第20話 特殊指定精霊

「ローはどうなった?」


遅すぎる問いかけに月が両の手のひらを返し、大げさにため息を吐いた。


今回、一番注意を払わなければいけなかったもの。

それは、護衛達でも魔術師でもなく、この森に棲むもの。


―――黒曜石の狼。


森を侵す者は誰であろうと赦さない森の守護者が今回の最大の留意点だった。


「どうにかこうにか…大人しくしてもらいました 。というか、彼は『特殊指定精霊』なんでしょう 。みんなあんなに野蛮なんですか?」


崩れてパラパラと落ちてくる前髪を鬱陶しそうにかきあげ、後ろに撫で付ける。よく見ると、透明な眼鏡にもひびが入っており、本人はあまり語らないが月の苦労の程が容易に想像できてしまったアヤメはただただ眉を下げるしかなかった。


『特殊指定精霊』とは洸王が直々に定めた12匹の精霊のことであり、この精霊たちを捕獲したり危害を加えようすることは禁じられている。


「さあ…他の精霊に関してはわからないけど。でもローがいるから、白杏の森は荒れないし、廃れない」


「…物騒な精霊もいるものですね」


呟く声にはずいぶん疲れが滲んでいる。

普段見ない月の姿に驚きつつ、銀の毛並みを持つ友を思い浮かべた。

足下に転がる護衛達や魔術師を含めて皆殺しにしかねないローを、どうしても今夜自由にさせるわけにはいかなかった。


ちらりと地に伏せる男たちを見遣る。

命に別状はなく、ただ気を失っているだけで数刻もすれば自然と目を覚ますだろう。


「生かすのなら一人だけで良かったんじゃないですか?」


穏やかでない部下の発言にアヤメは苦笑を漏らした。


「僕は、この森を汚したくないんだよ」


そう言って、反応を伺うように目を合わせる。

すると、ざわりと木の揺らめきに同調して、眼鏡の奥で瞳が揺れた。


『甘い』と言われることを予想していたアヤメはその反応に軽く驚いた。


「…穢れが見えるんですか」


言いながら月の額に落ちた数本の髪が精悍な顔に影をつくり、無防備な表情を垣間見ている気がした。


「いや、俺は見えないよ。知っているだけで」


「そうですか」


素直に答えると、月は言葉を切り、何かの記憶を思い出しているのか、瞳は鈍く光り、どこか遠くを見つめた。


「ーー月?」


「…いえ、」


アヤメの問い掛けにも曖昧に濁して答える。


『穢れ』


意外な場面で出てきた言葉にアヤメは首を傾げた。


草木を枯らし、水を濁らせ、空気を汚す忌むべきもの。死を元に生まれ出るものだが、通常人の目には見えず、迷信と捉える者も多い。

そんな形のないものがこの男の口から出てくるとは思っていなかった。


「なに、どうしたの」


重ねて問い掛けるが、それにも答えず月はただ口を引き結ぶだけだった。

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