第38話 8

 翌日、彼らは街の至る所へ赴いた。商店街のカフェに行けば、無償で働く代わりに一日だけ撮影を許す事を頼んだ。公民館へ行けば、卓球や将棋を楽しむ老人たちに混ざりゲームに参加した。山へ登り、川の橋を歩き、そして気が付けば、映画へ出演したエキストラの数は二百人を超えていた。



 「頑張れ!」



 その言葉は、必ず彼らを奮い立たせる。現場を後にする彼らの背中を見て必ず激励を送り、そして絶対に見に行くと約束を交わし、人々との繋がりが数えきれない程の線となったとき、撮影は最終局面を迎えた。



 机を積み立ててシーツを被せた城と、青い一本だけの花束。学校の教室、日が傾いてオレンジ色に染まるその時間、遂にヒロインの告白のシーンがやって来た。



 役者組の一週間の暗躍は、本人たちの思う以上にファンの期待を煽ったようだ。通常の教室を借りて臨んだ撮影だったから、どこかから漏れた情報を辿って何人かの野次馬が集まっている。



 「……カントク、提案があるんだけど」



 言って、ウォズは勘九郎に耳打ちをする。



 「それ、いいな。おい、お前ら」



 声を掛けたのは、廊下から見守る彼らだ。撮影を中断して彼らの方へ歩いていくと、教室の中へ指を指して何かを言っている。やがて、一番前に居た男子生徒は頷くと、教室の中へ入って来て予備の照明を一つ手に持った。



 「……何言ったんですか?」



 「どうせだから手伝ってもらおうって。人手はずっと足りてないし、何より光源が一つあるだけで映像の臨場感が段違いだよ。特に、こういうシーンはね」



 その男子生徒に倣ってもう二人、ならばと勘九郎は舞台装置用に直した扇風機に一人、その上に花びらを持って待機するように一人を配置した。



 「花は重ならない様に一枚ずつ、風はやや上向きだ。ヒロインは結構メルヘンな奴だから、彼女の脳内のイメージを膨らませるように頼むぞ!」



 アクションが開始し、心情を明かす主人公。複雑な笑顔を浮かべ、それでも好きだと伝えると、応えるようにヒロインが目を閉じた。そして……。



 × × ×



 「ウォズ、大丈夫か?」



 「何とか」



 目の下にクマを作った二人は、互いに目を合わせる事もなく延々とノートパソコンのモニターを睨んでいる。床には、おびただしい数のジャッキーカルパスの包みが散乱していた。

 ここは、勘九郎のアパート。ウォズは撮影の終わった日から泊り続けていて、二人とももう三日間は眠っていない。完成度は80パーセント。文化祭まで、残すところ一週間だ。



 「そう言えば、前期末テスト明日だっけ」



 言われ、テキストボックスに打っていた文字が歴史の登場人物に変わっていく。気が付いたのは、音響担当を織田信長と入力した時だ。



 「俺は、大学に行かないから赤点でもいい。ヤバいなら、帰った方がいいんじゃないか?」



 朝日が差す部屋に、沈黙が訪れる。



 「……そうするよ。僕の親、好きな事する代わりに勉強だけはやれってうるさいんだ」



 言って、自前のノーパソを鞄に詰めるウォズ。のそりと立ち上がると、「またね」と言って部屋を出て行った。きっと、一度眠って夜に全てを詰め込むのだろう。



 間違えた箇所を消して、再び入力作業に映る。担当の打ち込みを終えた勘九郎は、感謝を込めてエキストラとして出演してくれた人たちの名前を全て入力している。因みに、手伝ってくれたあの三人は照明と小道具だ。



 ひたすらに文字を打って、ようやく終われば今度はサウンドエフェクトの挿入。クロエが指示を出してくれているから、それに沿って完成している部分に音を差し込む。サウンドは、ほとんどがクロエのオリジナルだ。



 「赤点はいいけど、受けないのはマズイな……」



 呟き、時計を見ると時刻は午後の三時。あっという間に放課後になっていて、自覚と共にどっと疲れが現れる。



 ほんの少しだけ眠ろう。そう考えて目を閉じる。しかし、再び目を開けたときにはすっかり夜になっていていた。



 「……あ、おはよう。鍵開いてたから、勝手にお邪魔しますしちゃった」



 横を向くと、エリーが顔を覗いていた。制服姿で、学校が終わってそのままここに来たのが分かった。



 「明日、テストなんだろ?マズイんじゃないのか」



 言いながら、シンクに向かって歯を磨く。シャコシャコと擦る音が聞こえる間、エリーは一言も喋らなかった。



 「別に。私、これでも英語は得意だし。漢文は、全然出来ないけどね」



 事実、前回のテストでも彼女は漢文を赤点スレスレで突破し、代わりに英語や数学で点数を稼いでいた。



 「そうか。なら、時間の許す限りゆっくりしていってくれ」



 言うと、エリーは少しだけ笑ってからため息を吐き、勘九郎に寄りかかって天井を見上げた。



 「なんか、こうするの久しぶりだね」



 きっと、寄りかかるのを止めた頃から彼女は勘九郎との距離を感じていたのだろう。その隙間を埋めるように、エリーは前よりも力を抜いて体を傾けている。



 編集を続け、時々エリーが頬を寄せ、そしてじれったく声を出す。そんな時間が一時間を過ぎた頃、ようやく勘九郎は体を伸ばした。どうやら、作業がひと段落着いたようだ。



 立ち上がって、コップに注いだ水道水を飲み干す勘九郎。その姿を見つめるエリーを、彼もまた見つめ返した。



 「一つ気になってたんだが」



 「ん?」と首を傾げる。



 「お前、ガムは噛まなくなったのか?」



 聞かれて、例え役者としてでも、細かい変化に気づいてくれた事に嬉しくなってしまう。



 「うん。もう必要ないからね」



 今度は、勘九郎が首を傾げた。



 「あれさ、昔パパが寂しい時に食べなさいってくれたモノなの。だから、もう要らないんだ」



 言われてみれば、あれを噛んでいたのはいつも別れ際だったと、勘九郎は思い出した。



 「寂しくなくなったんだな」



 「うん。それに演技だって、もうカントクといる時以外する事もないよ」



 言いながら、これ以上ない皮肉であると感じてしまう。しかし、もう照れるような様子はない。代わりに浮かべたのは、甘い味を噛みしめるような幸せな笑顔だ。



 ……表情の後、型落ちしたノーパソから聞こえていた低いファンの音が、突然消えた。長時間操作をしなかったから、スリープモードになったのだろう。駅から離れたこの場所には、車のクラクションは届かない。秋の虫の音は遅く、今年は聞こえてきていない。ここには、何の音もない。



 だからきっと、今しかなかった。



 「……俺、実はまだ隠してる事があるんだ」



 「えぇ~?まったく、全部言ったっていってたのに」



 座ったまま、彼を見上げている。



 「……はぁ、仕方ないなぁ。怒らないから言ってごらん?」



 そして、勘九郎は初めて、自分の人生の主人公となった。



 「エリーの事が、好きだ」



 何の音もない小さな部屋で、一つも飾らない言葉。それが、今までいくつものセリフを考えて、数々のシチュエーションを再現してきた勘九郎の物語だった。

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