第4話 4

 「……あぁ、朝か」



 包まっていた毛布をどかし、旧校舎裏の水道にホースを取り付けて水を被る。彼は、こう言った時の為に生活用品を一式宿直室に置いてあるのだ。



 水であまり泡立たないシャンプーで髪をグシャグシャと洗い、体に石鹸を塗りたくる。

 朝の寒い風を素っ裸で受けて、大きなくしゃみが出てしまう。鼻水をかんで顔面に水をかけると、バスタオルで水滴を吹きながら部屋に戻っていった。

 髪の毛が短いのは、自然乾燥の効率を求めているからだ。



 「ふぁ……。眠いな」



 脳みそを覚醒させる為、わざと独り言を呟く。

 首をゴキゴキと鳴らすと、下着も履かずにそのまま再び作業を開始。

 時刻は現在8時。今日は一つ出席しなければならない授業がある為、それまでにある程度完成させたいと考えながらカチカチとマウスを操作する。

 デバイスは、バッテリー充電式の型落ちしたノートパソコンだ。



 とは言え、進捗は芳しくない。

 動画編集を生業なりわいとするウォズですら大層な時間を取られるのだから、勘九郎が一人でやろうとすれば手間取るのは火を見るよりも明らかだ。

 おまけに、理想を追い求めるモノだから時間もどんどん取られていく。



 「どうにかして、ウォズを仲間に出来ないだろうか」



 好物のジャッキーカルパスをつまみながら、尚も作業に没頭する。

 イヤホンから聞こえてくる棒の演技に嫌気を感じながら丁寧に加工処理を施していると、突然部屋の扉をノックする音が部屋に響いた。



 「カントク、いる?」



 訪問者はエリーだった。

 しかし、彼の耳にはそれが聞こえていない。集中して、文字通り自分の声しか聞こえていないからだ。

 ただ、部屋に居るのは気配で分かったから、怒って無視されたのだと勘違いした彼女は扉の隣にもたれかかるとそのまま話を始めた。



 「……あのさ、昨日は叩いてごめんね。ちょっと傷ついちゃったって言うか。別に、そういう意味じゃないけど嫌だったって言うか。転校ばっかで、あぁ言う事言われなれてなかったって言うか」



 次第に声が小さくなっていく。

 しかし、ポジティブに行きたいと考えてかぶりを振ると、暗い言葉をかき消した。



 「でも、カントクは私にしか出来ないって言ってたでしょ?だから、戻って来て上げなきゃ可哀そうかなって思って」



 どうにも、エリーは困っている人を放っておけない性分の様だ。



 「……そんなに怒ってるの?でもカントクがあんな事いきなり言うから」



 待てど暮らせど返事のない事に、彼女は怒りでなく不安を感じてしまう。とんでもない面倒見の良さだ。



 「あ、開けちゃうからね!」



 錆びたドアノブを捻り、そっと扉を開く。恐る恐る中を覗いてみると。



 「な……っ!?」



 そこには、素っ裸にバスタオルを肩から掛けただけの男子高校生が、ジャッキーカルパスを齧りながらモニターを睨みつける姿があった。

 暖房はついておらず、服を着ている彼女でも少し肌寒い気がしている。



 「ん、エリーか」



 風が吹き込んできたのに気づいて、勘九郎はエリーの方を向く。そして、席を開けようと立ち上がり、コップに汲んである水道水をゴクリと飲んで喉を鳴らした。



 「な……。な……」



 わなわなと震えるエリー。

 堂々と股間を見せつける姿と、平静と何も変わらないその態度が、心配にかられた彼女の心を再び弄ぶ。



 「来てくれたんだな、感謝する。それじゃあ、今日は昼過ぎから新しい映画を撮るぞ。脳みそにインターネットを埋め込まれた主人公が、どれだけ検索しても分からない人の心を探すSF作品なんだ。主演は、もちろんエリーだ」



 おまけに、勝手に主人公をやらされる事になっている。

 彼は、昨日引っぱたかれた事など完全に忘れていて、代わりに戻ってきたことで了承を得たのだと思っていた。



 「マイクロチップの魔術師、と言う小説を知っているか?ブレードランナーと同時期の作品でな、攻殻機動隊などのサイバーパンクに強く影響を及ぼした物語なんだ。俺も、あんなサイバーパンクを描いてみたいと思っていてな」



 「ばかぁ!早く服を着てよ!」



 扉を閉めて、顔を真っ赤に天井を見上げるエリー。

 言われて初めて、自分の姿に気が付く勘九郎。ストックしてある下着とシャツを通すと、スラックスを履いて扉を開けた。



 「それでな?この主人公は完璧を求めて作られたアンドロイドなんだ。だから、エリーの容姿は配役にピッタリなんだよ」



 台本を見せながら何食わぬ顔で話を進めるのが、エリーには全く理解できなかった。

 しかし、どうしてかその楽しそうな表情を見ていると、裸を見てしまった程度は些末さまつだと思えるようになってきてしまったのだ。



 「……もう、仕方ないなぁ」



 「あえ?何が?」



 「何でもない。と言うか、昨日の話はもういいの?ウォズって人に頼みに行くんでしょ?」



 訊くと、勘九郎は一瞬だけ考える様な素振りを見せる。



 「……いや、もういい。お前の映っていないモノに興味がない。頼むのは、次の撮影が終わってからだ」



 またそんな事を言う。と、口に出す事はしなかった。



 「さっきから気になってたんだけど、なんで私が主人公をやる事になってるの?」



 「なんでって、この話の主人公がエリーだからに決まってるだろう」



 「全然意味が分からない、私は映画を作ってもらうのに協力するって言っただけだよ。大体、演技だって昨日やったのが初めてなのに」



 「ナニぃ!?初めて!?あのクオリティで伸びしろしかないと言うのか!?」



 しまった、そう思った時にはもう遅い。褒め殺しにされて、悪い気がしていないのが運の尽きだ。



 「落ち着いて!仮に私が演者をやるとしたって、他にも人は必要でしょ?照明やセットだって必要になるし、何より学生……」



 「なんだ、そんな事を心配していたのか。ついて来い」



 そう言うと、勘九郎はエリーの横を通って階段へ向かった。

 食い気味に答えるせいで、「勉強だってある」の部分は言う事が出来なかった。



 「もうっ!」



 強引過ぎる勘九郎に辟易へきえきとし、腕を振り降ろして地面を踏みつけると、彼女は呆れたように後を着いて行ったのだった。

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