第25話 それぞれの相性

「お前ら、昼間っから何やってんだよ」


低い、あからさまに呆れた声に二人が言葉を飲み込み顔を上げると、いつの間にか小柄な青年が扉の脇に立っていた。

青年を素早く見とめた月が軽く目を見張る。


「…紫苑…」


鼻を鳴らした後、音もたてずにアヤメに近づいてきた紫苑は寝台を挟んで月をちらりと見て人の悪そうな顔で言い放った。


「あんた、俺のことまったく気が付かなかっただろ」


「……」


「でかい図体して、補佐殿も案外大したことねぇな?」


ぴきりと、月の額に青筋が立つ。


「紫苑、煽らないでよ…」


動揺も忘れ、話が良くない方向に行きそうだと察知したアヤメが口を挟む。しかしアヤメに一切視線を向けることなく紫苑は言葉を続けた。


「そんなんでアヤメの補佐が勤まんの、イロオトコさん」


ヒュオッ


最後の一言を言い終えるや否や、紫苑が後方に下がる。紫苑がもといた場所には、月の伸ばした腕があった。

思わずアヤメは自分の顔を覆った。


「君ら…」


もう幾度目かになる修羅場にため息が出るのも致し方なかった。


この二人は、お互い顔を合わせればところ構わず喧嘩を始める。屋内だろうが屋外だろうが。一度は学院で喧嘩を始めたため、好奇心で生徒が群がりだし、いつのまにか大勢で試合観戦することになった。


もっとも、激怒した菫の叱責によりそれ以後学院で喧嘩をすることはなくなったが。


珍しく、苛立っているのが気配でわかる。恐らく、紫苑の存在に気が付かなかったことを余程不覚に思っているのだ。


普段、何事にも飄々とした態度のこの部下がその実アヤメの兄にも匹敵する程気位が高いことは一緒に過ごしていて判明した。つまりは、負けず嫌いなのだ。

自分よりかなり低い位置にある紫苑を見て冷めた瞳で一瞥する。


「今日も旋毛が可愛いことで」


禁句と知っていて易々と言える人間は、紫苑のたった一人の肉親以外では、アヤメの知っている限りこの男一人だ。熱しやすい紫苑の性格を知っている周囲は、紫苑が華やかな容姿に言及しない。暗黙の決まりである。


その上、月は一般よりもかなり高い自分の背を使って紫苑を見下している。尊大に両腕を組み、片眉を綺麗に上げて相手を嘲笑する姿は被虐性欲のある人間ならば喜んでしまうだろう。

その毛のないアヤメまで思わずそう思ってしまうくらい、サマになっていた。


――慣れているな


アヤメの前では抑えていているのだろうが、ふとした拍子に部下の皮の下に潜んでいる傲岸不遜な本性が垣間見える。この横柄な態度を村の女たちが見たらどう思うだろうか。


――いや、人気に拍車がかかるだけか。女性は意外と変わった嗜好の人が多い。


火花を散らす二人に挟まれ、そんなことを考えながらぼんやりと見物を決め込んでいると、そんなアヤメにキッと眦を上げて紫苑が怒鳴った。


「アヤメ!こいつ解雇!」


「そうきたか」


「それはあなたの決めることじゃありませんね」


眼鏡の縁を押し上げ月は馬鹿にしきった声を出す。


「だからこうしてアヤメに頼んでるんだよ」


「残念ながらアヤメ様が決めることでもありません」


「はあ?上司はこいつだろ」


「月は兄上と先生が雇ったんだよ」


「兄上ぇ?」


紫苑の眉が心底嫌そうに上げられる。


「なんであいつが口出しするんだよ。補佐って普通、お前が決めるもんじゃねーの」


「さあ」


「さあって…。相変わらず呑気だなお前は!あの性悪に少しは反抗してみようとかいう気持ちはないのかよ!」


「ない」


「少しは考えろ!」


「うーん」


苛立ちを露わにするアヤメは苦笑を洩らす。

兄の考えていることは自分の想像も及ばない。先ず、生まれ持って人の上に立つこと宿命付けられたような野心の塊である藤馬と自分の周辺にしか関心のない朴念仁のアヤメとでは見ている世界が全く違うのだ。


大海原とその辺の水たまりくらい違う。卑下している訳ではなく、人間としての大きさが違うと本気で考えていた。


アヤメは限られた人間を除いて、他人に興味が持てない。


「人のために」「世の中のために」そういったことに違和感を覚えてしまうのだ。


生に意味も理由もない。ただ死にたくないから生きるだけ。厭世者ではないが、世捨て人のような考えを持つアヤメのその考えを、軽薄だと言って好まない者も多い。


そんな自分を兄が巻き込むのは、血縁者としての情だろう、とアヤメは考えている。


だからこそ兄の命に黙って従うのだ。


「それより紫苑、何か用事があって来たんじゃないのか?」


無理やり話の方向を変えたアヤメに紫苑が柳眉を寄せて舌打ちを飛ばす。

それが、この会話を終結させる合図だ。

アヤメがこの手の話はまともに取り合わないことは最初からわかっていた。


紫苑は不満げに形の良い唇を軽く歪ませたあと大仰に溜息を吐く。


紫苑は藤馬を嫌っていた。


それは、アヤメが藤馬の支配下にあるからであるが、アヤメ本人がそのことに対し無関心であるので紫苑ではどうしようもなかった。

せめて、当人が反発心の一つでも持ってくれたら話は違うのだが、吹っ掛けてものらりくらりと躱されてしまう。

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