第4話

 ティアナが「住みたい」と言っていたバルコニーから、さらに奥に歩いたところにある一際豪奢な意匠の扉を開けた先にある一室にて。


「それで?その後は?」

「さすがにバルコニーだと人に見られそうだったからね。客室を一つ準備させて運んだ。今は泣き疲れたのかぐっすり眠っているよ。彼女のあんな可愛い泣き顔を他の男どもに見せてやる筋合いはないからな」

「ふーん」

「それにしても婚約前に間に合ってよかった。本当に感謝しているよ。ランディ。それに、トーマスをティアナから引き離してくれたことも。君には助けられてばかりだ」


 ティアナにウィルと呼ばれた男は、クセのないダークブロンドの髪をかき上げ、空色の瞳に安堵の色を覗かせながら彼の目の前のソファーに座る男に心からの謝意を伝えた。


「うん。僕もウィルには幸せになってもらいたいからね。それから、彼女はもうルスネリア公爵家には帰らない方が幸せかもしれない」

「……ティアの頬に治りかけの傷跡があった。それと関係あるか?」


 ウィルの目の前にいるこのランディという男は、クラーク公爵家次男のランドール・クラーク。情報収集に関してウィルが知る限り右に出るものはいない。そして軽薄そうな見た目と話し口に反して至極真面目な性格をした彼は、こういった場面で不必要なことを言う人間ではない。


「僕の知らない間にティアナ嬢から直接聞いたかも、とも思ったんだけどね。まあいいや。僕もさっき彼女の義妹だっていうアマンダ嬢と接触して知ったんだけど……ティアナ嬢、多分ルスネリア公爵家で冷遇されているね」

「……。アマンダ嬢が何か言っていたのか?」

「うーん。いくらアマンダ嬢でもさすがに直接ボロは出してくれなかったんだけど……ドレスがね」

「ドレス?アマンダ嬢のドレスとティアに何か関係あるのか?」

「うん。僕もウィル程近くで見たわけじゃないけどティアナ嬢の姿を確認したよ。……で、気が付いたんだ。それが僕のよく知っている店で仕立てられたものだとね。」

「ああ。アンジェの店で仕立てたドレスだったのか。それにしても、見ただけで仕立てた店までわかるのか……」


 アンジェとはクラーク公爵家長女のアンジェリーナ・クラーク。ランドールの姉である。

 彼女がドレスを愛でる趣味が高じて店を開いたと聞いた時は、あのぽやんとした様子で店が経営できるのかと心配もしたが、センスと人脈を活かしてあっという間に帝国一の人気店にまで上り詰めてしまった。

 昔からアンジェに従者のように扱われていたランディは、姉の店の運営にも大いに貢献したと聞いている。


ーーあの店に詳しいからこそわかったのかもしれないな。うん、そうに違いない。私が不勉強なわけでは断じてない。


 少し昔を思い出し、そう結論づけたウィルは、目線でランディに話の先を促す。


「うん。そう簡単な話でもないんだけど、今はその辺は置いておくよ。まあそれで、アマンダ嬢本人から詳しいことが聞けなかったから、姉上の店に直接問い合わせた。それで、情報を精査して辿り着いた仮定ではあるけど限りなく真実に近いだろう推論が『ティアナ嬢はルスネリア公爵家で冷遇されている』ってことなんだ。」

「つまり?」

「つまり、今日ティアナ嬢が着ていたドレスはアマンダ嬢のお下がりを仕立て直したものってこと。これは恐らく間違いない。

 そしてその仕立て直しは多分ルスネリア公爵家のメイドが担当している。なぜなら、姉上の店に残された記録の中に今日ティアナ嬢が着ていたもののベースになっているであろうドレスを見つけたからだ。もちろんそのドレスを店で仕立て直した記録は残っていなかったよ。ドレスを仕立て直して着回す貴族令嬢なんて普通はいないけど一応ね。

 それと、姉上の店で働いていたお針子が一人ルスネリア公爵家にメイドとして雇われている。その女性がアマンダ嬢のドレスに手を加えたのだろうね。ちなみにアマンダ嬢が今日着ていたドレスも記録にあったよ。もちろん最新のものだ」


 ウィルは眉間に皺を寄せた。

 ーー妹は一流店の最新のドレスを着られるのに、姉は妹に合わせて作られたドレスを仕立て直して着ているとは……。


「きっと今まで最初からティアナ嬢のためだけに仕立てられたドレスはないんじゃないかと思う。姉上の店で注文されたドレスはサイズが全部同じだったけど、どう見てもティアナ嬢とアマンダ嬢のサイズは異なるからね。

 まぁ、ティアナ嬢のドレスだけ他の店で仕立てている可能性もあるけど、そもそもティアナ嬢は社交の場に姿を見せるのが今日で二回目だ。……アマンダ嬢は様々な場に現れているのにも関わらずね。姉は元平民のくせに我儘で高飛車で社交嫌いという噂を隠れ蓑にしていたんだろうね。むしろ噂を流したのもルスネリア公爵かもしれない。

 そして、結婚相手をティアナ嬢に選ばせる機会を奪い、自分の都合の良い相手と政略結婚するよう命じたわけだ」

 

 確かに今日、婚約者らしき人物を連れて歩くティアナの姿に、多くの人が『噂に騙された』とか『あんなに美しい人がいるなんて聞いていない』とか言っていた。

 ウィルもティアナに関する悪い噂は知っていた。けれど、それは自分以外の男とは結婚したくないティアナが、言い寄ってくる男を増やさないために意図的に流した噂だと思っていた。とんだ自惚れだった。

 それにしても、ランディが言っていたように、普通の貴族令嬢はわざわざ仕立て直したドレスを着ない。そんな手間をかけるなら新しいドレスを一から仕立てる。特に、ルスネリア公爵家は金に困っているわけでもないのでなおさらだ。


 話を聞きながら自分の過ちに気付き、どんどん眉間の皺を深くしていたウィルは、とうとう目を瞑ってソファーの背にもたれかかり、天を仰いでいた。


「ランディ。この短い間にそこまで詳細に調べ上げてくれて……ありがとう。でも、僕は……自分の無能ぶりに心底がっかりしたよ……」


 ランドールの有能さを改めて目の当たりにし、ウィルは自身の不甲斐なさが浮き彫りになるように感じていた。


「……ということは、顔の治りかけの傷もきっと同種の原因があって、どれも今に始まったことではないのだろうな。表出しないように、上手く内で秘密裏に行われていたわけだ。

 そこまで徹底しているとなると、ルスネリア公爵家に引き取られた当初からそのような環境だったと考えるのが自然だな。突発的なものとは考えにくい。

 ……はぁ。私はティアが苦しんでいる間、脳天気にも公爵家の養子になったのなら結婚するのに問題はないと一人で浮かれていたわけだ……。はぁ……」


 自分が情けなさすぎて、ため息が短いスパンで二回出た。


「ウィルが脳天気に浮かれていたのは僕も見て知っているから否定しないけど……まだこっちに帰ってきたばかりだし、反省は後でいいんじゃない?ルスネリア公爵は昔からアマンダ嬢をウィルと結婚させたがっていたでしょ?ウィルにその気が全くなくて、むしろ逃げ回ってたのは周知の事実なのに、ティアナ嬢には自ら近寄っていることが知られたら、現状でも冷遇されている彼女はどうなるかわからないよ。まぁ、婿をとらせようとしているくらいだから殺されはしないだろうけど」


 そうだ。泣き顔を独占したくて客室に連れて行ってしまったが、その連絡をする際ロバートに牽制したのだ。アマンダは妹にしか思えない、妻にしたいのはティアナだとアピールするつもりで……。

 姉妹を同様に大事にしていると思ったからこそのアピールだったが、ランディの推論通りなら逆効果になってしまった可能性が高い。

 気が逸り情報収集を疎かにしたのは完全に悪手だった。今更言っても言い訳にしかならないが、代々穏やかな気性を受け継ぐルスネリア公爵家がこうも悪意に塗れているとは想像もしていなかったのだ。長く社交界を離れたことで、感覚が鈍ってしまったのかもしれなかった。致命的だった。

 自分はまだまだだ……とひとしきり反省をしたところで、立ち上がった。


「ティアはこのままアドルファス宮殿で預かろう」

「滞在理由は?例の根回しはまだなんだろう?」

「あの件はもう少しかかるから……そうだな。皇女殿下と意気投合して、話し相手に抜擢された……というのが無難かな」

「わかった。宮殿内の手配は任せてよ」

「僕の方は……まずはオリヴィア皇女殿下のご機嫌とりから始めるかな」


 そう言い置いてウィルは扉の外に出てランドールを振り返る。

 部屋の内側、扉の前にいてずっと黙って話の行方を見守っていた護衛騎士は、「舞踏会会場に向かう」と他の護衛騎士たちに指示を出している。

 ランドールがウィルの前まで歩みを進めるのを待って、声をかける。


「舞踏会会場に戻る。あとはよろしく頼む」

「かしこまりました。全て私にお任せください」


 皆まで言わずとも主の意思を解して確実に実行できる側近にウィルは全幅の信頼を置いている。彼に任せれば万事抜かりなく整うだろう。ひとつ頷き、ウィルは身を翻した。


 ーーランディが側にいてくれて本当によかった。


 とりあえず安堵のため息をつく主人の後に、会場の警備の確認を終えた護衛騎士が苦笑いで続く。


「殿下。再会したと思ったらすぐ囲い込むことになるなんて思いませんでしたよ。いくら緘口令を敷いたとしても、噂はどこからか漏れるもの。この先は気を引き締めて最短で目標まで到達しましょう」

「フィル。ティアに出会えたのは君の力によるところも大きいから感謝しているよ。今後も頼りにしている」

「はっ。ありがたきお言葉」


 自分が国外に出られたのは、ひとえに帝国一の剣の腕を誇るフィリップが護衛として同行することを了承してくれたからだと理解している。

 遊学先で彼女と出会えていなかったとしたら、ティアに初めて会うのは彼女が結婚した後となっていた可能性が高かったということか……


 そこまで考えて、ウィルは頭を振った。

 そして、今この手の中に掴める幸せを見失わないようにしっかりと掴み、全力で守ることを決意した。

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