真の悪人は、自分を悪とは思わない
「ヒャッハー! 人殺したのしー! 俺って快楽殺人犯!」
って言う殺人鬼は、現実に居ればそれは手の付けられない狂人でしょう。
しかし、小説の人物としては(特に狙いが無い限り)こういうキャラ付けは下策と考えます。
※ちなみに今後「特に狙いが無い限り」と言う予防線張りは省略させて頂きます。
人は誰しも「自分は正しい」と思って行動します。
例えそれが「自分は悪い事をしているんだ……」と悔恨の念を抱いていたとしても、行動に移してしまった時点でそれは自分の正義に基づいた事だと思うのです。
現実の殺人犯とて、それは同じでは無いかと思います。
よほど破綻した人間で無い限り――あるいは私が“よほど破綻した人間”を知らないだけかもしれませんが、
まず「人殺しは良くない事だ」「やれば大方、逮捕される」と、最初は考えているのではないでしょうか。
そして、こう続くわけです。
「でも、自分はあいつが憎い。殺すに値する恨みだ」
「人を殺してでも、自分には金が要る」
「内臓の形を見てみたいから、仕方が無い」
などなど。
何のバックボーンも無く「殺ーす!」とはなりようが無い筈なのです。
そして快楽殺人犯を書くにしても、バックボーンも無しに行われる殺人が「本当に楽しそうに見えるのか?」と言う事です。
当たり前のように人を殺す存在の恐ろしさとは、常人の普遍性と紙一重なのでは無いか。私はそう考えます。
余談ですが、私はどうしたか、と言う名の作品宣伝を。
「無血のヒーロー サイコブラック」シリーズ
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885029519
において、主人公のサイコブラックをはじめとした多くの主要人物が、社会の規範から外れた行動を起こしながら、それを欠片も悪だと疑っていません。
むしろ、目的が「弱き人々を救う無私の正義感」であり、その為には拷問も、夜中に騒音を巻き起こす事も厭いません。
それどころか自分が謀略の果てに陥れた相手の末路に心を痛め、真心から涙を流す始末です。お前がやったんだろ!
一般に“サイコパス”と言う言葉が流行って久しい今日この頃ですが、それを極端にしたのが彼らです。
正直なところ、この言葉は一人歩きしている感がありますが……それはまた別の話。
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