第35話 ガンバレ -中原和総-

「さあ行くわ、今行くわ、待っていて中原くん、今こそ私は、小便器に足をかけ――」

「ままままままままままままま、待った待った、朝倉さん!?」


 朝倉さんは一体どうしたというのだ!?

 これは一体何が起きているというのだ!?

 俺は一体何をどうすればいいというのだ!?


 いや、わかっている、わかってはいるのだ、俺はここから出ていけば良いのである、朝倉さんに止めたまえ淑女のすることではないと紳士ぶればいいのである、いや馬鹿やめろ、どうせ出来もしないことはするものではない、「だだだだだだだダメだよ、朝倉さぁああんんん」と泣きつくのが関の山ではないか、今更そんな醜態を晒してどうする、いやすでに撤回しようもないほどに晒してはいるが、これ以上恥の上塗りをしたくないのである!!

 だがしかし、朝倉さんはいよいよ攻撃の手を緩めることはないのであった。


「いいえ、待たないわ! 私は中原くんのためだったら何だってするのよ!?」

「だから、何で!?」


 もう、意味がわかんない!!

 わかった、わかったよ、出れば良いのであろう、ここから出れば良いのであろう!?


 俺は震える手で扉の鍵に触れた。

 だがしかし、すぐさま悪魔が囁き始める。お前はまた騙されるのだと、どうせ裏切られるのだと、惨めに捨てられるのだと。だから、やめておけと、俺の心を挫くべく忍び寄る。


 八方塞がりになり、俺は頭を抱えた。すると、床と壁との隙間から一枚のメモ用紙が差し出されたのである、どうやら、隣室の主が俺にメッセージをしたためたらしい。

 そこには短く、「ガンバレ」と書かれてあった。

 よく見れば、さっきの警官が使っていたメモ帳と同じ紙である。

 人懐っこいあの笑顔が脳裏に浮かんだ。


 このままじゃどうにもならないことはわかっている、でももう傷つきたくない怖い嫌だ死ぬ。


 だがしかし、

 それでも、

 俺は、

 中原和総は、

 朝倉さんが、

 朝倉みなとさんが。


 好きなんだ!!


「さあ、中原くん! 足はかけたわ! そして、今にもスカートが――」


 俺は体当たりするように扉から飛び出た。

 勢い余って床に転がる。

 目を開くと、そこに女神のように神々しい笑みをたたえた美少女が佇んでいた。

 朝倉さんである。俺が好きで好きでどうしようもない、朝倉さんである。

 その朝倉さんが、ゆっくりと口を開いた。


「待ってたわ」

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