【30】2006年6月7日 8:27・教室・曇り。頭痛とプライド(レン視点)。

「ねぇ、ちょっと。アレって」


「え?西冥さん?何してんだろ・・・」


教室に入るとクラスメイトたちが私の異変に気づき、注目の的になるのに時間はそんなにかからなかった。なるべくいつもと変わらない雰囲気を出そうと努めてはいるが、ユアルのカバンの重さで強制的に蟹股になってしまう。蟹股(がにまた)で踏ん張らないと気を抜いた瞬間にバランスが崩れてしまうため結果的に蟹股にならざるを得ない。



チラっと周りのクラスメイトを確認したが案の定、奇異の目で見られている。イヤ、生徒用玄関から教室までの間、すれ違う生徒たちからだいたい似たようなリアクションを受けていた。やっとの思いでココまできた苦労を思えばこんなモノもはや羞恥ですらなかった。それに奇異の目を向けられることなんて西冥家に生まれた者の悲しいオプションとしてもう慣れっこだ。




《クソがッ》


慣れてはいるが、ストレスがないわけではないので心の中で暴言を吐かせてもらう。




「ツッ・・・」


ズキンズキン。


こちらの状況なんてお構いなしの頭痛はまだ続いていた。ユアルの机が最前列から近い席で助かったと一歩一歩バランスを保ちながら歩みを進める。



今朝の踏んだり蹴ったりなスタートからココまでの出来事が昨日と同様に厄日になりそうな雰囲気を醸し出しているような気がしてならない。


「ふぅふぅふぅ、・・・ほぉ~~」


やっとの思いでユアルの机にカバンを置いた。




清々しさというよりも何かのマーシャル・アーツを体得したような達成感さえある。私はすかさず蟹股から姿勢をスッと正してクラスメイトたちからの冷たい視線をモノともせず軽快に歩きだした。



アイナの机にもカバンを置いて自分の席に座ると何かを思い出したようにカバンから携帯を取り出し誰からも来てないメールの確認をする。そして、誰にも送らない、下書き保存すらしない本文を適当に書いては消してを繰り返した。




去年、同居生活を始めるにあたって本邸からユアルとアイナの携帯を用意する際に『どうせなら』ということで私も新しい携帯に変えてもらった。機種とか機能とかの詳細は知らないしメールと電話しか使わないからまだまだ十分使えたけど使い始めて数年経っていたこともあり、何よりお祖父様からの誘いだったので特に拒否する理由もなかっただけのことだ。



携帯のアドレスにはお祖父様と父と丹加部さん、そしてユアルとアイナとあとは幼馴染み同然で育てられた本邸(ほんてい)の副メイド長であるミナ、それから送迎車の護衛専用携帯の連絡先しか入っていない。



この学園の生徒とは誰とも電話番号もメアドも交換してない。




別に言い訳するわけじゃないが、お祖父様の口癖でもある『他人に恩を売られるな』という教えの影響も多少あるかもしれない。ちなみにこのルドベキア女学園では通学組や寮生組関係なく緊急時用として携帯電話が許可されている。




緊急時というよりは通学組の送迎が義務化されている以上、親や送迎する者たちと連絡をとるために携帯電話はなくてはならない必需品だった。授業中に電話やメールをすると問題だが休み時間のメールのやり取りくらいでは注意されない。


《はぁ、シャワー浴びたい・・・》



昨晩のアイナの件みたいにブラウスはもうビショビショでおまけにシビアな頭痛はまだ続いている。さらに上級生には当て逃げされ、ユアルのカバンのおかげで教室の入口からあんな醜態も晒した上、身体はもう疲労困憊。だが、私は西冥の人間として何事もなかったように振る舞った。




気取っているわけじゃない。お祖父様に強要されているわけでもない。別段、勿体つけるような大層な理由なんてない。物心ついたときには既にこういう振る舞いになっていたのだから今更キャラ変更というのも難しかった。どんなに陳腐だとしても私にだって譲れないモノやプライドがある。





この学園に通って、と言っても校舎は初等部から大学まですべて異なる場所にあるのだが、9年間見知った顔の中、意識的または無意識的に私は西冥としてのプライドを持って学園生活を送ってきた。そのおかげでぶっちゃけてしまうとユアルとアイナ以外に仲の良い友達なんて1人もいない。しかし、寂しいとかそんな薄っぺらい感情に振り回される暇なんてなかった。





初等部の頃は250人以上もいたはずの同級生たちも、現在200人にまで減ってしまった。これが意味するところは要するに、約9年間でそれだけリタイアした家庭があるということだ。この学園はそこら辺の私立とはワケが違う。



一緒にされたら困る・・・。




ましてや西冥の関係者ともなるとライバル企業の娘やお祖父様を快く思ってない部下の娘だっているかもしれない。だから、こういう振る舞いで距離をとってしまうのもある意味仕方がないのだ。





だからと言って最初から一人というわけではなかった。私にだって初等部低学年まではたくさん友達がいた。いつも周りにはクラスメイトがいて楽しく話をしていたこともあった。しかし、そんな楽しい時間はある日突然終わってしまった。




1番仲が良いと思っていたグループのクラスメイトたちが実はすべてお祖父様の会社で働いている部下の娘で、自分の娘を利用してポイント稼ぎのためにすり寄ってきただけのハイエナだと判明したことがあった。



あのとき私は思い知った、そして学んだ。西冥という人間がこの惺璃(さとるり)市でどういう存在なのか。そして、心の底から好意で近づいてくる人間は皆無であることを。




その日を境にして私はクラスメイトと距離を置くようになった。丁度、その時期に習いごとも少しずつ増やされたこともあり学園は誰にも気を遣わず休める場所として利用するようになったのでタイミング的には良かったのかもしれない。もちろん、まったく誰とも会話をしなくなったということではなく、何度も言うが西冥の人間なのでそれ相応の振る舞いはしているつもりだ。話しかけられれば、それなりの愛想をもって接していたと思う。




西冥の人間としてのプライドを優先することを選んだ代償として友達はいなくなってしまった初等部卒業くらいまではたまに悲しい思いをしたこともあったが、もうすっかり慣れてしまった。



それに今の私にはユアルとアイナがいる。



ちなみに親の命令で私にすり寄ってきたハイエナたちはリタイア組になってしまい、もうこの学園にはいない。




風の噂では私が距離をとった次の日にハイエナの親たちがお祖父様にこぞって申し開きをしたらしく、ポイント稼ぎを自白したとか。要するに『自爆』してしまったらしい。それが原因かどうかは知らないがその親たちも後日、辞表を提出してお祖父様の会社を去っていったらしい。




私は気に入らないクラスメイトがいてもお祖父様にどうにかしてもらおうとは思わない。それにお祖父様も丹加部さんならいざ知らず、小娘の告げ口程度では動いてくれないだろう。




「ふぅ・・・」


《そろそろ携帯弄るのも飽きてきたな》



携帯の時計を見ると8時34分と表示されていた。あと数分程でホームルームが始まってしまう。




ふと教室の入り口を見ると、ユアルの姿が見えた。私はすぐに携帯をカバンに戻して2人に駆け寄る。



「早かったね2人とも!!で?どうだった?角刈りッ、じゃなくて知世田(ちよだ)先生はなんて?」



今、うっかり角刈りモアイと言いそうになったので慌てて言い直した。さすがにクラスメイトの目がある中での失言は絶対に出来ない。人のせいにするのは良くないけど最近アイナに影響されて確実に口が悪くなっているような気がする。気をつけないと。




「うーーん。とりあえずホームルームが始まるってことで軽い注意程度だったなぁ。実質的には余裕の勝利ってヤツだ」




得意気に話すアイナをよそにユアルを見るとユアルは苦笑いを浮かべながら首を振っていた。



「知世田先生、アイナが謝罪に来ないと思っていたみたいですごく驚かれてました。なので、きちんと謝罪にきたのを評価してくれたのか、今回は叱責だけで済ませてくれたんです」


「ウソッ?ホントに!?」


《あの角刈りモアイが?珍しいこともあるもんだ》



「えぇ、これからのアイナの成長を見ていくとのことです。もちろん、きちんと宿題を提出するという前提あっての話ですが」



「ユアルが保護者ばりに間に入って対応するからだろ?スゲェやりにくそうだったぜ、アイツ。ハハハッ」



ムギュウゥッ!



「何だよ!?何すんだよレン!!」


まるで他人事みたいに楽しそうに笑うアイナの頬を両手で思いきりつぶす。クラスメイトの手前、これ以上の失言は好ましくない。


「あ、ちょっとアイナッ!」


アイナは身体を後ろへ引いて上手く私の手からすり抜けた。


「とゆーことで、この件は無事終了だなッ!」


アイナはまるで全て自分の手柄のような態度でそのままスタスタと席へ歩いていってしまった。



「とりあえず、アイナの席で続きを話しませんか?レン」



「う、うん。そだね」


ユアルの促しに応じて、私とユアルも後を追いアイナの席で話を続けることにした。


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