第38話 飛竜

それから数週間は怒濤のごとく過ぎていった。


結局あれから月はアヤメの前に姿を現さず、何の会話もないまま臨時の補佐官の役目を終えてしまい、アヤメの正規の補佐官として立浪が戻ってきた。


立浪は空木の企みのことや兄たちの作戦について何も知らなかったらしい。


空木が捕まってから兄に事の次第を簡単に説明され、自分が補佐官の任を一時的に解かれた本当の理由を知ったのだという。


「自分の妹だからって囮にするか普通。あと紫苑、お前も危ないことにすぐに首つっこむな」


「でも結果それで空木を捕まえることができたんだしなぁ」


「俺のいる領地で変なことされかけて、黙って見てられるわけねーだろ」


立浪の眉間の縦皺が一本増えたことに、アヤメと紫苑は顔を見合わせて笑った。


こうして、欠けていた三人の一人が帰ってきたところで、アヤメは引き続き白杏の長として執務をこなす日常に戻った。



『また会いに行く』



直接話したわけではないが、月からの挨拶らしいものは一応、あったにはあった。


白い紙に慌てて記したような、けれども存外に綺麗な文字で書かれた素っ気ない伝言はアヤメの元に残され、月は洸陣に帰っていった。



『王立軍に来い』



月から言われた言葉をアヤメは事あるごとに思い出す。

真剣な眼差しに心臓が捕まれる感覚までまざまざと思い出し、息を吐く。


勧誘されたが、アヤメは白杏を守ることができる今の地位に満足しているし、現状を維持したいのが本音である。

このまま歳を取り、いずれは白杏の森でローに文句を言われながら静かで慎ましい老後を送りたいと思っている。


「王立軍?」


だから、立浪の口から王立軍の話が出た時はそれまで寝ぼけ眼だったにも関わらず思わず身を乗り出して聞き返した。


「そうだ、2日後王立軍と共同で飛竜探索に赴く予定だ」


「え、なんで王立軍…」


「……」


無言で額を弾かれる。

骨が鈍く響き、額を押さえて痛みに耐えた。


「目、覚めたか」


「はい…」


座ったまま上目遣いで立浪を見上げると、呆れた表情をしながらももう一度説明を繰り返すことにしてくれたようで、手の中の書類をアヤメの眼前につきだした。


「洸陣付近で飛竜が出たとの通報があった。証言によると飛竜は5mほどで大してでかくはない。が、こいつは人を食ってる」


立浪は淡々と話しているが、その内容は実に重かった。

アヤメはぼんやりしていた意識を引き締めて書類に目を凝らす。


「…人を」


「獣狩りをしていた洸陣の男たちが不運なことにたまたま飛竜に遭遇して、一人食べられたんだそうだ。武装した者が数人いたために何とか追い払えたらしいんだが、追い払った先がうちの森でな」


「ああ、そうか…」


合点がいく。白杏の森は洸陣の森と繋がっているのだ。


「それで、王立軍が白杏に来るわけ」


「俺たちの役目は白杏の森への案内。飛竜の捕獲、討伐は王立軍がやる」


「田舎者の手出しは不要ってこと」


「つまりはそういうことだ」


白杏の森は広大だ。

生まれ育っている住人でさえ、森に足を踏み入れたことのある者は少なく、増して険しく入り組んでいる森の奥深く、詳細な地を知っている者は限られている。


その限られた者の一人にアヤメも入っていた。

アヤメは幼い頃から白杏の森には馴染みがあり、紫苑や立浪も出入りが多かった。長ということもあり、今回白羽の矢が立つのも無理はない。


つきだされた書類を受け取り、ざっと全容に目を通す。ふむと頷くと金色の瞳を瞬かせ立浪に目を合わせた。


「僕たち以外にこっちからも二、三人応援を集めよう」


ぽんっと手を打って提案したアヤメに立浪はすぐには応と言わなかった。

その顔は怪しんでいる。


「アヤメ、勝手にうろつかれたくないっていう気持ちはわかるが、俺たちの人数が増えれば王立軍は良い顔しないぞ」


「わかってる。でも、特にあっちから人数の制限はないし」


「それはそうだが…」


「飛竜を見つけた時に何が起こるかわからない。もしかしたら僕も食べられるかも」


「危なくなったら一番で逃げるだろ、お前」 


「いやいや万が一だよ。そんな時に一人でも森のことを知ってて、白杏まで無事に皆さんを案内ができる人がいたほうがいいだろ?」


ほとんど押し付けに近い形で言いきって、立浪がそれ以上反対してこないことを確認すると、アヤメは無言で再び書類に視線を戻した。



『獣狩り』というのが気にかかる。



狩猟は歴とした生業である。


周りに一切海がない洸陣では主に狩猟によって生計を立てているものも少なくない。

同じように白杏の周りにも海はないが、こちらでは専ら農業や林業が盛んであり、また白杏の森には特殊指定精霊がいることもあって狩猟をする者はほぼいない。


だが、『狩猟』と『獣狩り』は違う。


狩猟は生きるためのもので、獣狩りは趣味によるものだ。


娯楽による生き物の殺戮は禁止されてはいないが…。


アヤメの表情に要望を折らないことがわかったのか、立浪はふうと息を吐き眉間の皺を揉みほぐした。


「わかった。俺のほうで何人か声をかけておく。けど集まるかわからないぜ。お相手は飛竜と王立軍だ」


飛竜ーーもちろん洸国の生き物ではなく、10年前の魔獣出現の時に洸国にやって来た魔獣である。その生態は未だに不明なものが多いが、基本的には気性は穏やかで大人しい。雑食で、一説によると肉を一度も食べたことのない飛竜も存在するらしい。


大きな翼を両肩に持ち、空を駆けることに関しては魔獣随一という。


そのため、魔獣掃討作戦の後も希少生物として裏で競りなどがあり、好事家の間では高額な値段で取引きされているんだとか。


だが一方で、警戒心が強く懐かない、敵対する者には容赦なく襲い掛かるといった面もあった。


飛竜は基本的に飼い慣らせないとされており、親衛隊たちによる討伐対象だ。

体が小さく、力の弱い竜から、熊の何十倍も大きく、獰猛な竜までいる。


飛竜はその体全て高額で取引される。


基本的に遭遇してしまうことは稀であり、遭遇したとしてもその危険性の高さゆえ、すぐに王立軍に通報がいくため、ほとんどの竜は王立軍に狩られ、洸陣により保管される。

竜の素材が市場に出回ることは滅多にない。

しかし、ごくたまに一般人が狩った場合は(ほとんどが小竜)申告した後、竜の体はその者たちの物になる。

ただし、小竜でも成長すれば危険すぎるため、生け捕りや飼育は固く禁止されていた。



「紫苑あたり喜んでくるんじゃない?」


何しろ血の気の多い男だ。大人しそうに見えて毒舌にその上好戦的と三人の中でも一番激しい性格である。

『飛竜』と聞けば、「倒せそうだな」などと宣い、嬉々として参加するのは想像するに難くなかった。


「僕も紫苑がいたほうが心強いし」


「あいつは駄目だ」


即座にきっぱりと否定した立浪の表情は、完全に子どものやんちゃをハラハラして見守る保護者のそれであった。


「あの紫苑が飛竜探索の案内だけで済むと思うか?」


「まあ、済まないだろうね」


さすがに王立軍に噛み付くなんて恐ろしい真似はしないだろうが、戦闘の際はなんとか加わろうとすることも目に見えている。

立浪からゴーサインは出ないらしい。

月のこともあるし、アヤメもこの件は穏便に済ませることに考えを改め、応援の人員の話は腕が立つ、かつ落ち着いた人物から選ぶことになった。


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