【28】2006年6月7日 8:00・生徒用玄関・曇り。見送り(レン視点)。

翌朝、私たちは8時に学校の生徒用玄関についていた。なかなかこんな早い時間に着くことはない。それから今日ほど惺璃市が都心じゃなくて良かったと思った日はなかった。都心なら通勤ラッシュの大渋滞で車だと何時間かかるのか考えるだけで頭がおかしくなる。



こんな朝早く学園についたのは言うまでもなくアイナのためなのだが、そんな渦中の人、アイナちゃんは事もあろうに睡眠不足らしく絶賛不機嫌MAXのふくれっ面を披露してくれている。珍しく送迎車の中で唸り声が聞こえず、それはそれは可愛い寝顔で寝息を立てていた。



寝ている姿はホントに天使かと思うくらい可愛いかった。


同居解消の危機が迫っているとは言え、アイナの可愛い寝顔を見れたのは嬉しかった。これぐらいの役得がないとやってられない。




「ヤダ、あの娘可愛い・・・」


「え、誰?あ、ホントだ。初等部の子、じゃないよね?」


「あとあの背の高いの、モデルかな?」


「キレイ」


通り過ぎる生徒たちがふくれっ面のアイナと容姿最強のユアルを見て好き勝手に頭お花畑な感想を述べている。


《こっちは地獄への淵に立たされているというのにまったく呑気だナァ》




事実、彼女たちは無関係だし悪いことは何もしていない。悪いのは私の機嫌だった。



「それでは 、レン。私はアイナを連れて知世田先生の所へ行ってきますね」



学園の生徒用玄関に着くや否や、ユアルはアイナの襟首をガッチリつかみ笑顔でそう言った。



《たしかに笑顔なんだけど、怒りしか感じられないのは何でだろ》



「っていうか、あれ?ユアルも行くの?」


私はふと思った疑問をそのまま口にする。



「レンは・・・アイナを1人で行かせた方が良いとお考えですか?」


ユアルは口角を少し上げて尋ねてきた。



「あーーー・・・」


たしかにアイナ1人で角刈りモアイの所に行かせて、トラブルを絶対起こさないと断言できる自信がない。




「ユアル先生、引率ご苦労さまです!!」


反論の余地がない私は腰を直角90度に曲げてお辞儀をし、ユアルをせめて気持ち良く送り出そうと努めた。


「面倒くせぇーなぁーー」




「「・・・・・・・はぁ」」



こんな状況になっても悪態をつくアイナに私とユアルはため息をもらすことしかできない。私は平気でこの言葉を言い放てるアイナの神経がまるで理解できなかった。


そもそも角刈りモアイにあれだけケンカを売ってる時点で精神構造が丸っきり違うのだと線引きしておかないと、こちらの調子が狂って病んでしまいそうなので深く考えるのはやめておく。



「いったい誰のせいでこんな面倒なことになっていると思うの?」


アイナの悪態にしっかり釘を刺すユアル。私が言いたいことをはっきり言ってくれるから助かる。


「まぁまぁ、ユアル落ち着いて・・・」


「ですが、レン」




ユアルの気持ちは十分理解できるけど、今日はまだ始まったばかり。些末なトラブルで余計な負のスパイラルに巻きこまれていくのは好ましくない。



「ユアル、私も一緒について行こうか?」



「いえ、レンにはお願いしたいことがあります」


「お願いしたいこと?何?」



「私とアイナがホームルームに遅刻したときの弁明です」


「なるほどなるほどッ!了解、お安い御用だよッ」


私は何か他にできることはないかと考え少しでもユアルのフォローがしたい気持ちからアイナのカバンを強引に奪った。


「おいレン!何すんだよ!ビックリすんだろ?」


「弁明の他にカバンも私が持ってってあげるからしっかり怒られてきなさい♪」




続いてユアルのカバンも奪おうとしたが軽やかな身のこなしであっさりかわされてしまう。


「あ、あれ?」


「カバンは自分で持っていくので大丈夫です」


「もうッ!せっかく持ってってあげるって言ってんだから貸しな・・・さい!」



今度は正面から逃げ道を予測しながらユアルに向かう。が、これもまたユアルの穏やかかつキレがあり無駄の無い動きによってかわされてしまった。宙を舞う蝶というレベルではなく幽霊の類を相手にしているような気分になり少し怖くなった。




アイナの身体能力もそうだがユアルもかなりの身のこなしだ。アイナは体育の授業などで知らないスポーツがあってもルールを覚えるのが早く、たちまちプロ選手のような動きで相手を翻弄するほど運動神経がズバ抜けているのだが、ユアルもアイナほどではないが数回授業をこなす内にアイナの次に上達してしまうほど運動神経が良かった。


「ちょっとユアル!避けないでよ!」



《プロポーション抜群で頭が良くて運動もできるなんてふざけ過ぎてる。本当に不公平だ・・・》


私はよく分からない嫉妬をぶつけるように声を荒げた。



「私とアイナはもう十分すぎるほどお世話になっている身です。そして今はアイナのせいで迷惑をかけるばかり。これ以上レンにご迷惑をかけたくないんです」



「昨日も言ったけどべつにユアルが迷惑かけてるわけじゃないでしょ?ねぇ?アイナ?」



私がちょっとだけ皮肉をこめてアイナに語りかけるとアイナのふくれっ面が一気にしぼんで口を開いた。




「どーてもイイからよー、さっさとカバン渡してやれよーユアル。カバンのやり取りでどんだけ時間潰すつもりだよ?早くしないとホームルーム始まっちまうだろーが・・・」


まるでオモチャを取り上げられて駄々をこねている子供をたしなめるような言い草に私はカチンときた。



「イタ!イタタタ!!痛ぇって!!レン!!」



思いきりアイナの耳を引っ張る。


「まったくッ!アイナにだけは言われたくないって!」



「放せよ!レンー!!」



「ほら、ユアル。アイナの言うとおり朝のホームルームまで時間がそんなにあるわけじゃないし、ね?」



アイナの耳を引っ張りながらユアルを諭した。



「そうですか?それでは・・・」



さすがに観念したのかユアルは申し訳無さそうに私にカバンを預けてくれた。





・・・ズシ―。



「おぉ!?え?な、何これ??」


あまりの重さに思わずアイナの耳から手を離して両手で慌てて持ち上げる。しかしそのまま静止していられるだけの余裕がないくらい重く、一旦床に置いて平静を装う。



数十キロのダンベルでも入ってるのではないかと思わずにはいられない重さだ。


「はぁ、ビックリした」


《こんな重たいモノ持つの、人生で初めてかも》


「レン、やはり私が持っていきますから」


「だ、大丈夫大丈夫!ちょっとビックリしただけだからッ!」


言い出しっぺで引っ込みがつかなくなってしまったが、できれば即お返ししたかった。



「それじゃあ、はりきって怒られてきてね!」


私は心配そうにこちらを見ているユアルの背中を押して送り出した。ついでにアイナの頭を撫でようとしたが手を軽くはたかれ未遂に終わってしまった。



《あとでいっぱい撫でてあげよう。うん、そうしよう。撫でてあげたい》




時刻はもう8時10分になろうとしている。この学園は無駄に広いので、職員室へ行くだけでも時間がかかる。職員室へ出向いて角刈りモアイから説教をくらい、職員室から教室までの道のりを考えると朝のホームルームまでは時間的な余裕がないのは明らかだった。



《アイナ、余計なトラブル起こさないでよ》



私はユアルとアイナの後ろ姿に祈りを捧げると、あまり気乗りしないユアルのカバンを持ち上げた。




「よッ!いしょっと!!・・・おっととと」



何とかバランスをとりながら歩き出す。几帳面なユアルのことだから忘れ物対策として全科目の教科書とか参考書とか入っているのかもしれない。


《でもその割にはカバン全然膨れてないし・・・っと、危なッ!!》


「痛ッ」


バランスを崩して壁にぶつかってしまった。すると背後からクスクスと笑い声が聞こえてきた。


「何あれ?」


「さぁ?」


ムカつく笑顔の上級生っぽい2人組が私を追い抜いていく。2人は追い抜いた後も度々こちらを振り返り、クスクスと嘲笑っていた。



《・・・ユアルのカバンを運ぶのはこれで最初で最後にしよう》


そう心に決めた。



まだ階段すら登っていないこのペースを考えるとユアルたちよりも私が遅刻する可能性だって考えられる。それは非常にマズイ。というか、死ぬほどダサイ。




思い出せる範囲でユアルの登下校の姿を思い浮かべたがユアルがこのカバンを苦にしている姿はまったくなかった。今朝も家を出る時に片手で扱っていたような気がする。



今私が運んでいるカバンの重さが変わらないとすると、この重さを難なく扱っていたことになる。



ファッションに気合を入れている女子高生がミニスカで越冬するように、このクソ重いカバンを苦もなく扱うことがユアルのような容姿端麗で頭脳明晰の必須条件なのだとしたら、私は今のままで充分だ・・・。


イヤ、これ以上ユアルと自分を比較をするのはやめよう。惨めになるだけだ。


「はぁぁ~~」


私はヨロヨロと壁伝いに再び歩き始めた。


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