第9話 歴史

 薄暗い路地。

 喧騒から隔絶されるように高く伸びた両壁の隙間、冷たく濡れた地面の上に男は立っていた。

 長身の体を頭から爪先まで藍色の布で隙間なく包み、額からは横長の形をした布が垂らし眼光さえ遮断していた。僅かに見える口元は生真面目そうに引き結ばれている。


「…中央での手回しは順調に進んでます」


 唐突に男が口を開いた。その声は常人には聞こえない宵闇の音だ。


「さすがだな」


「それで、どうします」


「…しばらくは泳がせておきたい」


 男からの報告に黙っていたもう片方の男は少し考えてから答えた。


「承知しました。…それと、もう片方の件ですが…」


「掴めなかったか?」


「…面目ございません」


「いいや、あれだけの魔術使いだ。簡単に尻尾が掴めるとは思ってはいない。…だが、不安要素はできるだけ取り除いておきたい。引き続きそちらも探ってくれ」


「はい」



 スッと影に男の姿が溶け、消える。様子を見届けることもなく、残った男も町中に姿を消した。



* * *


「洸歴1130年。今の洸王がいらっしゃる主国、洸陣を中心に洸国内は絶えず争いを繰り返していました。

 洸陣に湧き出る、どんな病気も傷も治すと言われる泉を求めて始まった戦争は終わることなく、やがて野を枯らし、水を濁らせ、多くの人々の血を流させました。

 ある日、そんな地上の世界を憂いた天が一人の勇気ある青年に争いを止めるための力、後に天恵と称される力を授けました。

 そして青年を守護する12人を人々の中から選びました。

青年と12人の守護者は国々を廻り協力者を増やしていき、争いを諫めました。


 洸歴1230年、ついに青年は地上を平定し世界の統治を成し遂げたのです。


 青年は、その猛々しさを讃えられ人々から洸王と呼ばれるようになりました。

 洸王は禍の種となった泉を各地に結界を張って封印しました。

 そして100年の悪夢と呼ばれたこの戦争を二度と繰り返さないために勢力が二分されていた東と西に国を分け、それぞれが干渉し合わないように断絶しました」


溌剌とした子どもの声に、アヤメは欠伸を堪えて真面目そうに見える顔を最低限作った。


教室のあちこちでアヤメと似たり寄ったりな眠そうな顔をしている子どもが見られるが、ほとんどは普段いない二人の観覧者を前に緊張しているようで心持ち固い表情で教科書を読んでいた。


「それから洸王により平和が100年以上続きました。

 しかし今から10年前の洸歴1350年、何らかの原因により異界に繋がる穴が東に突如現れ、魔獣が地上を荒らしていきました。

 五代目洸王はこれに、東だけでは打ち勝つことができないと考え、西と協力体制を作り魔獣掃討作戦を決行しました。

 

 結果、異界の穴を塞ぐことに成功し、この事件をきっかけに東と西はお互いを認めるようになりました。

 

 五代目洸王は、これからは東と西が手を取り合って生きていかなければ時代を発展させることは不可能だとし、東と西の復交を宣言しました。


 こうして今、私たちは西の国の仲間と共生の道を歩み、時代を育んでいるのです」


 最後まで読み終えると少年は自分の席に座った。教師は頷いて補足説明を始める。


「はい、ありがとう。よくまとめられると思います。

ーー今あったように、100年前までは東と西の国交は途絶えていました。

 この間みんなが習った無血の盾だね。お互いがお互い干渉し合わないことで争いを起こさない、盾を翳し続けることによって自分の国を守る。

 君たちはまだ生まれてなかったから知らないと思うけれど、それが平和のために必要なことであるとみんな思ってたんだ。

 けれども10年前の魔獣発現の事件で東と西は共存の道を見つけた。

 五代目の洸王は、僕ら人の発展のためには東と西を分けるべきではないとお考えになって、国交を復交させたんだ。

 

 隣の席の子が傷ついてるのを見ないフリをしてしまったら、真の平和とは言えないしね。

 

 …でも先生は実はね、無血の盾が取り払われた時、少し怖かったんだ。ここ100年以上大きな争いがないけれど、過去には同じように100年以上戦争が続いたんだ。

 盾がなくなったら、次は戦争の100年が続くかもしれないと本気で怖かった。


 でも、洸王は決してそうならないように目を光らせてくれたし、体制を整えてくれた。偏見がなくなるようにお互いの歴史や政策や知る機会や交流の場を設けた。


 先生は、盾を取り払ってしまったら、剣を向けられるとずっと思っていたけれど、そうではなかったんだよ」


 そこで少し教師は間を置いてアヤメのほうを見た。その目が少し笑っている。


 アヤメの横に立つ男が退屈しきっていることはお見通しのようだった。こういった手の話には興味がないらしい。

 まったく、いったい何の視察なんだか。

 アヤメも笑って、教師にわかるようにほんの少しだけ肩を竦めてみせる。


「自分に剣を向けられたくなければ相手に剣を向けてはいけない。いいね。それは言葉でも同じだよ。

 これからの100年の平和を作っていくのは君たちだよ」


 そう締め括った直後、鐘の音が鳴り午前の授業の終わりを告げた。

 そわそわとし始める生徒たちに向かって教師ーー棗(なつめ)がパンと手を鳴らして意識を自分に集中させた。


「はい、それでは次回は楽果の戦いから始めます。教科書をよく読んでまとめておくように。

 それと、今日お越しくださった空木様とアヤメ様に皆さんお礼を言いましょう、全員起立」


 生徒全員が一斉に立ち上がると、踵を揃え棗の号令と合わせて握ったこぶし同士を合わせて礼をした。


 アヤメもそれに応えて礼をする。

 横目で空木の様子を見るが礼で返さず、横柄に頷くだけであった。

 アヤメは呆れて軽く目を見張るが、何も言わずに棗に向かって顎を引き、子ども達の解放を促した。


「皆さんに、光と水の祝福があらんことを」


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