯を食べ終わり、洗い物を済ませるとリビングでくつろぐのだが……。
「ねえ、なにしてるの? 頭撫でてよ。本当に彼氏なの?」
「お、おうよ……!」
ソファーに座る俺の膝に夏恋の頭がある。
それはまごうことなき膝枕だった。なんかよくわからないけど、俺がしてる感じになっていた。
……予行練習。つまり俺は彼氏。
あれ、なんか頭の中がこんがらがってきちゃったぞ……?
ええーい! もういい! どうにでもなれー!
こいつのペースに圧倒されて言いようにされるのだけは癪に障る!!
彼氏っぽいことを言わなくちゃ……彼氏っぽいことを……。
「可愛い子猫ちゃんだ。頭をたくさん撫でてあげようね」
スリスリ。ナデナデ。
い、いいのか。俺、これで本当にいいのか?
何か間違えてないか? いいのか? いいのか?
「うぅぅ! やればできるじゃん! お兄好きぃー! にゃーん!」
ブワッハ!
か、可愛過ぎるだろうが!
しかし予行練習はそれだけでは終わらなかった。
就寝前の十一時、夏恋が枕を持って俺の部屋に来たんだ。
……え? ……え? …………ええっ?!
「彼女なら同じベッドで寝るのは当たり前でしょ? ほら、腕枕!」
えぇぇえええええ?
「ひ、ひぃぃぃ!」
「なにその雄叫び。お兄まじうけるし。彼女の温もりを覚えるための予行練習だよ?」
予行練習……。色んな意味でやばいかもしれない。しかし、負けてはいられない!
「おいで、子猫ちゃん」
布団をめくってカモーン!
い、いいのか。俺、これで本当にいいのか?
何か間違えてないか? いいのか? いいのか?
「お邪魔しまーす。にゃんっにゃん!」
だから! かわいいだろうが!!
その日、俺は一睡もできなかった。
まんまと夏恋のペースに乗せられてからかわれているような気がするも、俺の腕の中でスヤスヤと眠る姿を見ると、まあいいかなんて思えてしまうから不思議だ。
それはもう可愛い寝顔で熟睡していた。
◇ ◇
チュンチュン。チュンチュンチュンチュン。
小鳥さんたちが
もう、朝か。体感三分だったぜ。
なんて余裕はどこにもない。
寝れなかった。一睡もできなかった。
「ふぁ~あ。ふぁ~」
夏恋は目を覚ますとすぐに俺の異変に気付いた。
「お兄、超眠そうじゃん。寝てないの?」
「ま、まぁ。一身上の都合といいますか。なんというか」
寝れるわけ、ないよね……。
「なにそれ。意味分かんないし! せっかく彼女の温もりを体験させてあげたのに。意味ないじゃん!」
「そ、そんなこと言ったって!」
その温もりとやらのせいで寝れなかったんだよ! と、声を大にして言ってやりたかったが、どうして? などと聞かれたら返答に困るからやめといた。
「……じゃあ今日の夜はわたしが腕枕してあげる!」
「お、おう……? えっ」
それ、もっと寝れないやつ!!
この先が思いやられるなと思いながらも、眠そうな俺を見かねたのか、「まだ少し時間あるから寝ること!」と、俺を残し部屋から出て行った。
今日の朝食とお弁当の当番は俺なのに、夏恋がやってくれたんだ。
色々と小馬鹿にしてからかってくるけど、良い子なんだよなぁ。
それなのにどうして、妹になっちゃったのかな……と、昔に封印したはずの気持ちが掘り起こされてしまうのは自然なこと。
そうしてギリギリまで寝かせてもらった俺は、ダイニングテーブルに腰掛けて、寝ぼけ眼で朝食を食べようとして絶句する。
「はい。あーんだよお兄ぃ~!」
俺のお箸が……ない!!
予行練習。まじパない!!
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