第5話 渡り廊下で

「私、好きな人がいて」

 斎藤と俺は、比較的人の少ない渡り廊下に出た。

 校舎と校舎をつなぐ廊下の下を、体操服に着替えた生徒たちがグランドに向かって歩いていくのが見える。

「片思いなんだ。そのひとに頼まれたの」

 斎藤は天を仰ぐ。涙をこらえているのかもしれない。

「いけないことだなって思ったけれど、好かれたかった。役に立つって思われたかった」

 斉藤は自嘲気味に笑う。

「わかるよ」

 俺は正直に答えた。

「好きなひとに好かれたいのは、普通だと思う。自分で出来ることなら、してあげたいって思うのって、当たり前だよ」

 俺の場合は、どんなに頑張っても、相手の記憶に残らないかもだけど。それでも、ほんの少しでも相手が喜んでくれたなら、やっぱりうれしい。

「ずるいな、大沢君は」

 斎藤は俺から顔をそむける。

「なんだろう。大沢君の言葉、ものすごく響くのよね。優しい声だから。じんと浸みてきちゃう感じ」

「……そうかな」

 自分は普通に話しているだけだ。響くとしたら、それは斎藤がその言葉を欲しかったのかもしれない。

「焼きそばパンの横流しを手伝うの、嫌だったんだね?」

「うん」

 斎藤は頷いた。

「みんな喜んでくれることだって思って手伝い始めたんだけれど、やっぱりルール違反だし。それに、パンを手に入れた人たち、あまり嬉しそうじゃなかった」

「そうなんだ」

 実際のところは、どうなのかわからないが、焼きそばパンのあの妙な高揚感は、購買部での激戦を制したからこそ、得られるものなのかもしれない。

「大沢君の好きって気持ち。まっすぐすぎて眩しかった。私、踏みにじるようなことをしてたと思った」

「うん」

 俺は頷く。

「いくら好きなひとの頼みでも、良心がとがめるようなことは断っていいと思う。やりたくないのに無理をして、自分を嫌いになったらダメだよ」

 好きな人のために、自分が汚れ役になって。そんな自分がどんどん嫌いになっていくって、あまりにもしんどい。

「やだ。そんなこと言われたら泣いちゃうよ」

 斉藤の目から、ぽろぽろ涙がこぼれ出した。

 クール系の斉藤だけど、普通に可愛い。きっと本当に好きだったのだろうな。自分の感情を抑え込んじゃうくらいに。

「大沢君は、そんなやつ、好きになるなとは、言わないんだね」

 斉藤はハンカチを取り出して涙をぬぐいながら、微笑む。

「そういうセリフはイケメンが言うの。その他大勢の俺には無理」

 俺は肩をすくめてみせた。

「その他大勢? 大沢君は随分変わったことを言うのね」

「真実だし」

 俺は腕時計に視線を落とす。もうすぐ授業が始まる時間だ。

「俺、先に教室戻るから、顔洗ったら?」

「うん」

 斎藤が頷く。

「なあ……差し支えなければ、焼きそばパン、どうやって買い占めているのか教えてもらっていい?」

 この質問は、斎藤の好きな男を聞いているも同然だ。さすがに答えてくれなくても仕方ないな、と思いつつ俺は問いかけた。

「放送部の高岡たかおか君よ」

 予想と違って、直球で答え、斎藤は微笑む。どこか吹っ切れたような笑みに見えた。

「じゃあ、私、顔を洗ってくるね」

 斎藤が洗面台に向かうのを見送って、俺は教室に戻る。

 短い休み時間だから、生徒のほとんどは席に着きつつあるが、チャイムは鳴っていないから、ざわざわしていた。斎藤はまだ戻っていない。

 席に座ると、すたすたと川野が俺の方に向かって歩いてきた。何か微妙に顔が怒っているように見える。

「大沢君、これ、落とし物」

「え?」

 川野が差し出したのは、例の光るボールペンだろうか。今は何の変哲もないボールペンに見えるけど。

 えっと。これは俺に受け取れと言っているのかもしれない。

「ありがとう」

 とりあえず、礼を言ってボールペンを受け取る。

「案外、たらしなんだから」

 聞こえるか聞こえないかわからないような小さな声で川野が呟く。

「は?」

 川野はコホンと咳払いをする。

「それで、何かわかりましたか?」

 なんかよくわからないけれど、斎藤とのことだろうか。

 ちょうど始業のチャイムが鳴り始める。

「えっと。放送部だって」

 俺は手短に答えた。聞こえたのかどうかわからないけれど、川野はそのまま席に戻っていく。

 教員が扉を開き、四限目の授業が始まった。



 四限目の授業は数学。

 数学の教師の谷崎たにざきの話し方は、抑揚があまりなくて、正直に言えばかなり眠い。

 計算とか作業している時は良いんだけど、話を聞いているとつい眠くなってくる。

 ふと隣を見ると、斎藤が眠気をかみ殺しているのが見えた。

 放送部の高岡、と言っていた。

 放送部は昼休み中、放送室にこもるので、特例として、総菜パンを事前注文できるって聞いたことがある。

 とはいえ、放送室は職員室の奥。パンは職員室の方に届けられるって話だから、当番の人間が食べる以上の数を注文するのはなかなか勇気のいる行動だと思う。普通に考えたら、購買部のほうでも不審に思う可能性はある。もっとも、教師や購買部はそこまで気にしないのかもしれない。

 高岡という男は、同じ二年だが、一度もクラスが一緒になったことはないのでよくは知らない。かなりイケメンで、前期は生徒会の役員もしていたと思う。

 高岡なら、焼きそばパンを横流ししようとすれば可能だ。

 斎藤の恋心を利用して、俺みたいなその他大勢に焼きそばパンを与える。そして食べた人間を奴の思い通りにできる方法があるのかもしれない。

 だとしたら。

 俺が思っているより、大きな陰謀が渦巻いている可能性はある。

 俺は、川野のくれたボールペンをくるりと手元で回しながら、腕時計の針に目をおとす。

 勝負の時は、刻々と近づいていた。






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