第9話

 次の日、ダダンは叩き起されることなく目が覚めた。両脇にはすやすやと眠る子どもたちの顔。驚いて起き上がろうとして、ぐっと我慢した。

 スィーはどこだろうと首だけで探すが、隣のベッドも空でどこにも見当たらない。そろそろとベッドから抜け出して、漸く部屋の内装に驚き、宿屋に泊まっていることを自覚した。


 ダダンの身長でも部屋の中は快適だった。扉は少し小さいが、先程寝ていたベッドもつま先がはみ出ることはなかった。


 耳を澄ますと子どもたちの寝息の他に水の降る音がする。雨かと思ったが、そうではないらしい。音のする方へ近づくと、玄関近くにある扉の向こう側から聞こえてくる。

 スィーが居るかもと思い扉を開けると、小さな空間がありトイレと呼ばれるものを見つけた。ダダンの認識では、これは鈍器に使える物だ、である。その奥にある薄い灰色の扉の向こうから、スィーの気配がする。


「おい、スィー」

「開けたら殺す」

「ヒェッ」


 扉のノブに伸ばしかけた手を直ぐに引っ込めた。まだスィーは怒っていたのだとダダンは理解した。頭を垂れてその場で待っていたが、スィーが出てくることはなかった。仕方なく小部屋から出て、大人しく待っていることにした。

 ベッドよりも奥にあるふかふかな椅子に腰を下ろすと、思ったよりも身体が沈み驚いて立ち上がった。腕で座るところを押すとぽよんと跳ね返され、また押すとぽよんと跳ね返される。

 その感覚にハマりダダンは子どものように遊んでいた。


 ふと近くに垂れ下がってる布を見つけ、恐る恐るつまんでみると光がダダンの顔に降り注いだ。眩しくて目を瞑り、慣れてきた頃にゆっくりと目を開けると、それが朝日だと分かった。

 思わず布を大きく広げ、外を見る。昨夜は暗くてよく分からなかった街並みが、はっきりと目の前に広がっていた。


 茶色や灰色の建物が多いが、目立つ色のお洒落な建物もチラホラと見受けられる。円状に並ぶ石造りの壁は綺麗な街並みには不釣り合いで、穴が沢山空いていて壊れているように見えた。

 まだ時間が早いからなのか、外を歩く魔族たちは少ない。

 広場には円型の噴水があり、高くなったり低くなったりと形を変える様は、いつまで見てても飽きなかった。


 そして、一番目を引くのは、王城だ。


 全ての物を見下ろすが如く壮大で、街の中心に堂々と構えていた。ダダンが目測するに、かなり距離があるはずなのだが風格は衰えず伝わってきた。


 それにしても、何故白色なのだろうとダダンは疑問に思った。白は弱い色で有名だ。魔王が君臨してるであろう城が、そんなナヨナヨした色なのはガッカリだった。

 自分だったら、とダダンは考えた。燃えるような赤が良いと直ぐに思った。それから、全てを覆い尽くす黒も捨て難いし、自分の鱗の緑も格好いい、大きな大きな空の青も良いかもしれないと、沢山の城を思い浮かべてニヤニヤした。


 この時、ダダンは外を歩く者たちが自分を見ているだなんて思いもよらなかった。


 扉の開く音がして、ダダンは妄想から現実へと帰ってきた。振り返ると、髪をタオルで拭くスィーが居た。


「スィー……?」

「何だ?」

「スィー?」

「そうだ! 何なんだ!」


 ダダンの目に映るスィーの髪色は暗い赤色ではなく、燃えるような赤色だった。ダダンの一番好きな色だ。

 ダダンは今のこの感情を的確に伝える術を持っていなかった。スィーはそんなダダンを見て眉をひそめてから、不機嫌なまま言葉を吐いた。


「お前も入れ、ついでに子どもたちも」

「え?」

「とっとと動け!」


 言われるがままダダンは子どもたちを揺すり起こして、スィーが出てきた小部屋へ向かった。ベッドのシーツも枕も何もかも、茶色く汚れていた。

 ダダンよりも子どもたちの方が、ソレをよく知っているようだった。眠気まなこを擦りながら付いてきていたが、先程スィーが開けるなと言った扉を開けて見せると目の色が変わった。


「おふろだー」

「わー! やった!」

「おふろ?」

「おーふーろー!」


 キャッキャと子どもたちの楽しそうな声がスィーの耳にも飛んでくる。スィーは口をへの字に曲げて、ソファーに座りながら窓の外を見ていた。


「ヒェッ!? うわ!!」

「こーだよ」

「ひゃあ! やめろお前ら!」

「ぎゅってしてー」

「ちょ、やめ! ああ!? いてぇ!」

「あはは! へんなのー」

「おばかー」

「もうやめてくれぇぇええ」


 ダダンの初めてのお風呂は、どうやらとても楽しいものになったようだった。


 出てきたダダンの一言目は、「ひでぇ目にあった」だった。対して子どもたちは、楽しかった気持ちよかったとご満悦の表情だ。


「なあ、スィー。こいつら真っ白なんだぜ」


 不満げにダダンは言った。子どもたちはすっぽんぽんのまま、部屋をあちこち探索している。服が汚れていて着ればお風呂に入った意味がなくなるからだった。

 ダダンが真っ白だと言う通り、子どもたちの髪や耳や尻尾は汚れが落とされ、元の綺麗な色を取り戻していた。


「それはシルバーだ」

「しるば?」

「しるば!」


 スィーの言葉にいち早く反応したのは子どもたちだった。ピコピコと耳を揺らしてスィーの元へ寄ってきた。子どもたちの髪も耳も尻尾も、陽の光に照らされるとキラキラと銀色に輝いた。

 子どもたちは期待に満ちた眼差しをスィーに送った。スィーは子どもたちから逃れるように窓の外へ視線を逸らしたが、根負けしたのか溜め息を吐いてから言葉を送った。


「……シルバーウルフ」

「「アオーーーーン!!」」

「ヒェッ!?」


 子どもたちは心の底から嬉しそうに顔を見合わせ頷くと、姿を獣へ、即ちシルバーウルフへと変えた。美しい銀色の毛並み、瞳も人型の時と変わらず淡い水色だ。小さく鳴きながら部屋中を駆け回った。


「な、何したんだ?」

「……獣の魔族たちの一種の通過儀礼だ」


 スィーはニヤリと口端だけを釣り上げて笑うと、お前よりさらに強くなったかもな、とダダンを脅した。ダダンは俺もすぐ強くなるだの、魔物と魔人はそもそもだのとぶつくさ言っていたが、何事か思い出したのか「あ!」と大きな声を出した。


「スィー! 魔法使えるなら早く言えよ。焚き火の時もよぉ」

「ふん!」

「ん、でも、フレイムってあんな、」


 ダダンの言葉を遮るように、扉が酷く乱暴に叩かれた。子どもたちは萎縮し人型に戻っていた。ダダンも何事かと扉の方を見る。


「直ちにこの扉を開けろ! 命令に従わない場合は強硬手段を行う! 」


 子どもたちはスィーが使っていたベッドに潜り込み布団を被って震えていた。ダダンは困ったようにスィーを見つめた。スィーは扉を見つめ、楽しそうに目を細めて笑っていた。



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