追憶の刃ーーかつて時空を飛ばされた殺人鬼は、記憶を失くし、200年後の世界で学生として生きるーー

ノリオ

【第零章】プロローグ

【プロローグ】

ある日の夜中のことだった。


星が綺麗で、少し肌寒い季節の夜。


少女は一人で空を眺めていた。


街からそれなりに離れた丘の頂上にある家の屋根に座って、他にやることもなくただ座って見ていた。


他に人はいない。


ここら一帯は人もあまり寄り付かないためか、こんなに綺麗な星空を見ているのは少女だけだ。


少女はたった一人で、飽きもせずにずっと空を見ている。


暗闇の中に燦然と光輝く星たちの姿はまるで時を忘れさせるかのようで、少女はその光景に完全に目を奪われていた。


浮世離れした美しい夜空は少女を夢の中にいるような心地にさせ、この世の嫌なことから目を逸らさせてくれる。


世の中の嫌なことは全て夢だったのだと、そんな嘘を信じさせてくれる。


少女が屋根の上で一人座っているその光景ですらも、何も知らない者が見ればさぞかし幻想的に映るに違いなかった。


少女の見た目は幼く、綺麗というよりは可愛らしさを感じるものだったが、そんなものはまるで関係なく、美しさだけがそこに存在している。


そう、それはまるで、絵の中にでも入り込んでいるかのようだった。


世界が静止し、少女と星空だけを切り取ってそこに置いているかのような、そんな非現実的な思いに駆られる光景だった。


少女は首が疲れてきたのか、そのまま屋根の上にゴロンと仰向けに寝転がる。


手を伸ばせば、星の一つでも手に取れそうな気にさせられた。



「明日なんて…………来なかったら良いのに」



呟かれる言葉。


その声は空の暗闇の中に力無く吸い込まれ、虚しく消えていくのみだった。


誰も聞いていないと分かっている中で放たれたその言葉は、少女の本当の気持ちを表している。


出来ることなら、生まれてから今までを無かったことにしたい。


いや、むしろ生まれる前に戻して、別の人生を歩みたい。


少女の心の奥底から湧き出るその想いは、こんな夢見心地な世界の中では開放的だった。


人に言えるような話題ではないし、話せる相手もほとんどいやしない少女にとっては、今の一人のこの瞬間が最高に気持ち良かった。


このまま本当に時が止まって、明日が来なくなればいいと、そんなことを思ってしまうほど、少女はこの一瞬一瞬に没頭していた。


だが、


そんな、少女一人の静かなひと時がシクシクと流れ続ける中、


異変は突如として引き起こされた。


ゴゴゴゴと鳴る低い音。


遠くから徐々に大きくなって聞こえてくる。


まるで絵をぶち壊したかのようなその事態に、少女は思わず立ち上がった。


夢の終わり。


幻想的だったその世界に、現実が土足で踏み込んでくる。



「…………何?」



少女は訝しさに表情を歪めながら、心臓を手で押さえつけた。


バクバクと凄まじい速さで振動するその鼓動は、これが只事でないことを体が感じ取っていることを示している。


少女は、心臓部にやっていた目をもう一度空へ向けた。


星は相変わらず綺麗だったが、先ほどまでのように美しさは感じられなくなっていた。


音も明らかなほど大きくなっている。


星空の美しさはこの一瞬であっという間に不吉なものへと変わり、少女はゴクリと生唾を飲み込む。


すると、


その瞬間のことだ。


星空の下に広々と展開されている山々の奥の方に、いきなり赤いものが落ちてきた。


まるで隕石のようだった。


空から赤い弾丸のようにいきなりやって来たソレは、宙を凄まじい速さで進み、山の向こう側へと消えていく。


そして、


数秒後、派手な衝突音が聞こえた。


少女は目を白黒させながら、さっきとは別の意味で夢ではないかと自らを疑う。


しかし、


頬をつねっても目は覚めることはなく、あり得ないと感じながらも、半信半疑でこれは現実だと認識せざるを得なかった。


少女はしばらくその光景を唖然と見つめていたが、ふとした瞬間、足を動かす。


何があったか確認したい。


そう思った。


少女は屋根から飛び降り、その音のした方向へ駆ける。


場所はそこから山を2つ越えたくらい。


遠かったが、少女の足なら約一時間ほどで着いた。


その付近はずいぶん焼けこげていて、その中心にいくにつれて酷くなっている。


奥…………中心部までいくと、焼けて灰と化した木々を押しのけ、一つの広場のようなものが見えた。


少女は意を決してそこに足を踏み入れる。


見てみると、そこには一人の男の姿があった。



「な、何この人…………」



男は地面に背中から減り込む形で仰向けに倒れていた。


周りの木々も数本倒れている。


おそらくさっきの隕石のような勢いで犠牲になったのだろう。


男の周辺は地面がクレーターのように広く陥没し、木々だけでなく葉や枝、果ては虫などの生物まで全てが満ぐるりに吹き飛ばされている。


少女は思わず息を呑んだ。


現場を見てはいないものの、そこで発揮されたのであろう破壊力は見るも明らか過ぎていた。


一体どれだけの力で叩きつけられれば、ここまでの被害になるのかーー。


そして、


肝心のその男自体も、ひどく満身創痍だった。


体中に傷を作り、血だらけで意識を失っている。


最初はその破壊力によるものかとも思ったが、その割には傷口に斬られたようなものまで見受けられ、一概にそうとは言えなさそうだ。


衝突時によるものか、全身に酷い火傷が広がり、左肩には大きな穴が空いている。


出血の量ももはや池を作りかねないほど多い。


おそらく、この男はこうなる以前からこの状態に近かったのだろう。


一つ一つの傷の種類や深刻さもさながら、負傷している箇所があまりにも多すぎる。


また、


男の服は少女の見たことのないものだった。


街を歩いていても、こんな服を着ている人は見たことがない。


生地は薄く、涼しげには見えても防寒には決して向かないでろうことは容易に想像がつく。


濃い青を基調としたデザインだが、そこには血が所々に広く染み渡り、ドス黒いイメージを感じさせられた。


さらに、


その腰には長大な刀が一つ。


派手な装飾で、どことなく禍々しさを感じる代物だ。


歳は若そうだが、間違いなく堅気ではないだろう。


少女の表情に宿る訝しさもその深さを増す。


危険な香りは、とても濃く少女の鼻をついた。



「…………こういうときってどうすればいいか分かんないけど、とりあえず救急車?でも、この辺、車の通れる道なんて無いし…………その間この人生きてられるかな?ってか、今の段階でもこれ生きてる?ヤバい。超面倒だよ。やっぱり見なかったことにして…………」



無難な対策がつい口から零れ落ちる。


だが、その時、


男の体がピクリと動いた。



「あっ、生きてた」



男はゆっくり体を起き上がらせると、辺りをキョロキョロと見回す。


さらには自分の体を触っては見を繰り返し、最後に少女の顔に目を向けた。


一瞬、男と少女が見つめ合う形となる。


静かに風が吹き、小さく緊張が走った。


少女は何が起こるかと身構え、男は唖然とした表情だ。


少女は再び生唾を呑み込む。


すると、


その瞬間、


男はたった一言だけ呟いた。



「俺って…………誰だっけ?」


「え?」



……それが、男と少女の最初の出会いだった。


物語はここから始まる。


この男が後に世界中を恐怖で震撼させるほどの大事件を引き起こすことなど、


この時点ではまだ、


誰も知るよしがなかった。

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