第20話 何もわかっていない -中原和総-

 かくして、俺達は同じ道を歩むことになったのである。

 みさき先生は多少言動におかしなところがあるものの、この状況を作り出してくれたことは、感謝してもしきれなかった。


 しかしながら、せっかくの二人きりだと言うのに、朝倉さんとの会話は盛り上がる気配すら見せなかった。

 朝倉さんはうつむいてばかりで、こちらと一向に目を合わせようともしないのだ。なけなしの勇気を出して話題を振ってみても、「うん」と「はい」と「いいえ」だけで返答されてしまい、取り付く島もなかったのである。


 これはやはり、昨日の一件を根に持っているのではないか。愛花の言う通り、朝倉さんは俺に呆れ果ててしまって、クソ以下の阿呆以下のどクズとして人間扱いをされていないのではないか。

 いや、そうだ、俺は始めから人間などではなかったのだ、クソ以下の阿呆であるとは自覚していたが、真摯な紳士ですらなくなった今となってはどクズの汚名こそ相応しいのだ。朝倉さんのような才女と並び歩けるような身分ではなかったのである、みさき先生の心遣いは有り難いが、いかんせん俺はその資格すら持たぬ日陰者だったのだ――


「あいた!」


 また、着地に失敗する。悲観の海に溺れていた俺の頭は強制的にリセットされた。

 すると、うつむいていた朝倉さんが、申し訳無さそうに見つめてくる。


「ごめんなさい」


 続けて、頭を垂れる。


「私のせいで、こんなことになってしまって……」


 いいや、違うのです、俺は貴女の隣にいれて幸せなのです、身分不相応にもこうして情けをかけて頂けるだけでも有り難いことなのです、何ならその儚げな面持ちを見れただけでも我が愚息はおいバカやめろ!!


「あと、あのクサレビッチの姉のせいで!!」


 途端、朝倉さんの語気が荒くなる。


「みさき先生のこと?」

「そう! お姉ちゃんはいつも勝手なんだから! 自分の頭の中で妄想して、一人で結論を付けて、その結論を他人に押し付けて、自分は傍から楽しんでるだけなんだから!! しかも、その妄想が妙に鋭くてこっちの弱みを的確に突いてくるんだから、余計にたちが悪いのよ!!」


 烈火の如く怒りの炎を巻き上げる。

 あの『絶対に媚びない系女子』と崇め奉られ、学校一のクール系美少女として名を馳せていた朝倉さんとは思えないほど、激しい感情がほとばしっていた。

 いや、朝倉さんは冷然として無感情のようなイメージを持たれてはいるが、ここ数日の彼女の言動を見る限り、果たしてその本質はまるで真逆のように思えた。


 朝倉さんは時に吠えるように憤慨し、自分が落ち込むほどに心配し、白目を剥くほどに絶望し、周囲が見えなくなるほどに熱烈にアプローチし、見ているこちらが救われるほどに眩く笑うのである。

 こんなに感情豊かな人間が、クールだとは笑わせる。それは、彼女のわずかな一面しか見ようとしない不見識な連中がレッテル貼りをしているに過ぎない。


 とは言え、かくいう俺だって同罪である。ぼっちの俺が知っていたのは、誰も近寄せない難攻不落の要塞のごときそびえ立つ孤高の姿であり、時々何故か聞こえる笑い声だけだったのである。

 それが、こうして彼女と共に時間を過ごすようになって、次々と知らない彼女に出会っていくのだった。そうだ、俺はまだ、朝倉さんのことを、何もわかっていないのだ。


 ただ、一つ言えるのは。

 朝倉さんは、とても一生懸命なのである。

 そして、そんな朝倉さんが、俺はやはり、とても好きなのであった。


 俺が呆けて朝倉さんの怒り顔を見つめていると、一通り怒り終わった朝倉さんと目があった。

 途端、朝倉さんがさらに顔を紅く染めて押し黙る。


「……持っていきましょう」

「はい?」

「二人で、墓場に持っていきましょう!!」

「あ、はい」


 有無を言わせない朝倉さんの剣幕に、俺はただただ肯定の言葉を吐くしかなかった。


 この言葉の意味を正確に知れたのは、これから五年の歳月を経た後のことであった。






 さて、困ったことに、我が家に着いてしまった。

 あれから、ぎこちなかった会話も次第に盛り上がり、気づいたときには玄関の前に辿り着いていたのだった。

 いや、何も悩むことはないはずである、朝倉さんは負傷した俺に付き添うためにここまで来たのだ、おかげで俺は無事に帰宅し、朝倉さんは晴れてお役目御免なわけである、彼女に礼を告げてここでお別れすれば何事もなしに決着するのだ。


 だがしかし、俺の脳裏に、保健室から出る間際、みさき先生が耳打ちしたセリフが再生される。


『お膳立てしたんだから、みなとを家に誘うくらいのことはしなよ!』


 そう、あの魔乳教諭は俺に朝倉さんを我が家に連れ込めと、淫猥にもそそのかしたのである。


 そりゃあ俺だって健全なる高校男児である、好意を寄せる女性を家に招きたいと思うのは当然のことであるが、しかしながら朝倉さんがそれを望んでいるかは別問題なのだ、何せ朝倉さんは俺を家まで送るという目的のために来ているのである、決して俺の家に上がることを目的としていたわけではないのだ、そこは断じて見誤ってはいけないのである、そうだ、たとえ朝倉さんの実の姉であるみさき先生が何を言おうとも、朝倉さん本人の意志が確認できない限りは出過ぎた真似は慎むべきなのである。

 そう、俺は今こそ朝倉さんの信頼を勝ち得なければならないのだ、そのためには、今一度非接触三原則を履行せねばならない。


「あ、朝倉さん! 今日は、その、ありがとう」


 俺は努めて笑顔で言った。


「ううん、私の方こそ」


 朝倉さんが申し訳無さそうに言う。心の底から湧き起こる暖かい情動を抑え込む。


 いかん、いかんのだ、和総。俺は全世界に誓ったのだ、たとえクソ以下の阿呆であったとしても、人の道を踏み外してはいけないのだ、よく思い出せ、昨日危うく畜生道に片脚を突っ込みかけたがゆえに、朝倉さんは俺を避けるようになったのだ、もうこれ以上の悪行を重ねるわけには行かぬ!


 ノーモアー勘違い! ノーモアータッチ! ノーモアー真昼!!


「あの!」

「あの!」


「また、明日!」

「聞きたいことがあって!」


「え?」

「え?」


 俺と朝倉さんは互いにしばらく見つめ合った。


 聞きたいこと……? 今更、朝倉さんが俺に何を聞こうというのか。ああ、もしや、昨日の一件について事情聴取をしようということではないか!? 違う、違うのです、あれは事故なのです、俺にはまったくもってその意志はなく、いや、今はそうしたいと思わないかと言えば嘘ではありますが、ああ、違う、だから違うんです!!


 俺が弁解の文言を脳内で連ねていると、背後で物音がした。


「う、うそ……」


 振り返ると、そこにいたのは我が愚妹の愛花であった。


「お兄ちゃんが……、あのぼっちで陰キャでヘタレのクソで阿呆でどクズなお兄ちゃんが」

「おい、いくら何でも言い過ぎだ。あと、鞄落としてるぞ」

「何で……、何で朝倉先輩をお持ち帰りしてるの!?」


 おいバカやめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!! 朝倉さんに勘違いされるだろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!! お前が勘違いしてどうするんだあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!


「お持ち帰り……?」


 朝倉さんが問い返す。


 ああ、ダメだ、朝倉さん、聞いてはいけない、そうやって不思議そうに小首を傾げてはいけない、何故ならそれがとっても可愛いからです、違う、今のはなかったことにするんだ、さあ、三つ数えたら全てを忘れるのです、俺は足なんて怪我をしていないし、貴女は俺の家になんて来ていないし、何ならあの日痴漢になど遭っていなかったのだ! ああ、だから今更顔を紅くするのやめてください、まるで後から真意に気づいて意識したら恥ずかしくなった感じじゃないか、そんな乙女みたいな反応しないで、すっごい可愛いんだ!!


「ちがっ、朝倉さん、また! そう、また明日!」

「お兄ちゃん」


 愛花が俺の肩に手を置く。

 おい、その全てを知ったかのような顔つきをやめろ。お前は何もわかっていない。


「私、今から出かけてくるから。うん、二時間くらい」


 グッと拳の親指を立てる愛花。

 意味を理解して固まる朝倉さん。

 俺は泣きと笑いの涙を堪えるしかなかった。

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