第24話
「皇太子殿下ではないですか。なぜこんなところに?護衛は‥‥?」
サミュエルは驚いた表情を隠さないままに質問した。
実際、サミュエルは近衛騎士としての職務を放棄してティアナの側にいることを選んだ。その事実がある以上、現時点ではフランネア帝国に戻るわけにはいかない。
マリウスからはプロスペリア王国の王家に仕えてほしいと打診されているが、サミュエルはティアナの選択次第でその話を受けるか否かを決めたいと保留にさせてもらっている。
ティアナの選択を尊重する気ではいるが、個人的にはティアナのためにはフランネア帝国に戻らず、母親のいるこのプロスペリア王国で暮らした方がいいのではないかと思っている。
仲の良い母娘だったとティアナ本人から聞いたのは先ほどのことだ。
母親の記憶から自分の存在が消えてしまって、ティアナは非常に傷付いている。今日のこんな外出程度では気晴らしにもならない程に。
二人で楽しく会話できたように思えたが、会話の合間にふと気がつくと憂い顔で遠くを見つめていたりして、「私では癒してあげられないのだろうか」などと遣る瀬無い思いに浸っていたサミュエルであった。
思い耽って脱線してしまったが、つまりはサミュエルは一応、一度この皇太子殿下が将来継ぐことになっている国を裏切っているのである。
皇家に忠誠を誓っていながら、命令に反して捕まえろと言われた罪人の逃亡をほう助し、今やその人の護衛すら務めているのだから。
だから、ウィルバートが姿を現した時、罪人二人を捕まえるためにやってきたのかと思ったが、その考えがよぎったのも一瞬であった。
なぜなら、彼のティアナの名を呼ぶ第一声と、その声を発する表情が、全身でその相手を渇望しているようにしか感じられなかったからである。
騙し打ちするつもりならもっと兵を率いて来ているはずだろうが、その気配も微塵も感じられないし、何より演技でできる反応の範疇を軽く越えていた。
やはりティアナのことは自分の意思で手放したわけではないようだ。そのことがウィルバートの言動に如実に表れていた。
だが、そんなことは知らない。
誰よりもティアナの味方にならなければならない人間が、一番大事な場面で、誰よりもティアナを傷付けたのである。マリウスでなくとも彼女を愛する人間からすれば許し難いことこの上ないのだ。
ーーこんなところまで急いで会いに来るなんて……私たちを捕らえに来たわけでもなさそうなのに。大方私が彼女とデートしていると知って焦って追いかけてきたのだろう。一歩遅かったけれどね。
「護衛は……フィリップがこの近くにいます。マリア様にティア……ナ嬢の居場所を聞いて、急いで伺いました」
ーー答えになっていない……。
サミュエルはそう思ったが、突っ込みは胸の内にしまっておいた。
一方、驚いたのはティアナも同じだ。なぜ彼がプロスペリア王国にいるのか、訳がわからない。
しかもーー。
「お母様が……?」
考えてもわからないことはわからない。
とりあえず日も暮れるし、ここにいたって仕方がない。王城に帰ろう。ウィルバート殿下はどこにお泊まりなのかしら?まあフィルさんがいるらしいから放っておいても下手なことにはならないでしょう。と即座に頭を切り替えたティアナは、とりあえず帰りましょう、と提案しようとしてサミュエルに顔を向けた。
そうすると目が合ったサミュエルがわかっているとでも言うように、にこっと爽やかに微笑んでウィルバートに視線を合わせた。
「殿下、本日はどちらにお泊まりで?私たちは本日はもう日も暮れるのでお暇させていただきたいのですが」
ウィルバートはムッとした態度で答えた。
「マリア様に王城へ滞在する許可を得ているので、一緒に戻りますよ」
サミュエルは心得たとばかりに頷き、周囲を見渡す。
「馬はどちらへ?フィリップ様と一緒ですか?」
「そうです。少し離れたところに川があったので、そちらで馬を休ませてくれています」
「そうですか。では、お一人でそこまで戻れますね?私たちは先に失礼させていただきますね」
サミュエルは当然のようにティアナの手を取って馬に乗せ、往路と異なり、今度はティアナを腕の中に抱え込むような体勢で前に乗せた。
無論、ウィルバートに見せつけるためである。二人乗りで女性を前に乗せるのはあまり安定しないので、サミュエルは滅多にしないのだがーー。
ーーティアナは婚約解消の時の弱々しくて儚げな雰囲気さえなくなったが、皇太子殿下につけられた傷は深いはずだ。問題を解決してティアナに会いに来たのだとしても、簡単に取り戻せると思ってもらっては困る。彼女の心も私が守ってみせる。ぜいぜい彼女と仲良くする私に嫉妬していればいい。
「では、御前失礼いたしますね」
「失礼いたします。皇太子殿下」
サミュエルとティアナは仲睦まじそうに笑い合いながら去っていった。
ウィルバートは以前とは天と地程の差があるティアナと自分との距離を見せつけられ、しばらくその場から動けないでいた。
◆◆◆
「殿下。ウィルバート殿下。こんなところで突っ立って何してるんです?」
「ああ。フィルか。現実に打ちのめされていただけだ。ティアは……ティアナ嬢は、もう私の婚約者ではないのだな」
フィリップは面倒臭そうに頭をがしがしとかき混ぜながら、ウィルバートの独り言のような呟きを拾って答えた。
「あんたが婚約解消したんでしょうが。自業自得を反省するのは構いませんがね、それにつきあわなきゃならん護衛の身にもなってください」
面倒臭さが口調にも表れていた。
「わかっているんだ。こうなったのは自分のせいで……ティアはとんでもなく可愛くていい子だから誰もが彼女のことを好きになる。あの女嫌いで有名なサミュエル・スペンサーでさえあのように気安く接してしまうほどに……」
言いながらウィルバートは自分の言葉にも打ちのめされて、顔から表情が抜け落ちていった。
サミュエルに向けられていたあの可愛らしい笑みは、かつては自分に向けられていたはずで、自分だけが独占できていたものだ。
誰にも渡したくなかった。いや、これからも誰にも渡せないのだ。
「嫉妬なんてする権利ないんですからね、あなたは。俺はあんたのせいで理不尽にも罪人として連行されようとしていたティアちゃんが心配で心配で……逃げ出してくれて本当によかったと胸を撫で下ろしましたよ。だから俺はあんたの味方はしませんよ。仕事ですから護衛はしますけどね」
フィリップは呆れた顔でそう宣った。
フィリップもウィルバートの遊学に護衛として付き添っていたので、ティアナのことは良く知っている。
その頃から彼女のことを妹のように可愛がっていたのだ。今回のことはフィリップも腹に据えかねている。
だから、自身の主であるウィルバートに従いはしているが、今回の件では味方になるつもりはないことを念押しする。
「わかっている。無論、助けなどいらん。自分の力で取り戻せないと意味がないからな」
無気力な顔をしたウィルバートは、そう言って自嘲して俯きながら、拳だけは固く握っていた。
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