第5話 マヨヒガとは呼べぬモノ

 目を覚ますと、そこは森の中だった。体には怪しげな注連縄が絡み付いている。

 どうやら、幸か不幸か、これがクッションになって助かったらしい。

 遭難するくらいなら、死にたかった。そう思いながら、絡み付いている注連縄から降りる。

 辺りを見渡すと、なんだかここは普通の森とは違う。

 よくわかんないけど、とにかく不安になる。夜の学校みたいな、そんな感じの得体の知れない気味の悪さ。

 その上、霧のような何かが辺りに立ち込めていて、数メートル先さえ見えない。

 それでもよく観察してみると注連縄が至る所にあって、なんでこんな山奥にこんなものが……

 怖い怖い。普通じゃなさすぎる。私はただ単に愛されたかっただけなのに。お人形の騎士様と添い遂げたかっただけなのに。

 どうして、こんなところに迷い込んでしまったのだろう。

 とにかく、ここから離れないと。そう思ったのに、ふと気付いてしまった。

 全容は把握出来ないが、この注連縄が円形に何かを取り囲んでいるであろうことに。

 正体なんてわからない。だけど、なぜかそれに手招きされている。

 この注連縄が封印しているであろう、何かに。


 円の中心に向かって歩いた。時計で確認した限り三時間は。

 注連縄の具合から見て、二十分もあれば中心に至っていてもおかしくないはずなのに、どれだけ歩いても歩いても、反対側にさえ辿り着けない。

 真っ直ぐ歩けていないとしたら、この円を取り囲む淵の注連縄が見えてくるはずだ。

 円の中心には何もなく、素通りしたのだとしたら、反対側の注連縄が現れるはずだ。

 わけがわからない。そもそも最初からここはわけがわからなかったのに、わざわざ恐怖の中心に向かうのが間違っていたんだ。

 来た道を戻る。目印はないが、とにかくそうしよう。

 そう決心して振り向くと、目の前には注連縄があった。

 思わず息が止まった。なんで……怖い、怖い、怖い。

 ありえないことが起こって、精神がおかしくなりそう……

 冷静にならないと。意味不明でも、とにかく注連縄が見えたのだから、これを超えて、円の外側へ出よう。

 そう決意して、注連縄を超える……なんらかの妨害があるかと思ったが、すんなりと超えられた。

 思わず何度も確認するが、確かに超えている。

 よかった。本当にそう思う。だけど、念の為に目印をここに置いてから行こう。

 カバンから鉛筆を取り出して円の内側へ突き刺す。

 この深い霧の中で方向感覚を失って戻って来た時、そのことに気づけるからから。

 

「うそ……でしょ……」

 思わず声が出てしまった。三十分ほど歩いていると、目の前にさっき内側に刺したはずの鉛筆があったから。

 背筋が凍った。注連縄を一度も超えていないはずなのに、注連縄の内側に入っていた。

 なに? なにが起こっているの? そもそも、注連縄が円形に結ばれているという推測が外れていたのか?

 円形じゃないなら、注連縄の内側に気付かずにに入ることは有り得る。

 確かめないと。そう思って注連縄を掴みながら歩く。

 するとほんの二十分足らずで、目印の鉛筆が目に入った。勿論その間、注連縄に切れ目なんて一切なかった。

 得たのは答えになっていない答え。空間が歪んでいるという、理解を超えた回答。そんな非現実的な答えしか、もう考えられなかった。

 どうしてこんなことに……一度死のうとした人間が、虫のいい話かもしれない。だけど、死にたかっただけで、どんな目にあっても良いと思ったわけじゃない……

 どうやったらこの空間から出られるのかわからない。携帯を開いて時刻を確認するとちょうど正午だった。 

 わたしを探していたりするのだろうか。自分の所有物が零れ落ちたことに気付いて。

 家にも学校にも私を護ってくれる人はいない。

 現実を離れても、わたしの望んだ花園ではなく、こんなにも孤独で、気味の悪い場所しかなかった。

 この世界には、わたしを護ってくれるお人形の騎士様はいなかった。

 お腹もすいたし、歩き疲れて……疲れのせいなのか、ここに迷い込んでから消えてくれない、不安感がどうしようもないくらいにまで膨らんで、地面に座り込んでしまう。

 

 絶望的な気分に包まれ、最後に救いを求めて、頭に浮かんだ姿は、お母さんたちではなく、お人形の騎士様だった。

 一緒に入られた時間は少ないけど、心の中でずっと支えてくれたわたしの思い人。

「……もう一度、会いたかったな」

 こんなことになるのなら、お母さんたちに殴られたとしても、押し入れから出してあげればよかった……でもそんなことしたら、捨てられちゃうから……それがわかっていたやらなかったけど。

 あぁ……なんて絶望的な気分だろう。全部、全部、わたしを取り囲むモノ全部お人形の騎士様が壊してくれたら……


 よかったのに。


 抗えない眠気にうとうとして、瞬きをする……そしたら、目の前にさっきまで存在していなかった社があった。

 あまりに唐突なことで驚いてもいいはずなのに、なぜだろう……そこにあることのが当然で、見えていなかったさっきまでの方がおかしい。

 そんな感覚があるから、驚きや恐怖よりも納得の気持ちの方が大きかった。

 社は大量の注連縄で雁字搦めにされていて、神聖なものが祀られているような雰囲気は微塵も感じられない。

 注連縄からは、何かどす黒いものが内側から溢れ出していて、人間の力でも引き千切れそうなほどに傷んでいる。

 人間のお前でも今なら破壊出来るぞ。そんな言葉が脳内に響く。

 その声は、声ではないのに確かに声で、よくわからない言葉なのに理解が可能で。

 社の中にあるものは、決して外に出していけない代物であることを本能が理解している。

 だけど……この社の中には、わたしがずっと思い描いていた花園と、お人形の騎士様があるような気がして。

 いけないと理解しながらも、特にこの世に執着していなかったから、どうなってもいいやという投げやりな気持ちで、注連縄を乱暴に引き剥がした。


 百本近い注連縄を剥がし終えると、こじんまりとした社がようやく姿を見せた。

 注連縄の劣化を考えると、その社はあまりに綺麗すぎた。あまり意識していなかったけれど、この周囲を取り囲んでいる注連縄もやけに真新しかった。

 社を取り囲む注連縄だけが不自然に、傷めつけられていた。きっと、ここに祀られている物がそうさせたのだ。

 ほんの少しだけ躊躇ってから、社を開く。


 

 そこで祀られてあったのは……言葉にするのも嫌になる、胎動している肉の塊だった。

 やっぱり祀られていたんじゃなくて……封印されていたんだ。

 重さは五百グラムもないで肉塊の表面にはたくさんの眼球が浮かんでいて、それが一斉にわたしを見つめている。指とも触手ともつかないなにかをこっちにむけて伸ばして……

 いやっ…‥これはもう、この世に存在していい物じゃない。ここにきてからの不安感は、絶対にこれのせいだ。

 本能がこの肉塊を感じ取っていた。それに対する防衛本能だった。

 それに従っていればよかった。ここから出られなかったとしても、こんな存在を解き放つくらいであれば死んだ方が、絶対によかった。

 後悔なんて最早無意味で、触手が体に触れてくる。



 激痛が肉体と魂を蹂躙した。

 とにかく痛くて、痛くて、どうしようもない。

 痛みだけでも頭が一杯なのに、膨大な記憶が流れ込んでくる。

 藁の建物が立ち並ぶ村を歩いてた時に見つけた、行き倒れの少女を助けたせいで、体が次第におかしくなっていき、全身に眼球が生じて、指が触手になり……最終的にはさっきの肉塊へと堕ちてしまった、苦痛に満ちた女の子の太古の記憶。

 助けた少女と共に屋敷に囚われ、他にも似たような異形がそこにはたくさんいて、その異形たちは全員別々の社に注連縄で封印を施された。

 触れた存在を無差別に異形化させていく、呪われた少女の行方は、この記憶には宿っていない。

 それでも、一つ確かなのは、この見ているだけで気が触れそうになる肉塊は、ただの被害者ということだけだった。

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