第12話 はじまり

 桂樹が辿り着いた時、踞る少女の背中を見て自分は遅すぎたのだと悟った。


 啜り泣く声が水面を震わすように響き渡る。

 錆だらけの鉄柱の上、古ぼけた硝子に囲まれた灯りだけが少女と少女の前で横たわる男をぼうっと照らしていたがその光には少しの温かみもなかった。


 動かない男の体から溢れている真っ黒な血溜まりが悪い冗談に思えた。


「雪割」


 茫然と立ち尽くしながら掠れた声でようやくそれだけを言うことができた。

 少女ーー雪割は反応しない。


「雪割…」


 自分の声が面白いほどに震えている。声だけじゃない、指先も、体も、すべて。


 どうして間に合わなかった

 どうして助けられなかった


 二人を前に、後悔が雪崩のように桂樹を襲った。


「こっちを向いてくれ…頼む」


 すがるような呼び掛けにもやはり少女は振り向かない。

 その代わり、桂樹の心臓を引き絞るような声で小さく、本当に小さく答えた。


「死んじゃった」


 ああ、と桂樹は固く目を瞑った。


「お父さん、死んじゃった…」


 少女の慟哭に、爆発するような怒りが桂樹の身を包んだ。


 ーー必ず…


 強く握りしめた拳から血が流れ落ちていく。


 ーー必ず罪を償わせる


 次に目を開けた時、青年の目に静かな復讐の炎が灯っていた。


 もう季節は春だというのに凍えるように冷たい。

 まだ幼い少女の父親は故郷に戻ることなく、無情にも異国の地でたった二人に看取られながらその人生を終えたのだった。

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