島と族長と原始人と

第1話 原始人にまつわる裏事情

 燦々と照り付ける真夏の太陽と、絶え間なく響く潮騒と嬌声。


 むせ返るような潮の香りに包まれた僕は、眼前でグツグツと煮え滾る巨大カニ鍋をグルグルと掻き混ぜた。


「……そろそろ完成かな?」


 甲羅を満たすスープを銀のおたまで掬い、火傷に気をつけつつ味見してみる。

 カニ身だの貝だの海藻だのを適当に放り込んだだけなので、何ともごちゃごちゃな味だけど……どれもとびきり新鮮だから、まぁ美味いことは美味い。


「お〜い、出来たよ!」


 大声で呼びかける相手は、波打ち際ではしゃいでいる肌も露わなお姫様。

 すなわち……相変わらずの原始人ルックを身に纏い、時折雄叫びを上げながら石槍で魚を狙っているエレノア姫だ。


 ……僕が彼女を助けてから、早くも二十日が過ぎていた。


     ◇


「……ごちそうさまでした」


 美しい所作で手を合わせてみても、呆れるほどのお代わりと盛大なゲップの事実は消えやしない。

 とはいえ、そんな事を指摘したところでまた殴られるだけなので、僕はいそいそと後片付けを始める。


「本当に、もうすっかりお元気になられたようで……」


 空になった甲羅の脇には、焼き魚に使った串が大量に散らばっている。

 僕には二本しか分けてくれなかったので、当然残りは彼女が平らげたものだ。それも、全部骨ごと。


 神酒を飲ませても意識を取り戻さず、一時はもう駄目かと思ったけれど……今はこのとおり元気そのもの。

 此処に辿り着くまでに辛い思いもしてきたようだから、ワガママが激しくなってきたのも、むしろ良い兆候なのかもしれない。


 そんな事を考えて僕が微笑む一方で、当のお姫様は途端に不機嫌になる。


「……敬語」


 彼女を救った褒美として、僕には愛称で呼ぶ栄誉とタメ口をきく権利が下賜された。

 当然、ありがたい褒美を蔑ろにすれば、その高貴なる拳によって厳罰が下される。


「……ごめんよ、ノラ」


 粗末な毛皮に身を包むのは、上品さと気高さを損なわない生まれついての淑女。

 そして、もう一皮剥いてみれば、兄譲りの脳筋思考と兄以上の理不尽と横暴さ。


 ……やっぱり、とことん反りが合わない相手だ。


     ◇


 デザートのフルーツ盛りを食べ終えたところで、僕はノラの正面に座って居住まいを正す。

 ここからは、おふざけ抜きの真剣な話……つまり、今後のことについての相談だ。


「もう体調も万全みたいだし、そろそろ動こうと思うんだけど……どうかな?」


 大凡の方針についてはすでに話しているけれど、細かい相談はまだまだこれから。

 彼女自身にも覚悟を固めてもらわないといけないし、僕が望む協力の対価についても交渉しなければならない。


 気持ち良く微睡みかけていたところを邪魔されて、ノラはまたも大人気ない膨れっ面。

 しかし、僕が引く様子を見せずにいると、軽く溜息をついてから真っ直ぐに見つめ返してきた。


「ええ、分かったわ。貴方を信じて……全て任せる」


 さほど長くもない付き合いだけど、ノラの考えている事はよく分かる。

 ……力強く頷いているくせに、信じてもいないし分かってもいない。ただの思考放棄。


「あのね……」


 僕は大きく溜息をつき、もう一度最初から説明することにした。


     ◇


 まず、ノラの出自は、いわゆる伯爵令嬢。

 僕の友人であるルロイの腹違いの妹で、かつて強引にお見合いをさせられた相手だ。

 ブラコンで肉体派の彼女から軟弱者と罵倒され、売り言葉と買い言葉の末に取っ組み合いの喧嘩になったけれど……まぁ、それはさておき。


 お父上の領地にある別邸で、お母上とふたりで暮らしていたある日。

 彼女のお母上は、突然下された勅命により王宮へと召還されてしまう。


 政務に関わりのない人間に勅命が下るなんてことは、異例も異例で普通はあり得ない。

 意味が分からず、彼女が混乱の最中にいると……直後、今度はお父上の命令により、彼女自身が修道院に幽閉されてしまった。


 それでも、彼女はいずれ事情が明かされると信じて、大人しく引き篭るつもりだったらしいのだけど……またまた直後、修道院は何者かの襲撃を受ける。

 使用人達が身を挺して守ってくれたおかげで何とか危機を脱したものの、彼女はその後の行動に困ってしまった。


 ……立て続けに起こった謎の事件に、お父上は関与していないのか?

 果たして、このまま信じて助けを求めてもいいのだろうか、と。


 そんな疑念を拭えなかった彼女は、無謀にも単独での逃避行を選択。

 街にも立ち寄らず、野山で狩りをし、樽に潜んで密航して……とうとう、身を潜めるのに最適なこの島に辿り着いた。


 ただ、彼女は集落には行かなかったため、族長から島のルールを聞くことが出来なかった。

 そのせいで、迂闊にも島の奥へと踏み込んでしまい、強力な魔物の群れに遭遇。

 命からがら逃げ延びて、族長の倉庫に隠れたところで力尽きた……という次第だったのだ。


     ◇


 なるべく心の傷に触れないように言葉を選び、丁寧に状況の整理をしてやったにもかかわらず……ノラはキョトンと首を傾げる。


「……ええ、もちろん分かっているわよ?」


 そりゃまぁ彼女から聞いた話を纏めただけなのだから、当然知ってはいるだろう。

 何とも力の抜ける反応だけど……まぁ塞ぎ込んでいるよりはマシかと思い、僕は話を続ける。


「で、君の当面の目的は、身の安全を確保すること。それから、一連の事件の真相を解き明かして、囚われているお母上を助け出すこと……で、いいんだよね?」


 今度はちゃんと理解できたようで、ノラはきちんと意志の篭った頷きを返してくる。


「ええ、そうよ。とは言っても、ここは十分安全でしょう?」


 フルーツ盛りの皿を名残惜し気に見つめる彼女は、早くも堕落者たちの一員になりかけている。


 ……しかし、それでは駄目なのだ。

 もし追っ手が差し向けられていた場合、この島にいては逃げ場はないし、外界と隔絶している此処では事態の解決を図ることも望めない。


「いや、この前も言ったけどさ……お母上の故郷であるクリスタリア領に向かおう。そこで、お母上の縁者を頼るんだ」


 王国北方……つまり、混沌とした前線近くに位置するその土地は、この周辺とは異なる意味での辺境だ。

 国土を縦断するほどの長旅にはなってしまうけれど、身を隠すのならば最善の選択肢。


 一方で、それゆえに追っ手に行き先を予測される恐れもある。

 貴族のご令嬢が単身移動できる土地ではないので、そこまで捜索範囲を広げているかは微妙なところだけど……まぁ、どちらに転ぶかは完全な賭けとなる。


 ご当人の判断を仰ぐべく、そっと視線を向けてみると……


「あら、それもいいわね! 私、一度行ってみたかったの」


 初めて提案を聞いたかのような態度に、あまりにも軽い答え。

 イライラが臨界点を超えた僕は、穏やかな気持ちで水平線を眺める。


 ……まぁ、いいさ。今日の本題はこれからなのだ。


「で、そこまで旅するのに協力する報酬なんだけど……」

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