第44話 一ノ瀬和也の林間学校は幕を下ろす
疲れた。もう休みたい。一息ついたら疲れがどっと出てきてしまった。このままベッドに潜ったら寝てしまいそうだ。って言うか、寝たい。人がいないところで座ってはいるが、横になりたい。
あの後
まぁこれで何とか解消・・・・・・まで行くかどうかはわからないが、とりあえず改善はできただろう。この先どんな展開になるかは他のやつに任せるとしよう。そこまでやる義務はない。
にしても、どうしてただただ火を見ているだけなのにこんなに盛り上がれるんだ? 外で木を組んで火を灯しているだけだろ? 言ってしまえば二酸化炭素を大量に排出してるだけだ。浮かれる理由が見当たらない。
音楽はまだ流れていない。もう少しで音楽が流れ始めるというアナウンスがあったから、もう少しなのだろうが
「イッチー、今大丈夫?」
「・・・・・・
声がかかった方に顔を上げるとそこには双葉がいた。さすがに座っている俺と立っている双葉とでは双葉の方が高い。失礼すぎるか・・・・・・
「どうした?」
「その・・・・・・あ、ありがとう・・・・・・」
何だそんなことか。何か礼を言われることが多くなっているが、やめてもらいたい。よく言うこそばゆい感じではなく、気持ちの悪さしかない。俺はただ自分のためにやっただけだ。礼など似合わない。
「別に、引き受けたからやっただけだ」
「でも、本当にありがとう。イッチーのおかげでサーナももっと学校生活を楽しめると思う」
「楽しむ、か」
それはいいことだ。俺も楽しみたいものだ、俺なりのやり方で。
「これより、音楽を流します」
教員のアナウンスが流れると同時に生徒の熱気が倍に膨れ上がった気がする。そこかしこから声が聞こえる。浮かれているような声色だ。おそらくこれから誘う、誘われるをする人も多いのだろう。人数からして、先にしている人の方が少ないのかもしれない。
「
「はぁ」
「ため息はつかないであげてよ。音杏も楽しみにしてるんだから」
「楽しみね・・・・・・俺は面倒この上ないんだが」
「それは踊るのが? それともその意味が?」
「六、四くらいだな。まぁふりをしているなら仕方がない」
「ふり、ね・・・・・・」
その反応はやめろ。いらぬ思考が働いてしまう。
俺は立ち上がって双葉が指さした方向に歩き出そうとした。が、俺が歩き出すよりも先に双葉が俺の手を取って動きを制した。
俺は双葉の顔を見下ろした。こんなときだがやはり小さいな。
「イッチー」
「どうした」
双葉が一瞬何かを考えるように顔を下に向けた。しかし、それは本当に一瞬のことだった。顔を上げた双葉は何かを決心したような、そんな顔をしていた。
「私と音杏が一番嫌いな勝ち方はダブルフォルトで試合が終わったり、レシーブミスで試合が終わる勝ち方。相手はもちろん悔しいだろうし、私たちもなんとも言えなくなる。気持ち悪いって言うのが正解なのかはわからないけど、後味が悪すぎる」
「・・・・・・何の話だ?」
「勝ち負けの方法の善し悪しを議論するのは間違ってるのかもしれない。いい球を打っても、相手がミスをしても一ポイント、それが私たちのやってる競技。一発逆転もないし、点を取っても直ぐに取りかえされる」
「だから何の話だ?」
こいつ壊れたのか? どこかで頭を打ってねじがぶっ飛んだか・・・・・・人と話ができない程まで壊れている。
「だからね、一本一本を大事にしないといけないの。それは相手も同じこと。ソフトテニスは相手がいて、ペアがいて初めてできるの。それは恋も同じ」
「恋っていうのは相手がいないとできない。やりとりの一本ずつが大切で、片方が手を抜いていたら直ぐに飽きちゃう、それが恋。だから、イッチーには一つずつを素直に打って欲しい」
「相手を想ってとか、綺麗にとか、うまくとか、そんなことは言わない。ただ自分に正直に、素直にボールを返してあげて。そのボールをどう思うかは音杏に任せて、イッチーは自分のやるべきことだけやって」
「でも、これだけは約束して、打たないという選択肢は選ばないって。必ず何かを打ち返してあげて、それが音杏にとってどんなものでも。返さないのが一番苦しいから」
「・・・・・・覚えておく」
俺の答えに満足したのか双葉は俺の手を離した。双葉の顔はなんとも言い難い笑顔だった。楽しそうではないが、うれしくなさそうでもない。何と言えばいいのか、俺にはわからない。
俺はそれ以上何も言えなかったので歩き出した。
周りには炎に照らされたウキウキ、そわそわしているやつらがごろごろしている。もっとも、顔が赤くなっているのは火のせいばかりではないだろう。
そいつらの脇を抜けて桐ヶ谷の
「桐ヶ谷」
「・・・・・・」
おいおい・・・・・・無視はやめろよ。お前が誘っておいてそれはないんじゃないか? さすがの俺でさえそんなことはしないぞ。
そんなことを思っていると、桐ヶ谷が俺に右手を出してきた。どうやら手を取れということなのだろう。どこぞのお嬢様か・・・・・・と言っても、俺の知っているどこぞのお嬢様はお嬢様感を隠しているが。
ここで手を取らないという選択肢は俺にはない。桐ヶ谷の手を取ってキャンプファイヤーの火の近くに行く。すでに踊っている人が火の周りで回りながら踊っているからだ。
何の指示もないはずなのに妙に統率がとれている。空気を読むというのはこういうときに役に立つんだな。そんな情報を知ってもまったく役に立たないが。使い道のない情報も頭の中に入れておいてそんはないかもしれないな。
空いている場所に着くと周りに合わせて踊り出した。合わせるなんて俺のやり方ではないが、ここで場違いなことをして変に目立つ方が俺の主義ではない。『郷に入っては郷に従え』、その方が目立たない。
踊っているのはオクラホマミキサーのようなもの。どうして日本の林間学校でアメリカのフォークダンスを踊るんだ? 日本のフォークダンスでもいいのではないか? どうでもいいが。
それはそれとして、桐ヶ谷と話さないといけないな。
「桐ヶ谷――」
「音杏」
・・・・・・は?
「音杏って呼んで」
・・・・・・ああ。面倒だ、そんなことを言っていたな。
「そこまでやる必要があるのか?」
「いいじゃん、
「それはあいつが苗字で呼ばれるのを極力避けるからだろ? 俺もあいつが苗字でいいって言うんだったら名字で呼ぶ。特に特別な意味はない」
「・・・・・・嘘」
「はぁ、あのなぁ、俺と寧々は今はただの先輩、後輩だ。それ以上でも以下でもない」
ことはないか・・・・・・俺と寧々のことをどう表現するのが適切なんだ? 敵? 友人・・・・・・ではない。今は何でもいいか。
「じゃあ」
そのとき、俺たちの踊りのテンポが一段階遅くなった。その原因は俺ではなく、桐ヶ谷・・・・・・音杏がゆっくりになったからだ。何かに意識をとられたのか、その何かを俺は雰囲気で悟った。
火のせいではないと明らかに言えるほど顔が赤くなっている。だが、顔はまっすぐに俺を見ている。耳も赤くなっており、握っている手も多少なりとも温かくなっている気がする。
「
「お前がそれでもいいなら、俺は願ったり叶ったりだ」
「それで・・・・・・」
音杏が一呼吸置く。大切な話でもするかのように。
「和也、私はあなたのことが好きです。嘘ではなく、ふりでもなく、本当の恋人になってください」
真夏ではないにしろ、すでに夏にはなっている。それに火もあるので夜であっても温かい。それなのに、春のような心地よい風が俺に吹いてきた。春、季節にとっても、俺にとっても幻の春。
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