私と医者

医者の憂鬱



「亜朱……か」


 俺は、この子のことを知っている。


「亜朱なんて個性的な名前、忘れろっていう方が無理だろ。それに先生が自慢していた愛娘だもんなぁ」


 はぁ、とため息をつく。俺は医者。だからこそ患者は助ける。できることがあるなら、最後の最後まで足掻く。それが先生から教わったことでもあった。


 もう少し、あの時の少女の病状が違っていたらこんなにも狂わなかったのかもしれない。でも、もう彼女はいないし、亜朱はここにいる。


 詳細の経緯は知らないけど、それでも大体予想はつく。


「この子の人生はこれからどうなるんだろうな」


 皮肉のようにつぶやいたその時、スライドドアが勢いよく開き一人の看護師が部屋に入ってきた。


「水野先生! あの513の患者さんが!! 」


「分かった。すぐ行く」


 あの時の感情を沈めながら、急いで病室に向かう。俺は医者なんだという誇りとともに。


 

 病室に着くと、ベッドの上で一人の少女が泣いていた。


「亜朱さん、大丈夫ですか」


 泣いている少女に話しかける。でも、何かがおかしい。口を開けたり閉じたりするけれど、声が聞こえてこない。


 声が出ない、のか? まだ分からない。でも、だからこそ、涙の方を先に触れることにした。 


「どこか痛みますか? 」

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