第8話 イノリが通じない剣 ②


 館では、静かな広間でイタルとカスミが無言で対象を見張っていた。今は、自らの尻尾を枕がわりにして静かな寝息をたてている。

 その様子を観察しながら、イタルは先ほどのカスミの苦悶を思う。魔族にはいまだ不明瞭な部分が多いものの、定義ははっきりしている。それは人間の敵であるかどうかだ。イタル自身もそう考えているし、この世界の人々が信仰する神の教えにも魔族を排除することこそが人間の主題なのだとある。

 ただそれが言葉の域を出て、例えば前回のような人間に似た魔族、今回(確定ではないが)のような愛くるしい見た目の魔族に対しては二の足を踏んでしまうのはなぜか。逆に言えば、ジロウのような明らかな魔物に対してはすんなりと剣をふるうことが出来るのはなぜか。

 確かにおかしな話だ。どちらも魔族ということは共通しているのに、斬るときの重みは極端に違う。大剣を持ちながらあまり対象を斬るということをしないイタルより、毎日魔族と対峙しそれを真っ二つに切り裂いてきたカスミの方が、その感覚には敏感だろう。そして、その感覚の違いに折り合いをつけることの出来ない自分に嫌気がさしているのだ。

 優しすぎる性格が災いしているのか、一度魔族を斬る事を躊躇った自分の存在が、他の魔族に対する敵愾心をそいでしまっている。


ガチャリ


 その時、広間の扉がゆっくりと開いた。半分ウトウトしかけていた二人は驚いてそちらを見る。


「! ……ごめんなさい」


 扉の向こうではマツリと呼ばれていた少女が分厚い本を抱えて立っていた。こちらの反応を見て向こうも驚いたのか、持っていた本を落としそうになり慌てて持ち直す。イタルはその姿を見て即座に忠告をした。


「マツリちゃんだっけ、ここは危ないから出ていった方が」

「危なくなんか……ないです」


 そう言い放った彼女は檻と、イタル達を見比べている。


「見てるだけ……駄目ですか?」


 寂しそうな表情でこちらに訴える少女。蒼色の瞳は少し潤んでいるように見えた。


「あまり近づかなければいいんじゃない?」

「そういう問題じゃ……」


 と、言葉を続けようとしたイタルだったが途中でそれを呑み込む。これから檻の中の生き物を処分するかもしれないのだから……という言葉は流石に小声でも口にしてはいけないと思ったからだ。


「あまり近づかないってことを約束してくれるかな?」


 彼女を傷つけないようにありったけの笑顔でイタルは対応したが、無理やりすぎてひきつっているように見えないか心配だった。


「……ありがとうございます」


 ペコリとお辞儀をした彼女は部屋の隅っこにある椅子に腰かけて、手に持った本を読み始めた。


「あれ? それって祈学の教科書じゃない?」


 少女の持っている本はてっきり小説か何かだと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。彼女が携えていたのは「祈学Ⅰ」と題された教科書だった。丁度カスミが必死になって読み進めているものと一緒だ。

 仲間を見つけることが出来て嬉しいのか、(一回りも年下の少女相手にそれを感じるのはおかしいと思うが)カスミは楽し気に少女に近づく。


「……はい、そうですけど」


 突然で戸惑っているのか、少し距離を取ろうとする少女。


「何歳なの? こんな小さいのに、お利口さんなんだね」

「12歳です……あと私は別にお利口さんでもないです」

「そんなことないよ、私も今同じ本使って勉強してるし」

「え? お二人はプレイヤーじゃないんですか?」


 プレイヤーなのに今更祈学の勉強? 信じられないといったふうに二人の顔を見比べる少女。


「いや、プレイヤーだけど、このお姉さんが特別なだけだよ。いい意味でも悪い意味でもね」

「え? 照れるなあ」

「いや、褒めてるわけじゃ……なくもないか。こう見えて剣の達人だからねこのお姉さんは」

「剣……」


 少女はカスミの腰についた刀剣をまじまじ眺める。しまった、武器を意識させてしまったか……? 檻の中の生き物を殺すためにきた人間だと強く認識されてはマズイ。


「見てみたいの?」


 しかし、イタルの考えは杞憂だった。カスミが尋ねると少女は目を輝かせてウンウンと頷いた。

 どうやら好奇心旺盛な子らしく、カスミが刀を抜くと、少女はその鋭い反りに目を奪われている。


「その大きな……剣も武器ですか?」


 今度はイタルの背負った大剣に興味を持つ。イタルはそれに応えて大剣を構えて見せた。


「って……えええええ!?」


 自分の体以上に大きい剣を軽々と構えているイタルに驚いた少女は腰をぬかしている。もちろん軽量化の特性をつけているからこそいともたやすく持ち上げられているのだが、その反応を見てイタルはまんざらでもない気分になった。


「馬鹿力お兄さんなんだよね、イタルは」

「すごい……」

「いや、一応タネはあるんだけどな」


 カスミの茶化しを真に受けた少女はまるで怪物を見るかのようにイタルを眺めている。


「凄いなあ、プレイヤーさんは……いいなあ、私も……」

「マツリちゃんはプレイヤーになりたいの?」

「いえ……そういわけでは、でも……私は多分なれないと思います」

「どうして? 12歳からこんな難しい本読んでるんだもん、簡単になれると思うけど」


 簡単に、と言うカスミだが、プレイヤーは本来祈学や体術に秀でたエリート集団だ。近年、キセキが普及していき相対的にプレイヤーの地位は下がったが、それでも魔族と対等に渡り合える実力になるには相当な修練と才覚が必要だった。浮世離れした感覚を持つカスミが本心でいったのか、それとも少女を励ますために言ったのかどうかは分からないが、どちらにせよ聞く人が聞けば眉を潜ませるような言葉だ。


「私、キセキが発現しないんです」


 悲しそうな表情で少女が言う。

 通常キセキは10代から漸次的に発現するようになっていく。児童学校と呼ばれる12歳までの子供が通う学校では最終学年の生徒は軽いキセキを発動する授業を受ける。稀に例外も存在するが、通常その年までには殆どの子供がキセキを発現するとされているのだ。

 例外は様々な事情があるものの、大抵は「規律を守らない子供」がそうなる。信仰の理念にあるような規則正しい生活の誓い、他人を傷つけない誓い、それらを破る子供はキセキの発現が遅れる。だからこそ世の父母は子を厳しくしつけるのだが、イタルが見る限りこの少女はとても礼儀正しく、その例外に当てはまるような子供ではないように思える。


「学校でも一番最後まで残ってるんです」

「うーん……何か悪いところがあるのかな。ね、イタル、マツリちゃんの詠唱を見てあげたら?」

「え? まあいいけど、でもそんな大層なことなんで出来ないと思うぞ」

「いいんですか? じゃあ私部屋から学習帳を持ってきます」


 そういって駆けだしたマツリは勢いよく部屋を飛び出して行った。


「学習帳? 普通児童学校ならFireみたいな軽い詠唱しかないはずだが」


 不思議に思ったイタルだったが、すぐに何冊かのノートを持ってマツリが戻ってきた。手渡されたノートを開くと、そこには整理された形でいくつもの詠唱例が書き連ねられている。


「すごいな……」


 イタルは感嘆する。ただ炎を発現するなどという次元の話ではなく、少女のノートには炎をどのような規模でどのような場所にどのように発現させるかまでを詳細に表現している。児童学校の水準を遥かに超えている内容だ。ところどころ間違いはあるものの、概ね正しいその詠唱は少女が並大抵の才覚ではないことを伺わせる。


「どう? イタル」

「いや……どうって、Fireみたいな単純なキセキも発現しないの?」


 マツリはコクリと頷く。


「カスミ、この子はお前の100歩先を行ってるぞ……本物の天才だと思う」


 それは冗談やお世辞抜きの本心から出た言葉だった。12歳の時点からこの精度の詠唱を書ける逸材はそうそういない。さらに少女は、イタルでさえ見たことのない文法を使っているのだ。祈学を極めたプレイヤーは自分好みに詠語を崩し改変する、そして自分だけのキセキを発動するのだ。これが正確に発現するかどうかは分からないが、発現した場合彼女だけのキセキとなるだろう。

 高等学校でじっくりと基本となる詠唱をこなした先は、詠唱の改変や短縮という段階にはいる。そこから先がプレイヤーになれるかなれないかの分かれ道になるのだが、少女はこの歳にして既になれるの方向に進んでいる。


「100歩!? それは大袈裟じゃないの?」

「いや、もうちょい差がついてるかも知れない」


 イタルは少女を見つめる。詠唱に間違いはない……が、少女はキセキを発現出来ずに悩んでいる。問題があるとすれば、規則正しい生活を送っていないという一点だが、礼儀正しい所作と折り目の正しい衣服から、少女がそんな生活を送っているようには到底思えない。


「まあ、時期がくればいつか出来るようになると思うよ、正直詠唱に文句をつけるところなんてない。俺も児童学校じゃ下から数えた方がはやいぐらいにキセキの発現は遅かったし」


 イタルはノートを少女に手渡す。


「スタートラインが少しズレたところで変わりはしないさ、人生は長いし、神は誰も見放さない」

「じゃあ私にも挽回の余地はあるってこと?」


 少女を励ましたつもりだったが、なぜか横のカスミまで感銘を受けている。


「だいっっっっぶ遅いけど、まあ、そうだな」


 ノートを受け取った少女はその言葉を聞いてほほ笑む。


「……頑張ります」


 室内の雰囲気は和やかになった。少女の警戒心もいくらか解けて、距離も縮まったように見える。

 しかし、


「……お二人は、プレイヤーの皆さんは、この子を殺すんですか?」


 という少女の言葉で、二人は凍り付く。急転直下張り詰めた空気に変わった室内。

二人はその言葉にどう答えるか、脳内で慎重に言葉を選び始めた。




 一方の図書館組は、触手や金色の毛、猫のような顔など様々な条件を組み合わせ検索を続けたものの、どれも空振りに終わり、捜査は行き詰っていた。次なる手掛かりを必死に探すものの、いい案は浮かばず時間だけがただ過ぎていく。


「本当にあの生き物は魔族なんですかね」


 スズの発言は身も蓋もない考えと言えるが、よく言えば逆転の発想というべき考えである。


「……あの生き物が魔族でないと言い切るのは危険や」


 しかし、フキノはそれをぴしゃりと否定した。


「召使いさんを襲った状況は明らかに魔族特有の行動やと思う。攻撃する瞬間が突拍子もないというか、何か刺激したのなら別やけど、それはしてないって話だし」

「女の子を守ろうとしたとかはどうですか?」

「どういうこっちゃ?」

「召使いが女の子をいじめていて、見かねて手を出したっていうことです」

「そんな感じの人には見えんかったけどな」

「人は見た目によりませんからね」

「それは魔族も一緒やで、そもそもじゃあなんで討伐の依頼をよこしたんやって話になるし」

「確かにそうですねえ……」


 スズは椅子にもたれかかってため息をつく。


「集中力が切れたんか?」


 あまりに現実味のない発想から既にスズの集中力が切れていることを悟るフキノ。

無理もない、草むらをかき分け小銭を探すような作業が続いているのだ。時刻は三時を回ったところである。日が暮れてしまえば依頼は明日以降に持ち越しとなってしまうため、それまでには何らかの結論を出したい。


「見た目によらない、か……いや、待てよ」

「どうしたんですかフキノさん?」


 今の会話に何か引っかかるところでもあったのか、フキノは突然何かを呟きながら大索引に手をかざしている。


「見た目にこだわり過ぎるのは人間の悪いところや」

「はい」

「金色の毛、可愛らしい見た目、私らはそれに引っ張られすぎてたんや」


 つまりどういうことか、スズは大索引を覗き込む。


「あ……」


 フキノが指定したのは「見た目が個体によって変わる魔族」だった。前日の依頼で戦ったツクマなど、見た目が一定でない魔族も中にはいるのだ。


「なるほど……これだけ見た目で探しても引っかからないならアリですね」

「せやろ、幸い条件と合致する魔族の数も少ない、最後のひと踏ん張りや、これでなかったら一旦諦めよう」

「はい」


 二人は一縷の望みをかけて頁をめくり始めた。そして、気になる魔族はすぐに見つかった。ア行のイの段だ。


「イノリバミ……?」


 急いでいれば見逃してしまうような、小さな項だった。見た目が変わるため挿絵も存在せず簡単な情報しか記されていない。ただし、そこに記されている内容はフキノの視線を繋ぎ止めるのに充分な内容だった。

―――――――イノリバミ 人間に寄生する魔族。活動を人間の祈る力に依存しており、大半が活動を維持できず自然消滅しているとされ、目撃情報は極端に少ない。記録では宿主と定めた人間に似た毛色に変色し、興味を惹かせるという報告が多い。

宿主に寄生している期間のイノリバミはけして宿主を傷つけず、また攻撃的な行動は殆ど見られない。イノリバミにかみつかれ宿主となった人間は、祈りの力を失うかあるいは著しく衰退し、逆に力を得たイノリバミはやがて宿主から離れ暴れまわる。


「……スズ、ちょっとイノリバミっていう魔族に関する本がないか探してきてくれん?」

「イノリバミ……? 分かりました」


 数分してスズは何冊かの本を抱えて机に戻ってくる。


「ありがとう……結構あるんやな」


 机に並んだ本の数は全部で5つだった。大索引の文章量に比べると充分すぎるほどの数に思える。


「寄生魔族ですか」


 寄生という言葉自体は自然界にありふれる現象であり、二人は勿論知識としてもっているが、寄生魔族という単語は聞きなれないものだった。

 イノリバミの記録と簡潔な題名の本を開くと、ある家庭の子供に取りついたイノリバミの記録が淡々とした文章で並んでいた。体毛は茶色、狸のような外見で毛深い。子供の年齢は15歳で学び盛りの時期だったが、突然思うようにキセキを発現することが出来なくなった。その、狸のような生き物をただの生き物として観察した家族の記録と、魔族であると確証を持ってからの学者の観察記録と、主に前後半で構成された本だ。


「女の子はたしか金髪でしたね」

「ああ、せやな……」

「で、触手で召使いさんを攻撃したのは勉強をしていた時」


 その勉強が一体何の分野だったか……二人は黙って顔を見合わせる。


「急ごう」


 机の上に並んだ本を抱えて立ち上がるフキノ。


「あ」

「どうしたん?」

「いえ……この記録の最後、イノリバミを殺した翌日……宿主となった子供も息を引き取ったってあります」







「……お二人は、プレイヤーの皆さんは、この子を殺すんですか?」


 まだ魔族と決まったわけではないからそれは分からない、と答えようとしたイタルだったが、この子はとても賢い、きっとその先のことを訪ねているのだろうと感じ、言葉を呑み込んだ。何も害を与えていないように見える大人しい魔族を殺す理由、彼女はそれを聞きたいのだ。

 魔族だから殺す? 信仰の教義とされているから殺す? そんな考えになれれば幸せなのだろうが、実際のところ人間は全員がそこに行きつけるほど単純ではない。魔族を心の底から憎み徹底的に排除したいと思う人間もいれば、一転恨みはさほどないが名誉や利益のために魔族を倒す人間もいるし、カスミのように魔族を斬る事自体に敏感になり悩む人間もいる。

 ただ、それらはどれも魔族と向き合うという点で一緒なのではないかとイタルは考えていた。カスミの見た目に左右されるのは何故か? という悩みも後ろ向きにはおもえるが、様々な魔族がいるという現実ときちんと向き合えている証拠だ。

 では、目の前の少女と、今の自分たちはどうか。檻に入れられた生き物から目をそらさずきちんと向き合うことが出来ているのだろうか?


「殺すか殺さないかでいえば、俺たちはこの生き物を、いや……魔族を殺すよ。絶対に」


 少女の目を真っすぐに見つめ、イタルはそう答えを返した。少女は口を真横に結びイタルをの答えをしっかりと受け止めた。


「魔族は人間の目の届かないところで生まれる、それは知ってる?」

「はい、学校で教えてもらいました」

「それは逆に言えば人間が目を背けたくなるような何かから魔族は生まれるってことだ。だから、俺たちプレイヤーは魔族からなるべく目をそらさないように、力の限り日々戦っているんだと思う」


 少女への助言か、それとも自分への戒めか、イタルはゆっくりと言葉を紡いだ。


「だから、俺は、いや俺たちは、この魔族を殺す。正体をよく確かめてからだけど」


 覚悟を決めたイタルはもう一度繰り返す。少女はその言葉に眉一つ動かさない。


「だから何か俺たちに話してないことがあれば教えてくれないか? この檻の中の生き物について、君がもし目を背けてる何かがあるなら、俺たちはそれを知りたい」


 それを聞いた少女は頷いてゆっくりと口を開いた。


「この子は、家の裏山で見つけたんです。父にキツく止められてましたが……凄く落ち着くところで、たまに内緒で山に入ってたんです。ある日弱っているこの子を見つけて、自分と同じ金色の毛並み……思わず家に連れて帰ったんです。私、学校のみんなとは家が離れていて友達が少なかったから、代わりに動物を飼って一緒に遊びたいって思ってたんです。けど、一回親に反対されてからどうしてもそれを言い出せなくて、この子を連れ帰った時も黙って部屋に入れて隠れて飼ってたんです。ヨスガ……家の召使いにはバレましたが、一緒に隠し通してくれて……でも、そのせいでヨスガは怪我をしたし、そのことを知った両親になぜ黙ってたのかってひどく叱られて、クビにするって」


 全部私が悪いのに、と付け足した少女は「私、ヨスガに謝ってもいないです。お父さんやお母さんにも何も説明しないまま……」と項垂れた。


「マツリちゃんは……どうしたいの?」


 カスミが優しい口調で尋ねる。

 少女は少し間を置いてこう答えた。


「ヨスガに謝りたい、それでお父さんとお母さんにきちんと説明します……その上でこの子が魔族ということが分かれば、プレイヤーさん、この子を殺してください、お願いします」


 その声は少し震えていたが、迷いは無かった。

 二人は黙ってうなずく。この子はきっとしっかりした大人になるだろう、キセキが発現出来るようになれば一流のプレイヤーにだってなれるかもしれない。


バキッッッ!!! ガシャァァァァン!!!


 その時だった、少女の背後で何かの壊れる音が響く。


「!?」


 ――――――金色の触手の塊が蠢き、檻を破壊している。それを認識した瞬間、イタルはその塊から伸びる触手につかまれガラスの窓に勢いよく叩きつけられる。


ガシャァァァァン!!!!


 何が起こったか分からぬまま、緑の芝生に転がったイタルは状況を整理する。


(檻の中の生き物……いや、魔族が急に暴れ出した!?)


 唐突すぎる魔族の覚醒に防具を何も身に着けていない状態だったイタルは痛みですぐに立ち上がることが出来ない。


(だけど、何で"俺"なんだ? 檻に一番近づいていたのは少女だったはず)


 油断していたせいもあって、少女が檻のそばに近づくのを許してしまったイタル。もし、魔族が一番近くにいる少女を狙っていたら大変なことになっていただろう。しかし、魔族はそれをしなかった。ただの偶然か、それとも……?


「ど、どうしました!?」


 庭の向こう側から勢いよくかけつけてきたのは召使いのヨスガだった。


「すいません、急に魔族が暴れ出して……マツリちゃんを連れて二人はどこか安全なところに!」

「は、はい!」


 すぐに駆けだした召使いと入れ替わる形で、割れた窓からうぞうぞと蠢く触手の塊が飛び出てくる。先ほどの檻より大きく成長している、大きさはすでに人間以上だろうか。


「イタル、大丈夫!?」


 玄関から飛び出てくるカスミ。イタルの姿を見つけ安堵すると同時に、肥大化していく塊を見て警戒を強める。


「もう、やるしかないね……」


 ここまでくればこの生物が魔族であることは明らかだった。先ほどの愛くるしい姿とは打って変わって、長短ある無数の触手それぞれが、まるで餌を求める魚のように動き回っている。

 カスミは刀を抜く。一本の触手が勢いよくカスミに向かってくる。引き付けて引き付けて、すんでのところで体を半身にしたカスミは触手を後ろに受け流す、それと同時に刀で触手を切り離した。ボトリと落ちた触手は不思議なことに、数秒してから霧のように消えていった。


「カスミ、待て!」


 イタルは魔族に近づいていくカスミに待ったをかけた。

 ――――――痛い、痛いよ……やめて、お願い……。

 おそらく少女のものであろう悲鳴が館から聞こえてくる。そしてそれに呼応するように魔族の肥大化が進んでいるように見えた。先ほど自分を攻撃した時もそうだ、召使いを攻撃したときもそうだ、魔族は明らかに少女を攻撃できない理由がある……。

 そしてそれは少女にとっても同じなのではないか。カスミが触手を切り落とした時点からだ、悲鳴が聞こえるようになったのは。

 この魔族の生死と彼女の生死は現在繋がっているのではないか。恐ろしい発想ではある、そんなこと万に一つもないと思う。だが俺は……


「カスミ! 一旦攻撃するのをやめろ! ヤバイ予感がする!」

「どうして!?」


 その言葉にきつく睨み返すカスミだったが、集中していたのか少女の悲鳴に気づいておらず、イタルの言葉でそうやくそれを認知したようだ。イタル同様、異常を察知したのか、静かに刀を鞘に納めて魔族の様子を伺う態勢に入った。


「なるべく攻撃をかわすだけで様子を見よう、まだ分からないことが多すぎる」

「私はいいけどイタルは? せめて鎧だけでも……」

「いや、ダメなんだ、あの鎧は攻撃してきた相手を傷つける能力がある」


 不幸なことに今回イタルが持ってきたトゲトゲの装備は、見た目通りというべきか触れた相手に傷をつけるイノリが込められていた。


「そんな……流石にシャツ一枚じゃ」

「大丈夫だ、大剣の能力でなんとか凌ぐ」


 イタルは手早く大剣にイノリを捧げる。回避、俊敏性の向上、これらを中心に能力を組みなおす。しばらく大人しかった触手は「やめて!」という悲鳴に呼応して、何本かの触手を周りに伸ばす。一本はイタルの方に伸びてきたが、イタルはそれを余裕を持ってかわすことに成功した。


「よし、これなら何とかなりそうだな……」


 ヒヤリとしたイタルだが、この速度であればかわせないこともない。


「すいません、お嬢様が……!」


 玄関から血相を変えて飛び出してきたのは、苦しむ少女を腕に抱えた召使いだった。ひっ、と蠢く触手を見て声を漏らす。


「医者に行った方がいいかもしれません!」


 なお襲い掛かる触手をかわしながら、召使いに言葉をかけるイタル。


「でも、助けは……」


 助けとはおそらく街に常駐している王遣隊のことだろう。勿論頭数が増えた方が、この魔族に対処しやすくなるのは明らかだ。しかし、プレイヤーズの依頼に王遣隊が介入する事態は、著しくプレイヤーズの名誉を損ねる。

 このぐらいであれば助けを呼ばずに何とかできる……イタルの中には若干の驕りがあった。


「いえ、こっちは大丈夫です! それより早くマツリちゃんを病院へ!」


 まだ不安そうに二人の戦士を見比べている召使いだったが、腕の中でさらに苦しむ少女を見て意を決したのか「すいません」と言い残して屋敷を出ていった。


「よし」


 その姿を見送ったイタルはさらに大きくなった触手の塊を睨む。


「かかってこい!」


 確実に大きく、そして触手も鈍い型からどんどん鋭くなっていった。

 プレイヤーズは何からも目をそらさない……イタルは自分が目を背けている事実など何もない、そう考えて触手の塊と対峙した。





「イノリバミ? 聞いたことはあるけど……本当にいたのね、ほら話に近い魔族だと思ってた」

「まだ確定したわけではないですけど、その可能性が高いと思います」


 颯爽と街を駆ける馬車の中には、フキノとスズ、そしてプレイヤーズ・ハルドナリ二番隊隊長、タタミ・ハナビエが同乗していた。


「非番の日にすいません、タタミさん」


 フキノ達は図書館を出て馬車の中で本を読みこむ最中、イノリバミを宿主を傷つけることなく倒す方法を発見していた。それはイノリバミを傷つけずに無力化したのち、宿主に数か月間のイノリを禁ずるという方法だった。

 もしイノリバミが暴れ始めていた場合、三番隊ではそれを抑えることが難しいと踏んだフキノは、無力化することを実現できるのはハルドナリでもこの人ぐらいだろうと、非番であったタタミ・ハナビエの自宅によって、彼女を連れだしていたのである。


「いいよ別に。非番の日の出勤は法的にたっかい手当がつくから」


 ケラケラと笑うタタミ。穏やかな見た目ではあるが、その本性はどぎつい銭ゲバ。フキノはハルドナリに赴任して以降、どうにもこの隊長のことが掴めないでいた。

スズはそんなタタミの一面を見るのが初めてなのか少し驚いたように見つめている。


「で、大丈夫なの?」

「そう願いたいです」

「あそこに見えてるの、イノリバミじゃない?」


 馬車は湖のほとりを走り、依頼主の館がある丘にさしかかっているところだった。タタミが指さす方には、綺麗な色とりどりの屋根に交じって、遠くの方にウネウネと動く金色のなにかが見て取れた。


「嘘やろ!? アカン、御者さん飛ばして! 飛ばして!」


 焦ったフキノは突如として訛りをあらわにし、窓から身を乗り出して御者に大声で伝える。


「イノリバミがあそこまで活発化してたら、流石に二人とも手を出しているんじゃないかしら」


 驚くぐらい冷静なタタミだが、彼女は鞄からキセキの媒体である水晶を取り出して戦闘の準備に入っている。


「いえ、それはあまり心配していません……二人とも賢い子です、何かの異常を悟って様子を見ていると思います」

「じゃあなんでそんなにあなたは焦っているの?」


 何故、何故だろうか……フキノは反射で窓にうつった自分の顔を眺める。顔の部分部分が強張っていた。何か、嫌な予感がするのだ。イタルもカスミも頼りになる隊員だ。穴はあるが、それを補って余りある長所がある。

 先週のアガタザルの一件はイタルなしで成立しない依頼だった、他にもイタルがいて良かったと心から思える案件がいくつもあった。はじめは不安になるぐらい戦闘能力に乏しかったイタルだが、はじめから見捨てるのも違うと思い彼の意見に耳を傾けた。イタルの発想は斬新で柔軟だ、時に思いもよらない角度から解決の方法を提示してくれる。そんなイタルを日が進むにつれ私はだんだんと信頼するようになり、彼もまたその信頼に応えてくれていると感じていた。

――――――だが、イタルは危うい。心のどこかに他の人間とは違う色の闇を抱えている。その闇の全てを見たとは思わないが、イタルに時々現れる自分をかえりみない無謀さが、何か暗い過去に起因しているのではないかと思っていた。

 それは言い換えてみれば勇気とも言えたが、キセキを誰でも扱えるようになった今の時代では、代わりがいくらでもいる。一人が発する誇りに溢れた勇気でさえ人々は蛮勇といいかねない時代なのだ。


「無茶だけはするなよイタル……」


 いつの間にか不安が口をついて出るが、そのことに自分も、また馬車に同乗する二人も気づいていなかった。



「でかいっすね……」


 館への坂道を上る道中、イノリバミであろう触手は二階建ての館を越そうかというほどの大きさだと分かった。時々その触手が狂乱するように振り下されているのを見て、スズはいてもたってもいられなくなった。


「御者さん、念のためです、ここまでで大丈夫です」


 フキノは颯爽と馬車を降り、坂道を駆け上がった。遅れてスズとタタミも続く。



「おい、二人とも!!」


 屋敷の敷地へ足を踏み入れたフキノは、無残に荒らされた庭を見て言葉を失う。手入れされていた花々はあちらこちらに吹き飛び見る影もない。


「……!!」


 フキノはその悲惨な情景の中、ボロボロになった二人の影を見つけた。カスミはまだかろうじて意識があるように見えた動きだった、イタルの方は……。


「おい、イタル! イタル!」


 急いでイタルの元に駆け寄るフキノ。自分たちが館を離れた時のままの薄着のシャツは、もはや衣服としての体裁を保っておらず無残にもずたずたにされている。鋭い刃のような触手をなんとか回避しながらイタルの元に辿り着いたフキノは、その痛ましい姿に様々な感情が湧き出てくる。


「……フキノ……さん……」

「馬鹿! イタル! なんでやねん、そんなうっすいシャツでアホぉ!」

「とげの……鎧……」


 消え入りそうな言葉で返事をするイタルだったか、そこで力尽きたのかフキノの方に倒れ込んでくる。


「なんで助けを呼んでないんや、王遣隊でも何でも呼べばええ! 隊の評価なんてどうでもええ! クソっ、私のせいや……私の……」


 倒れるイタルを受け止めたフキノ、その異常な熱の帯び方に何本かの骨が折れているのではないかと察知する。


「フキノ、反省してる暇があったら他にやることがあるでしょ」


 遅れてやってきたタタミは狼狽するフキノに声をかける。


「カスミさんの方はまだ動けてるけどそろそろ限界が来そうだし、ここは私とスズさんに任せてあなたは治療に専念して、得意でしょ」


 その言葉にハッとしたフキノはすぐさま手帳を取り出す。治癒のキセキはあくまで応急処置で、本格的な治療は病院で行うのだが、怪我をした直後にやるとやらないのとでは大きな差がつく。

 キセキが人間を対象として選べないという法則は、人間同士の争いを防ぐことには大きく貢献しているが、一方で人間を治療することには大きな制限をかけていた。

何故なら「人間を回復させる」という単純な詠唱は行うことが出来ず、あくまで本人の体の器官を詳しく指定する必要があるからだ。

 それを現地で判断することは至難の業だが、フキノはそれを得意とする。もともと長耳族は治癒の力に精通していた種族とされているが、その特徴を彼女は大いに受け継いでいた。


「手遅れにはならんでくれよ……」


 イタルの傷を見比べながらまずどこを治せばいいか優先順位をつけていく。一番ひどいのは右足だった、今まで立ち上がっていたことが奇跡だと思えるほど……。フキノは色々と言いたいことを呑み込み、淡々と治療を始めた。


「しかし、信じられない……こんな獲物相手によく手を出さず粘ったわね……でもおかげで報酬は弾みそう。カスミさん! もう少しだけ踏ん張れる!?」


 二階建ての館を越そうかという大きさのイノリバミを見上げて愕然とするタタミ。


(この魔族をたった二人でここで足止めしていたの?)


 よっぽど集中していたのか、カスミはその言葉に反応を返さず依然として触手をかわし続けている。何発かは衣服を奪い去っていくが、致命傷は免れているようだ。


「スズさん、なるべくアイツを動かさないように大きめのキセキで敬遠して、少し時間がかかるから。くれぐれも本体には当てないように」

「は、はい」


 大きく傷ついた二人の姿を見て今にもかけよりたかったスズだが、そうする暇もなくタタミの鋭い指示が飛んでくる。タタミは水晶に念じるように、低い声で詠唱を始めている。時間がかかるということはそれほどの大技なのだろうか。


(岩……じゃ、ダメだよね傷つく可能性があるし……なるべく、粘り気のある土……)


 少し難しい詠唱だったが、スズはすぐさま土のキセキを発動する。館ぐらいの高さはあろうかという粘り気のある土塊をイノリバミの周囲に出現させて、行動を制限させる作戦だった。それは直ぐに破壊されてしまったが、破壊されたところから新たに土塊を出現させて攻撃の手を緩めさせる。

 そのおかげか今の今まで攻撃をかわし続けていたカスミに余裕が生まれた。そして、その余裕で緊張の糸が切れたのか、地面に倒れ込むカスミ。


「カスミさん!!?」

「ご、ごめん……大丈夫」


 直ぐに立ち上がったカスミだったが足取りはおぼつかない。


「こっちに! 速く!」


 カスミの元へと近寄ったスズは、肩を貸して安全圏まで避難させようとする。こんなにボロボロになるまで……カスミの状態を間近で見ると、衣服が破けているのはいつも通りだが、その下の肌にもたくさんの傷がついている。カスミがここまで敵に接触を許しているのを見るのは初めてだった。


「スズちゃん、危ない」


 その時、肩によりかかっていたカスミは急に力を入れて、スズを押し倒した。


「きゃっ!」


 そして、倒れ込んだ二人の頭上を触手がうなりをあげて通過する。完全に後ろを向いていたのに何故攻撃が分かったのか。スズは最早瞬発力という言葉では説明できないカスミの能力に驚愕する。


「カスミさん? カスミさん!?」


 しかし、カスミもついに力つきたのか、スズに乗りかかったまま言葉を発さなくなった。次の攻撃が来る前に速く……! 力仕事は苦手だか気合を入れてカスミを背負い、触手の魔の手から逃れようと必死で歩を運ぶ。


「Black Water Park」


 その時、屋敷の庭に低く禍々しい声が響いた。タタミの詠唱だ、とスズはこの時まだ気が付いていない。

 突然イノリバミの足元がどす黒い沼に変化し、そこからいくつもの枯れ色のツタがや草木が生えてきた。日の届きにくい冬の森、生気の感じられない灰色の草木だ。

 その草木に触手をとられたイノリバミはもがき暴れた。しかし、もがけばもがくほど体は沼に沈んでいき、草木に触手が絡まっていく。金色の触手と灰色の草木が幾重にも絡みつき、まるで段染めされた毛糸のようになっていく。徐々にイノリバミの動きは弱まっていったが、タタミはそこで油断せずにさらに詠唱を続けている。そこで始めてスズは、この悍ましくも幻想的な光景が一人の人間の手によって創り出されたのだと理解した。

 しばらくしてイノリバミは活動を完全に停止する。金と灰の対照的な二色が混ざり合った巨大な塊が、金色が魔族で灰色が人間の生み出したものだとは、現場に居合わせたもの以外知る由もないだろう。

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