第3話 悪夢と気持ちよい夢の狭間

 目を閉じた私が寝たと思い、しばらく歌っていたばあやが静かに立ち上がる。歌を止めずに手際よく灯りを落とし、天蓋から足元まで届くレースを下ろした。これで中にいる私が目を開いても、ばあやにはわからない。小声で歌いながら廊下に出たばあやの足音が遠ざかるのを待って、大きく深呼吸した。


 私が覚えている未来が、悪夢の結果であっても構わない。神様の温情による生まれ変わりなら、どれほど感謝しても足りないわ。首を刎ねられる直前まで祈ったのは、この国の主神であらせられるカオス様――慈悲深いことで有名な神様。きっと祈りが届いたのね。


 物音に気を付けてベッドから降り、枕元にあるカオス様のお札に向かって祈りを捧げた。最期の日に動かせなかった手を胸の前で組み、両膝を突いて深く頭を垂れる。カオス様のお姿は神殿にある神像でしか拝むことが出来ない。


 お母様のお見舞いが済み次第、神殿に行きたいと願い出なければ……そうね、快癒のお礼の参拝ならお父様の許可がでるわ。偉大なる神々を束ねるカオス様、私のような矮小な者をお救いくださり、ありがとうございました。この命はいつでもカオス様に捧げます。改めてお礼にお伺いいたしますわ。


 お礼を心の中で何度も繰り返した。答えがないのは当たり前だけれど、少し期待してしまったのはしょうがない。だって神様のご意思が働いたとしか思えない奇跡なのだもの。顔をあげてお札に微笑みかけ、絨毯からベッドに潜り込んだ。


 足の先がもう冷たいわ。私冷え性なのよね。もぞもぞと足を動かし、少しでも温かくなるようにと願う。明日の朝になったら、日記をお強請りしなくてはね。お父様やお母様も、日記なら勝手に読まないと思うわ。だから覚えていることを、すべて日記に書きだすの。


 誰かに見られても「その日の夜に見た夢よ」と片付けられる。うん、日記用に紙束を綴じた本を購入して……それから……お母様とお会いして…………。


 考え事をしながら眠った私は、また不思議な夢を見た。とても美しい男の人が、私の足を温めてくれるの。何度も撫でて擦って、膝の上に乗せて両手で包んだわ。そんなこと婚約者や夫でもしないのよ。女はどれほど愛されても子を産み血を繋ぐ道具ですもの。


 あ、でも。お父様ならするかも。うふふ、私はお父様に愛されているから。少し笑ったら、美しい男の人はむっとした顔で何かを言った。でも聞こえなくて、また私の意識は夢の中に落ちていく。今度は暗くて深い場所のような気がした。


「っ!!」


 悲鳴を飲み込んで飛び起き、眩暈がしてくらりとベッドに倒れこむ。日差しを遮るカーテンがまだ閉まっているから、ばあやが来る前ね。夜明けと同時に起きて働くばあやは、日差しが部屋の窓にかかる頃に起こしに来るの。だから夜明けぐらいかしら。


 肌寒さに人形を抱き寄せ、もう一度ベッドに潜り込んだ。柔らかさと気持ちいい匂いに囲まれて、うとうとする。この時間はすごく幸せだわ。ずっとこんな感じでいたい。口元が緩んだ私は、頬に優しくて温かい手を感じた。目を開けたらいなくなってしまう――不思議とそう思い、じっと動かない。


 気持ちがいいわ。


 どのくらい経ったのか、ばあやが部屋に入るノックの音で目を開けた。当然だけど、誰も部屋にはいない。きょろきょろと手の主を探す私に、ばあやは驚いた顔をした。


「おはようございます……お嬢様がすでに起きておられるなんて、のかしら」


 滅多にないことを揶揄するばあやに「意地悪」と頬を膨らませる。指先でぷすっと潰すばあやに着替えを手伝ってもらいながら、私は身支度を整えた。


「お母様の調子はいかが?」


「お嬢様がお見えになると聞いて、それは喜んでおられましたよ」


 嬉しくて、いただいたお人形を抱いた私は大急ぎでお母様の部屋に向かう。何年ぶりかしら。弟が2歳の時に身罷られて以来だわ。高鳴る胸を抑え、出来るだけお行儀よく扉を叩いた。

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