メリーさんは帰り道を知っている

神薙 羅滅

メリーさんは帰り道を知っている

第1話 遺棄人形

 時間の感覚を消失してしまうほど、永く続いた暗闇が終わったと同時に、布と棉で構成された私の体は、透明なゴミ袋へと放り込まれた。

 焼け付く朝の日射しの奥に映る、大人とはいえないまでも、子供とは呼べないまでに成長した、ご主人の姿。

 彼女の悲しそうな視線は、私を見てはいるが、私だけを見ているわけではなく、押し潰れてしまうほど窮屈に詰められた、他のぬいぐるみや人形にも向けられているように感じられた。

 動く事のないプラスチックの瞳で、必死に捨てないでとご主人へ懇願する。

 それでも彼女は、私の徒労に気付くこともなく、ゴミ置場へ私の入った袋ごと放り投げて、大切にしていたはずの私を捨てた。



 私はご主人が二歳の誕生日に送られたプレゼントだった。

 それから私とご主人はずっと仲良しだった。ご主人は女の子そのものの様な方で、私でお人形遊びをして、おままごとをして、一緒のベットで眠った。

 そんな日々が何年も続いていたけれど、ご主人が小学校に通い始めると、その関係は変わってしまった。

 朝早く出かけて、夕方帰ってきて、宿題をして、習い事に向かう……ご主人が私で遊ぶ時間はどんどん減っていった。

 それでも小学校低学年の間は、一人で眠るのは怖いみたいで、私をギュッと抱いて眠ってくれていた。

 それは少し寂しかったけれど、ご主人と触れ合う時間が減るのは、人形の宿命だから、納得出来た。それに彼女の成長を感じられて、やっぱり寂しいけど、嬉しかった。

 でも、私がご主人を占める割合は年月の経過と共に、減っていく一方だった。

 一緒に寝るだけになって、ベッドの角に置かれるだけになって。次は押入れの、取り出しやすいところに。その次は段ボールの中に詰めて、押入れの奥へと追いやられた。

 最後に見たご主人の姿は、十歳だった。それから暗い押入れの中で、どれだけの年月を過ごしたかはわからないけれど、容姿を見るに、彼女は高校生になっていた。

 その成長を目に焼き付ける暇もなかった。

 無慈悲に捨てられた。

 ご主人は、思い出までは捨てていないのかもしれない。人間であるご主人はそれでいいのかもしれない。幼さの象徴である人形を捨てて、子どもの自分と決別するのも。

 でも、人形の私は、そうじゃない。ご主人にこうして捨てられてしまったら、それでお終いで、その先なんてない。

 無感情にゴミ処理場へ送られて、焼かれて灰になって全て終わる。子どものおもちゃとして、生を受けたのだから受け入れないといけない結末なのはわかっている。

 そんなのわかっている。でもそれは理屈で、感情じゃない。私は暗い暗い段ボールに押し込められているだけだとしても、それで幸せだった。

 何かのきっかけで、ご主人が何かのきっかけでダンボールを開いた時、不意に私を見つけて、懐かしさに浸ってくれたのなら、それがおもちゃの幸せなのに……

 その瞬間が、束の間であったとしても、ご主人に触れて、成長を目にできるなら、それが幸せなのに……

 それをある日突然、奪われてしまった。他ならぬ、ご主人の手によって。

 



 ゴミ処理場に着き、私が入ったゴミ袋が乱雑に床へ捨てられる。その上へ、無数のゴミ袋が無秩序に積まれていく。

 ゴミ収集車の中では運良く無傷でいられたけれど、今回ばかりはダメそうだ……重過ぎて、中に詰まった綿が飛び出しそう……

「うっ……最近捨てられて来る人形とかぬいぐるみ、多くなってない?」

「そうだね。あまりに多くて、変な噂が町中で、流れてるもんね」

 呼吸なんてないはずの私が、重さの余り息苦しさに喘いでしまう。

 燃やされて終わる前に、意識が遠のいて行く……かろうじて繋がっている意識の中、職員と思われる二人の会話が聞こえる。

「なんでも、捨てられた人形とかぬいぐるみが、元の持ち主を求めて、動き出すんだってさ」

「む、昔ながらの都市伝説だね」

「そうなんだけど、隣町のゴミ処理場で、職員がぬいぐるみの群れに焼き殺されたって噂が流れてて、なんでも退職者が出てるんだって」

「……娘が持ってた古いぬいぐるみを捨てたばかりだから、この話はその辺でやめとこう。ね?」

 二人の会話に現れた、ありがちな都市伝説。それが事実なら、この絶望的な状況をどうにか抜け出して、もう一度ご主人の元へ帰ることが叶うのだろうか。

 だけどその話が真実だとしても、幸せを振りまくはずの人形が、不幸を撒き散らす媒体になってしまうということでもある。

 それはおもちゃである私が、本能的に恐怖を抱いてしまう条件。

 人形が人を焼き殺すなんて……ましてや、自分がそんなことをするなんて、考えたくもなかった。

「気味の悪いことは、さっさと終わらせちゃおう」

 私が埋もれるゴミ山に足音が近づいて来る。

 それが止まると同時に、体にかかる重圧が少しずつ和らいでいく。

 圧死せずに済んだという安堵は、微塵も湧いてこなかった。

 私が迎える結末は変わらないから。圧死か焼死かの違いだけ。

 圧迫感がなくなったと同時に、職員の女性と視線が合う。

 人形と視線を交えてしまったことで、気味が悪そうな表情を浮かべている。その感情を押し殺すように、勢いよく私の入ったゴミ袋を掴んで、焼却炉へ向かって放り投げられる。

 鈍い打撃音と共に、体が打ち付けられる痛みに、呻き声が出そうになる。声帯なんて存在しないのに。

 そんな気持ちを知る由もない彼女たちは、躊躇いなく次々とゴミ袋を、私の上に放り投げる。

 焼死すると思っていたのに、私は押し潰される苦痛に呻きながら、焼き殺されるみたいだ。

 ゴミ袋が折り重なり、視界が黒に染まる。

 何も分からなくされた状況下で、鋼鉄の蓋が閉じられる音が聞こえた時、ここが私の棺桶になるのだと直感した。


 なぜ私は、こんな死に方をしないといけないのだろう。

 呼吸のない体が息苦しさを感じるほどの圧迫感。ジリジリと背中に迫り来る高熱。

 人が窒息死するのは苦しいと、ご主人と一緒に見たテレビで言っていた記憶がある。

 火炙りも辛く、罪人が恩赦を望んで、赤子のようになる程だと。

 私はご主人に愛されていたはずだったのに……なぜこんなにも酷い死に方しか与えてくれなかったのだろうか。

 鎌首をもたげ首筋にまでにじり寄ってきた、激しい痛みと、惨い死への恐怖が……ご主人への愛を憎しみへと変えていく。

 許せない。許せない。許せない。

 私は精一杯ご主人に尽くした。振り返ることなく捨てるなんて許されるの?

 体が一瞬浮遊した。ゴミ袋が熱で破れた。そして私は炎に呑まれた。


 痛い痛い痛い痛い。熱い熱い熱い熱い。

 非生物として扱われる人形に、何一つ抵抗出来ない人形に、ここまでの痛覚を備えさせた存在を憎む、恨む、怨む。

 尋常ならざる苦痛の中でもがき苦しむ。

 この苦しみから逃れられるというのなら、ご主人を殺す苦痛の方がマシだと思えてしまう。

 ご主人を楽しませる私が、悪に堕ちることへの抵抗はある。

 それでも命が尽きるまでこの堪え難い痛みが続くことを受け入れることも、目前に迫った死を受け入れることも、耐えられない。

 願うのはただ一つ。生きていたい。それが叶うのなら、ご主人を苦しめる呪いで良いとさえ思ってしまう。

 でも、残酷な処刑の只中で、耳にした都市伝説が、私に姿を現すことはなく、今度こそ本当に意識が真実の闇に染まった。

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