第5話 波間に揺蕩う自己評価

 荒岩に打ちつける白波と、立ち込める潮の香り。そして、波間に息づく無数の生命。

 海辺という条件は同じでも、砂浜と磯とでは全く違う趣だった。


「ひゃあ!」


 すなわち、僕は巨大カニの大群に追われている。

 大きいと言ってもタライ程度だったので、こんなの楽勝……と、舐めてかかったのが運の尽き。

 今際の際に毒泡と一緒に撒き散らされた断末魔で、次から次へと仲間を呼び寄せたのだ。


「……くそっ!」


 これまで快調にこなしていた密林での活動から一転。

 あまりにも情けない逃走劇に、僕は唇を強く噛み締める。


 魔物の生態を理解せぬままに不用意な攻撃。

 応戦に転ずる判断の遅れに、使用する魔術の選択の不適切さ。


 僕の実戦経験の不足が、これでもかと露呈してしまった形だ。


「……どうする?」


 大技一発ぶっ放せば一掃できるとは思うので、そこまで切羽詰まった状況ではない。

 でも、まだ隠し倉庫までの道のりは長く、あまり魔力を消費するのはよろしくない。


 さらに言えば、これは新たな戦い方を学ぶ絶好の機会でもあるのだ。

 何というか、もっとこうスマートに……


 そんな具合に次の手を考えながら走っていると、僕は濡れた岩場でズルリと足を滑らせてしまう。


「っ!? ……サイクロン・スフィア!」


 足首に迫るハサミに慌てて咄嗟に行使したのは、反発する風壁を全周に展開する高等風術。

 ……どう考えても過剰な守りで、完全に魔力の無駄遣いだ。


「はぁ……」


 使ってしまった魔力はどうしようもないので、僕は束の間の安全圏内に腰を下ろして気持ちを落ち着ける。


 力不足など、初めから分かっていたこと。

 過去を嘆いたところで意味はなく、考えるべきは未来のことだ。


 ……僕は今何をしているのか。

 ……何のために此処に来たのか。

 ……誰のために力をつけようとしているのか。


 頭に浮かんだ族長の髭面を追い払い、僕は正しい目的と自身の強みを思い出す。


     ◇


 渦巻く風の名残りを活用して、波飛沫を空高く吹き上げる。

 そして、まだ名もなき即興魔術を行使。


「食らえ!」


 風に残った『反発』の残滓を飛沫に移し換え、魔力を上乗せして術理を補強。

 癇癪玉と化した塩味の雨が甲羅を激しく打ち鳴らし、カニどもの進攻の足を鈍らせる。


「もう一丁!」


 続いて行使するは、アクア・ムーブ。

 これは水を創造するのではなく、緩やかに流れを操るだけの初等水術だ。

 畑の水遣りくらいにしか使い途のない、全く攻撃性がない魔術だけど……別にそれで構わない。

 僕はこの磯へカニ退治をしに来たわけではないのだから。


 寄せる大波を束ねて一回転。周囲のカニどもを逆巻く水流で攫い上げ、そのまま纏めて沖合に送り出す。


 そうして出来た空間に、さらにもう一丁の魔術行使。


「……バーニング・サテライト」


 小声の詠唱に込める魔力は最小限。重視するのは威力ではなく、密度と範囲だ。


 僕を中心にしてグルグルと旋回し始める赤熱した石礫は、火と地の複合魔術。

 時折触れる波飛沫がジュッという音とともに蒸気へと変わり、狂騒するカニの群れに冷静さを取り戻させる。


「ふぅ……」


 フレイム・タンと違い、この魔術ならば展開したままの移動が可能。

 あとは焼け石が冷めないよう、時々魔力を追加して温めるだけでOKだ。


「……落ち着きさえすれば、僕も結構ヤレるかも」


 争い事には向いていないとリンジーさんは言っていたけれど、冷静に対処することが出来れば……そこそこイケそうな気がする。


 カニどもの怨嗟に自信を取り戻した僕は、足取りも軽く再び歩き出した。


     ◇


 磯を抜けた先にあったのは、切り立った崖に囲まれた入り江。

 一番奥だけは砂浜になっており、波が被らない場所に一棟の大きな小屋が建っている。


「これを族長が一人で建てたのか……」


 素人らしい雑な造りではあるものの、見たところ頑丈さは十分。

 ここは出荷前の酒や外から仕入れた空き瓶などを納めているだけと聞いているけど、葉っぱの山より住み心地が良さそうだ。


「っ!? ……ドアが開いてる」


 族長が閉め忘れただけなのか……あるいは、多少の知恵がある魔物が入り込んだのか。


 こんなとき無警戒に踏み込んではいけないのは先ほど学んだばかりなので、僕は慌てて岩陰に身を隠して斥候の蝶を送り出す。


 しかし……


「……む、気にし過ぎかな?」


 リンジーさんならともかく、僕の腕前では『動くモノがいれば知らせに帰って来い』という程度の命令しか下せない。


 息を潜めていても胸部の動きに気づけるくらいの感度はあるけれど、完全に身を隠されていたらお手上げなのだ。


「……自分の目で見てみるしかないか」


 僕は迎撃用途も兼ねた灯火を指先に浮かべ、半開きの扉の奥に恐る恐る踏み込んだ。

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