第15話マリエッタの願い

炎輝イェンフイ、マリエッタこんなところにいたのか。もうすぐ天灯……」


 高長ザンガオが、六角堂へやってきた。天灯を空に飛ばす時間になってもマリエッタと炎輝イェンフイが来ないので探していたのだ。

 六角堂の入り口の階段で膝を突き合わせ見つめ合って座る二人を見て、高長ザンガオは言葉を詰まらせた。

 炎輝イェンフイは、マリエッタの手をそっと放して高長ザンガオを睨みつける。


「俺ってもしかして、すごくタイミングが悪い?」


 炎輝イェンフイの視線を受けて高長ザンガオは視線を逸らした。  

 

「な、なんでもないの!」


 マリエッタは慌てて立ち上がって炎輝イェンフイと距離をとった。

 思っていた以上に炎輝イェンフイと距離を詰めていた。

 

「もうすぐ天灯祭りが始まる。天灯を空に浮かべるんだ」

 

「行こう」

 

 炎輝イェンフイが立ち上がり、マリエッタに手を差し伸べた。マリエッタは、僅かに躊躇ったが炎輝イェンフイの手に自分自身の手を重ねた。炎輝イェンフイは彼女の手を優しく握る。二人は手を繋いだまま会場へ向かった。

 

 

「はい、筆。みんな天灯に願い事をしたためてそれを空に浮かべるの」

 

 会場では、月娥ユエェが待ち構えていた。携帯用の硯と筆の支度していた。マリエッタは、それを受け取った。自分で作った真っ白な天灯を見て途方に暮れる。


「私の願い事」


 じっと白い天灯を見つめる。見据えたところで自分の願い事が映し出されるわけではない。

 自分が望んでいることはなんだろう、とマリエッタは思う。


 会場にいる門弟たちは、思い思いに自分たちの願い事を白い点灯に託している。マリエッタには、それが羨ましい。


 今まで生きてきて求め続けたのは、「婚約破棄をされても処刑されないこと」だった。だから、婚約者になる可能性が高いアレクセイとは親しくならないようにした。公爵家の令嬢は結婚に向かないと評価されるように、女騎士にもなった。

 その戦略が功を奏して、国外追放にはなったものの、今こうして生きている。

 三度目にして手にした始めての人生だ。


(私は、何を願うのだろう)


 マリエッタは、自分に問いかけてみても答えは出なかった。 

 

 マリエッタが願い事を一向に書きそうに無いのを、炎輝イェンフイは隣で見ていた。マリエッタは明るい性格で、誰とでも仲良くなり愛嬌のある性格だ。大半の人はマリエッタに好印象を持つだろう。だからこそ彼女は、炎輝イェンフイだけが気がついている事がある。マリエッタは、未来の話をしないのだ。

 仙洞門で修行する門弟たちは、将来は有望な人材だ。目標を高く掲げている者も多い中、マリエッタは、これからの事を話さない。

 仙洞門での修行が終わった後、炎輝イェンフイと離れるのは寂しいと言ったが自分がどうなりたいか、ということをマリエッタは口にしない。


「マリエッタは何を書いたんだ?」


 自分の願い事を書き終わった芳明ファンミンがマリエッタの天灯を覗き込んだ。そこには、マリエッタの国文字で文章が書かれていた。

 

「読めない。マリエッタの国の言葉?」


 芳明ファンミンと同じように月娥ユエェも覗き込んだが、二人とも読めなかった。

 

「神様に祈るときの言葉よ。願い事は思いつかなかったから」

 

 結局、マリエッタは二番目の人生で散々口にした祈りの言葉を書いた。おそらく死刑になった時も、この祈りの言葉を唱えながら死んでいったのだろうと、マリエッタは思っている。

 

 ——穏やかな日と、静かな眠りと、安らかな死を

 

「それが願いか?」


 炎輝イェンフイは、どこか悲しそうな表情をしているマリエッタに問いかけた。マリエッタは、炎輝イェンフイを見ずに答えた。

 

「神様への祈りの言葉よ」

 

 

 太陽が徐々に地平線へと沈んでいく。ひとつ、またひとつと、空に天灯が昇っていく。上昇気流に乗りゆらゆらと天灯は空を泳いでいた。マリエッタも自分の蝋燭に火をつけて手を離した。ゆっくりと天灯が空に上がっていく。

 夜空にたくさんの天灯が浮かぶのは幻想的な光景だった。

 

「うわぁ、綺麗」


 マリエッタは感嘆の声を上げた。挿絵で見た時よりもずっと、何倍も幻想的で美しい風景だ。


「たくさん作った甲斐があったわ」

 

 月娥ユエェは、参加者がみんな天灯の空に見惚れていることに満足そうだ。


「迷える魂を天へ導くとも言われている」


 炎輝イェンフイもマリエッタの隣で皆と同じように空を見上げる。

 

「私も導いてくれないかな」

 

「え?」

 

「なんでもない」

 

 マリエッタは、炎輝イェンフイの言葉に思わず呟いてしまった。慌てて誤魔化したが、炎輝イェンフイは不審そうにマリエッタを見ている。

 

(天へ導く天灯。もし、私が死んだら今度こそ)


 今度こそ、生まれ変わりなんてしたくない。


 安らかに死ぬことこそ、今のマリエッタの願いだった。

 

 

「マリエッタ、明日、林西リンシーへ行かないか」

 

 武術大会の後は、しばらく授業は休みとなる。マリエッタは仙洞門を色々と探検したがそれも飽きたところだ。校舎内をうろうろしていたところを炎輝イェンフイに呼び止められた。


林西リンシー?」


 林西リンシーは、仙洞門の一番近くにある一番大きな街だ。主要な街道が林西リンシーのすぐそばにあるため、旅人や商人の行き来が多い。息抜きに出かけるにはちょうど良い場所だ。

 普段炎輝イェンフイは、人の多いところに出かけたがらない。それが、他人を誘って出かけるなど珍しいことだ。

 

「気晴らしにどうだ?」

 

「行く!」


 マリエッタは深く考えずに即答した。マリエッタは、三回生まれ変わっても色恋沙汰の問題といえば冤罪で処刑されることだった。そのため、これが逢引きの誘いだと気がつかないのだ。

 

「では、明日。迎えに行く」


 マリエッタが即答して、機嫌の良い炎輝イェンフイは、口の端をわずかに上げて笑った。鉄扉面の彼が表情を変えるのは珍しい。周囲を歩いていた人々は、驚いた様子で振り返って炎輝イェンフイを二度見た。



 翌日、炎輝イェンフイの飛行の術で二人はひと飛びで林西リンシーにやってきた。活気のある街で大勢の人が行き交っている。商店街は向かいの屋根同士紐を渡し、その紐に紙でできた様々な飾りを吊り下げていた。華やな飾りだ。まるで、お祭りでもあるかのようだ。

 今日のマリエッタは、一段と可愛らしい服装をしていた。普段と変わらない姿で外出しようとしたマリエッタを月娥ユエェが引き止めたのだ。そこで初めて、マリエッタはいわゆる炎輝イェンフイとの「逢引き」だと気がついた。

 月娥ユエェは、マリエッタがどうしても譲らない「動きやすい服装」という条件を満たした可愛らしい服装に変え、化粧を施してマリエッタを送り出した。

 マリエッタは、炎輝イェンフイの容姿を普段全く気にしていない。彼は、とても顔立ちが整っているのだ。特に異性の目を引く。


月娥ユエェの言う通りにしておいてよかった)


 マリエッタが思っていた以上に林西リンシーは人が多い。いつもの修行服で悪い意味で注目を浴びただろう。すれ違う年頃の女子たちが、隣を歩く炎輝イェンフイに見惚れてわざわざ振り返ってぽっと頬を染める事が何度もあった。隣で汚い格好をして自分が歩いていたら。女子たちの冷たい視線に居た堪れなくなっていたことは想像に容易い。


 街の中央にある一番の大通りを二人で並んで歩いた。通りの左右には商店がひしめき合っている。売られているものが全てが珍しくてマリエッタはキョロキョロと視線を動かすのに忙しい。


「枇杷を売っているわ」


 売り子が枇杷を枝つきでカゴに入れて売っている。林西リンシーの近くの畑で収穫した物とても新鮮だ。マリエッタは、足を止めて売り子が手にしている枇杷の入ったカゴを見つめた。

 

「ひと籠買って食べるか?」

 

「うん、そうする」


 マリエッタは、枇杷のカゴを買うために売り子に声をかけた。


「お二人さん、仲が良いね。おまけしておくよ」


 売り子は、枇杷のカゴに幾つか枇杷を追加してマリエッタに渡す。売りの子の「仲が良い」という言葉を仲間同士仲が良いと受け取ったマリエッタは嬉しそうに笑ってカゴを受け取った。懐から、小銭を出して売り子に渡す。

 マリエッタは振り返って、炎輝イェンフイに枇杷を分け与えようとして首を傾げた。

 炎輝イェンフイがほんのりと頬を赤くしていたのだ。

 

「うん……? なんでそこで炎輝イェンフイは照れているの?」

 

「照れてはいない」

 

「頬が赤いよ」

 

「気のせいだ」

 

 マリエッタは知らなかった。枇杷を誰かに贈ると言う行為は、枇杷をあげた相手に愛の告白を表す意味がこの国ではあることを。


 マリエッタは、炎輝イェンフイの様子に不思議そうにしながらも、自分の分の枇杷の皮を剥いて齧り付く。瑞々しく甘い果汁と香りが口の中に広がる。美味しい枇杷の味にマリエッタは目を細めて喜んだ。炎輝イェンフイが微笑ましそうにマリエッタを見ている。

 もうひとつ枇杷の皮を剥こうとするマリエッタを炎輝イェンフイは止めた。不服そうにマリエッタは唇を尖らせて炎輝イェンフイを見上げる。


「どこかお店で休憩しよう」


 炎輝イェンフイは、マリエッタに連れていきたい店があると言って案内した。炎輝イェンフイが事前に逢引きのための準備をするようには見えない。マリエッタは準備の良さを意外に思う。 

 炎輝イェンフイが案内したのは、裏通りにある小さいが雰囲気の良い茶店だ。店に入ると炎輝イェンフイは予約していると店員に告げた。


「お連れさんは先にお見えですよ」


 店員の返答にマリエッタは警戒した。炎輝イェンフイは、わざわざ誰かに会わせるために今日、自分を連れ出したのだ。逢引きではなかった。

 

「ここに何の用が?」

 

 店員に案内されたのは、店の中でも限られた客しか使えない個室だ。マリエッタはすぐにでも引き返したくなった。部屋の扉が開き、上座には、よく知る人物が座っていた。


「待っていたよ、マリエッタ」

 

シャア宗主!」

 

 マリエッタと炎輝イェンフイは拱手した。


阿炎アーイェンもありがとう」


 シャア宗主は、マリエッタと炎輝イェンフイに座るように促した。シャア宗主の服装は武術大会で見た時よりも落ち着いた赤系統の色合いだ。 

 

「武術大会の時に、君が炎術を暴走させただろう。それについて、ね」


 マリエッタの個人的な話になると思った炎輝イェンフイは、席を立ち離れようとした。


阿炎アーイェンも、ここに居ていい。君も知っていることだ」


 シャア宗主に止められ炎輝イェンフイは、マリエッタに視線を向けた。マリエッタも頷く。炎輝イェンフイは、椅子に座り直した。


「マリエッタ、君は私の目の色をどう思う?」


 マリエッタは、無遠慮にシャア宗主の瞳をじっと見つめた。シャア宗主の瞳の色は珍しい朱色だ。夕焼けよりも赤い色が濃いが、血の色よりも透き通った色。紅玉のような瞳、と例えることもできるが宝石とは違う輝きだとマリエッタは思う。


「赤色でとても綺麗だと思います」


「異国人である君はそう言うと思っていたよ。この国の人は赤い瞳は禁忌に思うだろう」


「え?珍しい色だとは思いますが、何故でしょうか」


「禁術を使ったらどうなるのかというのを李先生は説明したかな?」


「いえ、何故使ってはいけないかの説明を受けました」


「瞳が赤いのは禁術を使った証だ」


「え?ではシャア宗主は」


 マリエッタは言葉を失った。あのように美しい赤い瞳は、禁術を使った証なのだ。


「私の場合、先祖が禁術を使った呪いで夏家代々の直系は目の色が赤い」


 マリエッタの言葉を夏宗主は、遮った。 


「君は、力を暴走させると目が赤くなるそうだね。二回とも阿炎アーイェンが君の目の色が変わったことに気がついてる」


「私、禁術なんて使っていません」


 マリエッタは緋国に来るまで、鬼道のことを知らなかった。二回生まれ変わったが、どちらも鬼道は身近ではなかった。今だって軌道を使うのに四苦八苦しているのに禁術まで手は回らない。


「赤い目は強力な仙術が使える証には違いないよ。今後、何度も力を暴走させるようなら仙洞門が黙ってはいないだろう」


 マリエッタは、シャア宗主の言葉が単なる脅しではないことに気がついて息を呑んだ。

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