牡丹の婚姻

夢見遼

第1話 蕾

 大学には無数のサークルがある。華やかな男女交流が目的のサークルから、全力で運動に取り組む部活、建前はスポーツをやっていると言いつつ、酒を飲むだけのいわゆる飲みサーなど、多種多様だ。いずれにせよ人生の休暇と名高い大学生活を謳歌するための、素敵なアクティビティなのである。しかしその影でひっそりと、岩の下に隠れたダンゴムシのようなサークルがうじゃうじゃと存在する。陽の当たらない陰気な場所になんの楽しさも無い。が、一瞬でも興味を持ってしまったが最後、岩の下から抜け出すことは不可能だ。そういうわけで僕は今日も、岩の下に引き摺り込まれる。

「おはよう藤原くん。相も変わらず間の抜けた顔をしているね。今日こそ私が活躍できるような、何か面白いことを掴んできたんだろうね?」

「無いですよ、何も。あっ、安倍先輩、首絞まる」

「首絞めくらいではすまないよ。陰陽師である私がその気になれば、君など紙切れ一つでどうにでもできる。蛙のように一思いにやってしまうよ。だから、その前に事件を持ってくると良い」

 顔を合わせて早々、目の前の男に首根っこを掴まれたかと思うと引きずり回され、物置のような空き部屋に押し込まれる。これが岩の下の日常だ。

「いや、普通無いですよ……」

 物置のような空き部屋のドアにはでかでかと墨で書かれた五芒星の上に、朱色の墨で陰陽道好会と書かれている。いくら空き部屋だからと言っても、非公認サークルが大学機関の部屋を不法占拠した挙句ここまでやるのは、さすがに不味いと思う。が、不思議と何もお咎めは聞いていない。触れたくないのかもしれない。当事者ながらその気持ちは充分分かる。「普通の事件は無いだろう。普通では無い事件こそ、わたしが解くのに相応しい。それにしても困ったことだ。このままでは安倍晴明の生まれ変わりという国宝が腐ってしまう」

 先輩はぶつぶつ呟きながら、扇子を開く。そう、何を言っているか分からないだろうが、彼は自分が安倍晴明の生まれ変わりであると信じている。意味が分からないかもしれない。僕もいまだに理解できてない。大学に入りたてほやほやの、期待と不安の入り交じった1年生の春、大学構内に飛び散るビラの鮮やかなファンファーレを避けながら、ふと地面に落ちていた紙が墨で書かれているのに気づき、拾い上げた。それが運の尽き。後ろから肩を叩かれ、「おめでとう!君は選ばれしものだ!」と空き部屋に連行され、自分を安倍晴明の生まれ変わりだと自称する先輩の「今こそ必要な陰陽道」の演説を聞きながら、煌びやかな大学生活の終わりを悟った。さよなら僕のキャンパスライフ。このままカルト新興宗教に洗脳され、高価な壺を買わせられるんだ、何としてでも逃げなければ、とその時僕は一人決意を固めた。 

 

 しかし今日のように、先輩は僕の授業が終わる頃を見計らって、直々に迎えに来る。本当に何か魔術でも使っているようだ。おかげで僕は未だに逃げられたことは無い。まだ高価な壺は買わされてないが、そのうち買わされるはずだ。

「面白い話なんて無いですよ。僕は元々人脈広くないですし、そもそも現代で陰陽道が活かせる事件って何ですか?」

 僕が不平を垂れると先輩は細眉を顰めた。悔しいことに先輩は黙っているとそれなりに顔が良い。もちろんアイドルや俳優のようなイケメンではないが、すっきりと整った目鼻立ちに薄い唇、細眉と涼しげな顔立ちをしている。一生黙っていればそれなりにモテるような気がする。一言も喋らなければ。

「私も君に社交性が無いことは分かっている。だが、そんな弱音を吐くとは、君、それでも私の弟子なのか?這ってでも集めるのが筋だろう」

 先輩はやたら長い髪を指でくるくると巻きながら、ため息をつく。一応のため断っておくが、弟子になった覚えは無い。あと社交性云々に関しては先輩に言われたくない。

「本当に無いですって……。僕の数少ない友達も恋人ができたらしく、彼女にぞっこんで、今は本当に何の情報も得られないんですよ」

 僕は机の上の紙人形を避けて、菓子パンを広げる。決して共に昼食を摂る友達がいないわけではなく、数少ない友達が恋人を得てから疎遠になってしまっただけで、友達がいないわけではない。

「この際、友の想い人でも調べておいでよ。恋愛には物の怪が付き物だ。君も六条御息所や清姫くらいは聞いたことあるだろう。あとは異類婚姻譚などという可能性もある」

 先輩は僕の焼きそばパンを一口齧り、面倒そうに言った。さらっと聞き逃したが、人の友達の彼女をなんだと思っているのだろう。

「とにかくだ。このままだと私の中の安倍晴明が腐る。君の友の想い人が化け物だったら、私が華麗に退治してみせるから」

 先輩は、ほら行った、行ったという意味を表すように、手をひらひらと振った。僕の焼きそばパンは全部食われた。


「荻原〜レジュメ持ってきたけど〜」

 ドアを軽くノックする。 僕は周りの学生と比べたら真面目な方だと思う。授業は毎回出席しているし、最近恋愛にかまけて教室で見かけない友達のために、部屋を尋ねてレジュメを届ける甲斐性もある。いやまぁ同じ学寮で隣の部屋なんだけど。 そう、今日はレジュメを届けに来た。レジュメを届けに来ただけだ。先輩に言われて友達の彼女を探りに来たわけでは、ないのである。本当に。薄い壁を通して聞こえる、友達の睦言に文句を言いに来たわけでもない。本当に。

「おい、荻原って」

 完全に閉まってないドアから明かりが漏れているので、部屋にいるのは分かっている。そこでよせば良いのに、つい魔が差してドアに手をかけた。荻原の声が聞こえる。盛り上がっているのか、いつもの声量より大きく、一音一音丁寧にはっきりと聞きたくも無い甘言がばっちり聞こえる。お前、僕と一緒にいるときは霞の奥から聞こえるくらいにしか、喋らないくせに! 当てつけか? はいはい、なるほど、これじゃノックの音は聞こえないだろう。しかし、相手の声は聞こえないので、電話で話しているのだろう。こんな馬鹿でかい声でお前わざわざ。僕は部屋に戻ったら渾身の壁ドンを見舞うことに決めて、玄関にレジュメを置いて帰ることにした。 そしてレジュメの束を取り落としてしまった。 


「要するに、君の友人の男一人の声しか聞こえなかったはずなのに、玄関に女物の靴が置いてあったんだね」

「ええ」

 その後はすっかり気が動転して、レジュメを玄関に散乱させたまま逃げ帰ってしまった。が、翌朝目が覚めた頃には昨日ほどの恐怖もなく、「これは先輩に話すネタになるぞ!」と意気込んでいたものの、先輩はつまらなさそうに聞いている。

「これは不思議なことだと思いませんか?陰陽道でなんとかなりそうな」

「陰陽道でなんとかなりそうな物の怪の類は、わざわざ靴なんて履かないだろう。それにこれは不思議なことでもなんでもない。つくづく君は想像力が足りないね」

 肩を竦めやれやれと顔を振った。先輩で無ければその場で一発殴ってやりたいほど、嫌味ったらしく完璧な動作だ。

「じゃあ先輩は分かったんですか?僕は友達に女装趣味があった、という予想しか立てられませんでしたが」

「もちろん、分かっているとも。その女性は昨夜、確かに存在していた。君は声が一人分しか聞こえなかった、と言っていたが、それはそうだろう。その女性は喋っていなかったのだ」

 先輩はくるんと回転椅子を回す。キィと回る度に軋むのでかっこよくは無い。

「君は友人の声を、いつもより一音一音はっきり丁寧に聞こえた、と言ったね。読唇術って知っているかい?唇を読むって書くんだけど」

「知ってはいますが」

「そう、耳が不自由な人の中でも程度があって、少しなら聞こえる場合や読唇術を使いこなせる人に話しかけるなら、自然とそのような話し方になる」

君に聞かせたかったわけでは無いだろう、と付け加えられる。何も言い返せない。

「そして、先天的に耳が不自由な場合、同時に発音も苦手なこともある。今は文明の利器がある分、口で言うより機械を使った方が早い。スマートフォンで打ち込んで相手に見せる。これなら発声せずに済むし、場合によってはこちらの方が早い。それで君は声が聞こえなかった。Q.E.D.おしまい。それだけだよ」

 最後に先輩はふんと鼻を鳴らし、それっきり黙ってしまった。耳が不自由であまり話したがらない、そういえば会ったようなある気がする。ぼやぼやと浮かんだ既視感は形にならなかったので、諦める。それにしても、

「やっぱり日常に不思議なことって早々起こらないですね」

 僕がこぼすと、

「だから死ぬ気で探してくれ、と頼んでいるんだよ。私の弟子でいたいならもう少し頑張ってくれても良いんじゃないかな?」

と返された。弟子になった覚えは無いのに。 そんなこんなで結局、ネタは不発に終わった。やはり世の中不思議なことなど無い。そう実感した。そのはずだったのだ。

「先輩!」

 その翌日、僕は珍しく自分から「陰陽道好会」に駆け込んだ。

「どうした?今度こそ私の力が必要な、不思議なのことでも起こったのか?」

「昨日帰ってから、たまたま荻原と会って話したんですけれど」

僕は先輩の目を真っ直ぐに見た。助けてください、という意が伝わるように。


「荻原の、友人の彼女、二階堂弥生は、死んでいるはずなんです」


彼はニヤリと口角を上げた。

「さすがに私も秦山府君は扱いきれないかもしれないが、面白くなってきたね」


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