第34話 真相と正体

吐き出すように謝ったアヤメに月は瞠目した。そこに月を咎める素振りは一切なく、自分だけを責めているようだった。


金色の、猫のような目が真摯な光だけを灯し月を一心に見つめてくる。

アヤメの持つ清らかな魂が、月の心に触れようとしていた。


場違いにも鳥肌立つのを感じ、月は静かにふう…と息を吐くと、仰ぎ見るように天井を見上げた。


薄暗い部屋の中、二人の間に沈黙が流れる。

灯りが、緊張のために幾分か白くなったアヤメの頬を薄く照らした。


体が強張っているのが、見なくとも月に伝わってきた。



恐がっているのだ

ーー権力にも、痛みにも恐れなかった人物が



自分の返答ひとつをこんなにも。


掴めないな、と思う。

周りには妙に鋭く勘付くくせに、自分のことになるとたちまち不器用になる。


「…参った…」


やがて月はぽつりと呟き、上を向いたままガシガシと乱暴な仕草で自身の髪を掻いた。


「月…?」


ガラリと変わった口調にアヤメは首をゆるく傾げる。

そんなアヤメを気にせず、月は荒っぽく呟いた。


「ったく…調子狂う…」


おもむろに上まできっちり留めていた釦をだるそうに外すと、はあ…と大きくため息を吐き、胸元を寛げる。


そこに普段の好青年な雰囲気はない。


いつもアヤメに対して皮肉気に笑んでいる唇はむっつりと曲がり、眉間にはきつく皺が寄っていた。きっちりと後ろに流されていた髪は今は雑に乱されいつにない粗野な出で立ちになっている。


その変貌振りに驚きを隠せないでいると、ぐっと強い眼差しに射止められた。


「俺は王立軍の人間だ」


今度こそアヤメは唖然とした。


「は…?」


「空木を捕らえるために素性を偽って調査していた」


次々と明かされる事実にアヤメは頭がついていかず「はあ」となんとも気の抜けた返事を出すことしかできなかった。

そんなアヤメの様子に月は柳眉を片方上げた。


「…驚かないのか」


「いや、驚いてるよ」


「やっぱりわかりにくいな。前も言ったろ、愛想笑い以外の表情も出せって」


「そう言われても」


急な話に混乱する。


ーー佇まいや足の運び方から訓練された人間であるとは思っていたが…

まさか王立軍の人間だとは思わなかった。



…というかこっちが月の『素』なのか



お世辞にも紳士的とは言えない、はっきり言ってしまえば乱暴的ともいえる雰囲気だった。髪は乱れ、服は気崩され、目からは鋭い眼光を放たれている。

間近にいると、知らずその威圧に圧倒されそうになる。


一見そのやさぐれたような態度はごろつきみたいだったが、しかしごろつきと違うところはその重みである。不思議なことに佇まいは決して下品ではなく、品格を持っていた。


突然のことに動揺するアヤメに対し、月は横柄とも尊大とも取れる態度で腕を組み、じっと話の切り出しかたを思案しているようだった。


「…俺は白杏が、というかお前が狙われているのを知っていた」


低く、語りだされた言葉に最初は聞き間違いかと思った。


「僕が…?」


「そうだ。空木はあの冷血野郎の妹であるお前が標的だった」


…冷血野郎って…


アヤメは心の中で静かに突っ込んだが月は至って真面目に話している。


「三角(みすみ)が死んだ件は知っているな」


急に出てきた名前に 訝しみながらもこくりと頷く。


桜陣の前軍事局長の名だ。空木の前に就いていた保守派の人物だった。

その人物が一年前、突然の事故で命を落としたことは記憶に新しい。


「…三角を殺したのは空木だ。不慮の事故に見せかけてな」


驚きに息を呑む。


「殺された」


「そうだ」


「あの、ちょっと待って。…なんかさらっと話してるけどこれ、極秘機密なんかでは…」


「そうだ。だが、お前には知る権利がある」


あまりにもきっぱりと言い放ったものだから、アヤメは口を二三度開閉して結局反論できずに押し黙った。


…本当に大丈夫なんだろうか


あとでややこしい事態になってしまわないかと一抹の不安が過ったが、月はアヤメが事の顛末を聞くことを強く望んでいるようだった。


痛みそうになる頭を軽く振り月に先を促す。


「とりあえず、わかった。続きを聞く」


「三角はずっと空木の思想を危惧していた。政治と軍事を統一すべきだ、というな。アホらしい。そんなことしたら力による一方的な支配が強まるだけじゃねえか」


吐き捨てるように言った月にアヤメも同意だった。

軍事力に体制が片寄るだけでも独裁政治となる可能性があるというのに、二つを一緒にしてしまったら暴力による圧力が人民にかかるかもしれない。


「だから三角は空木を決して自分の後任に選ぼうとしなかった。

 …まわりはそうでもなかったけどな。

 空木は十年前の魔獣掃討作戦の立役者の一人でもあったから、人望は厚かったんだろ」


「それで、空木は三角局長を殺したのか」


「…空木は卑劣だが馬鹿じゃない。自分が支持されなかったからといって国長を殺したりするようなことはしないと、そう、思っていた」


そこで言葉を切ると、月はきつく眉間に皺を寄せ黙り込んだ。

組んだ腕にぐっと爪が食い込むのがアヤメの目に写った。


「三角は空木に殺されるかもしれないと言っていた。

 俺はその時、それを考えすぎだと言ったが、次に俺が会った時、あの人は死んでいた」


「…どうして」


「空木の秘密を知ったらしい」


「秘密?」


「ああ、奴の地位どころか、国さえも揺るがす秘密だと。それが何なのかは俺にはわからない。ただ、三角の娘がそう言っていた」


『国さえも揺るがす秘密』


アヤメの脳裏に空木が白杏の森に放とうとしていた符が過った。

発動させなくても、その符があるだけで全身の汗が吹き出すような、不吉な符。


あれには一体なんの術式が書かれていたのだろう。そして、何を発動させるものだったのか。


「俺は三角が空木に殺された証拠を探した。…不本意ながら、藤馬とは腐れ縁なんで今回のことに協力してもらった」


「月は兄上の友人なんだ…」


「…俺も不思議だよ」


本当に不思議に思っているらしく、月はアヤメにこの上なく不快気な表情を向けた。

紫苑といい、ローといい、アヤメの周りにいる者から藤馬はことごとく受けが悪い。まあ、本人は小指の爪の先程も気にしていないので良いのだろうが。


兄との嫌な出来事でも思い出したのかチッと舌打ちすると、鬱陶しそうに腕を組み直し、話を続けた。


「いざ藤馬と調べてみると、なかなか奴は尻尾を掴ませなかった。

 幾つか証拠らしきものは見つけられたが決定的なものとは言いきれなかった。腹の立つことにな。

 …で、さすがに焦れてたらある日、空木に事件のことを調べているのがバレた」


「……」


「言っとくが、俺じゃなくて藤馬の部下がヘマしたんだぜ」


「何も言ってません」


「ふ…こういうのはわかりやすいんだな」


ちょっとからかうように月の目元が綻ぶ。眦にあるほくろが甘さを滲ませて、その色気に真正面から当てられたアヤメはドキリとしてしまった。


ーーこういう表情は、ずるい


不意打ちを食らって、アヤメはずっと合わせていた視線をそこで初めて下げた。


ぞんざいに開け放たれたシャツの中から鍛え上げられた胸元が見える。常にきっちりと後ろに流されていた髪が今は雑に乱れされていて、改めて見ても別人のようだ。その野性的な雰囲気が大人の男であるということを嫌でもアヤメに感じさせて、まともに正視できない。


ーーさっきまで普通に話せてたのに


心臓が痛む。一度意識してしまうと、先日の記憶が鮮明に甦ってアヤメを落ち着かない気分にさせた。


急に黙り込んだアヤメを月は何も知らず、不思議そうに覗き込む。


「なに」


厚い手のひらがアヤメの頬にかかる。

月が金糸に隠れた目のあたりを軽く払うと、赤くなった眦が露になった。


「…照れてんの?」


カッと頬が熱くなるのをアヤメは顕著に感じた。

それは月にもそのまま伝わったようで、喉奥で堪えるような笑いがアヤメの耳に届いた。


「そういやまだ17だっけ」


あやすように頬骨付近を擦り、恐らく赤くなっているであろう耳朶をするりと撫でた月は唇を近づけて笑いを含んだ低い声で囁いた。


「あんまり可愛い顔すると、食べられちゃいますよ」


アヤメ様?と嘯くように言った月にアヤメはとうとう音を上げた。


「からかうな!」


「ぶっ…」


振り払いながら叫ぶと、月は盛大に吹き出し体をくの字に折り曲げた。


「たちが悪い!」


唇を寄せられたところが熱に浮かされたようにジンと熱い。

叫んだ声はほとんど悲鳴に近く、普段あまり狼狽えることのないアヤメにしては珍しく取り乱し、あたふたしていた。

その動揺っぷりが月にはおかしくてたまらない。あの兄とは似ても似つかない純真さである。


ーーこの…!


まだ二三どころか山ほど言いたいところはあったが、それにまた笑われても敵わないと思いアヤメはむっと口を閉ざしたまま、出来得る限り強く睨み上げた。


「はあ…」


月はひとしきり笑って目元を拭った。


「…気が済んだ?」


不機嫌に問いかけると、まだ少し余韻が残った視線で見つめられる。

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