3.緑喰を呼んだ娘の話

 口琴師は懐からもう一つ、別の口琴を取り出した。

「旦那がたあ、翡翠児のことを幸運をもたらす稀れ児のように言うがね、忘れちゃならねえよ、翡翠児ってなあ呪いをもたらす子どもとも言われてきたんだ。お聞かせしようかね、そのわけを」

 あたらしい口琴は複数の金属の舌が付いている。それを器用に操り、合間に合間に口琴師は詠いはじめた。


「寄せる波や 返す波や バエラ、バエラ、聞くも恐ろし

 今は昔 栄え盛る バエラ、バエラ、名はキアタイカ」


 複数舌の口琴は高低の倍音を奏でる。ひとしきり奏で、また詠が続く。


「人の欲の 成せる禁忌 ムエラ、ムエラ、翡翠児クリューイ追いて

 鉄の刃 ふるいたるか ムエラ、ムエラ、群れを成しつ

 あはれ 地より 緑喰ダプヌイの波 襲い来たり!

 ――全て喰われ 全て呑まれ 忌まわしキアタイカ

 いまや語る者なし バエラ、語る者なし」


「おい、口琴の」

 遮るように髭の男が口を開いた。

「キアタイカって地名は聞いたことがあるぞ。確か昔は大きな港町だったろう。なのにある日を境に忌み地になったとか。あの地が緑喰に呑まれたのは、禁忌を犯したせいだと言いたいのか」

「察しが良いねえ、だんな」

 口琴師は笑いを浮かべ、楽器を懐にしまった。

「そうとも、ありゃいい町だった。翡翠児が来るまではな」

「翡翠児がなぜそんな所にいたんです? 禁忌を犯したとはいったい」

 焚き木をつついていた口琴師がギロリと目を向けた。

「なぜいたのかって? 知らねえな。港ってのはいろんな連中が来る、どこぞの誰ぞが連れてきたのかもしれんし。だがこちらの旦那の話にもあったろう。翡翠児の髪に刃物を使っちゃならねえ。キアタイカの奴らはそれを守らなかったんだ」

 口琴師は火を眺めつつ、苦々しい顔をした。

「翡翠児は頭巾で髪を隠していた。だが一筋、髪がこぼれていたんだ。それを見つけたどこぞのバカ小僧ガキが引っ張って、翡翠児だ! と叫んだ。はずみで頭巾は外れ、輝くばかりの緑の髪が露わになっちまって、市場の連中が騒ぎ出した。翡翠児はおびえて逃げたが、所詮は子どもの足だ。大勢の大人に追い立てられ囲まれて、捕まっちまった。騒ぎで興奮した誰かが、その髪をくれ、ひと筋でいいんだとわめいてむりやり引き抜いた。それを見た周りの連中も、われ先にと翡翠児の髪に手を伸ばした。しまいには待ちきれぬとばかりに、刃物で髪を切るようになった」

「なんてことを!」

「狂っとるな」

 二人の声を聞いて、口琴師はうつむいたままくつくつと笑った。

「狂っとるか。ああ狂っとるな。後から考えればなあ。だが騒ぎのその場にいたら、旦那がたでも止められたかね――とにかく、市は狂乱の場になった。ちいさな翡翠児は押さえつけられ踏みつけられ、緑の髪のほとんどを奪われた。そして聞いたこともないような高い声で叫んだんだ。そのとき、ああ全くその時だ。突然地面が割れ、大量の緑の渦が襲ってきた!」

緑喰ダプネイの波……」

「そうともさ。まるで翡翠児の声に呼び出されたようになあ。とにかくあっちでもこっちでも地獄のさまさ。胞子に取りつかれ、喰われる人の悲鳴は、海を渡った隣国まで聞こえたそうだ」

 再び口琴の音が響く。長く激しく、なにか苛立つように音は続いた。

「それで、翡翠児はどうなったんです。緑喰に呑まれたのか、それともどこかへ逃がれたのか……」

 震える声で問う青年に答えるように、長く一音響かせて、口琴師はやっと楽器から口を離した。

「しらねえなあ」


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