第二章 エンターテインメントの城 1

  大阪メトロ中央線本町から、コスモスクエアを経由して、ワールドトレードセンター前で降りると、その建物は目の前に現れる。


 横方向に極端に長い建物で、正面から見ると巨大な鏡のようだ。正面に窓は一つも見えない。窓どころか凹凸がまるで無いのだ。磨き上げた一面の壁があるだけで、何階建てなのかも分からない。今日は雲一つ無い晴天なので、その磨き上げられた壁面には青空と海が見事に映し出されている。


 大阪南港エリアのアジア太平洋トレードセンターの近くに建設された、この一風変わった建造物は、エンターテインメントの分野で今一番の注目の企業である『ペリペティア』がこの度会社の威信をかけて建設した、最新のアミューズメントコンテンツを体験出来る宿泊複合施設『シサヴロス・クティ』だ。


 一台の車がその大きなおもちゃ箱の前にまるでミニカーのように止まっている。


 車中の水尾と元平は、今日会う予定のこの箱の主人を待っていた。


「先程、先方から連絡があって、予定より到着が遅れているらしいですよ」元平は運転席の窓を開けながら報告した。


 水尾は元平の報告を聞きながらも、意識の大半は視線を向けている穏やかな海面の様子に割かれていた。風も緩やかなこんな日は世間でいうデート日和というやつだ。こんな日和に男二人で待っている相手がまた男だという現実に溜息が出た。


 二人が今日会う予定の人物は『ペリペティア』の代表取締役である久我山信明くがやまのぶあきだ。財界の大物久我山聡の長男で、熱意溢れるビジネス手腕と、その整った容姿でメディアにもよく取り上げられる有名人だ。ミーハーでもなんでも無い水尾からすれば、相手が有名人だからといって、取り立ててどうといったことは無い。


「あいつやったら喜ぶやろうな」水尾の脳裏に思い出したくも無い男の顔が不意に浮かび、眉間に皺を寄せて分かりやすい不機嫌な表情を作った。


 平日の日中なので人通りは驚く程少ない。この辺りは、休日の催し物がある時以外は比較的静かな地域である。


 建物の方向を何気に見ていた水尾の視線が見覚えのある後ろ姿を捉えた。眼鏡を掛けた小柄な女が何かを探すように、行ったり来たりを繰り返している。


「水尾さん、あそこにいる女って……」元平が言い終わる前に、助手席のドアを開けて水尾は女のいる方向へ歩き出した。


「何かお探しですか?お嬢さん」水尾は少しからかうような口調で声を掛けた。


 小柄な女はその小さな身体をさらに縮める様に首を竦めて、何か恐ろしい物が後ろにあるかのように、ゆっくりと水尾の方に向き直った   


「私は家出少女ではありませんよ」女は少しだけ唇の端を持ち上げた。恐らく冗談を言っているのだろうと想像は出来るが、その表情からはハッキリとした感情を読み取れない。


「やっぱり、遠藤さんでしたか。お久しぶりです。今日は何をしにここへ?」追いついてきた元平がいつもの優しげな表情で聞いた。


「久しぶりです、元平さんに水尾さん。お二人こそ何か事件ですか?」遠藤美紀はほとんど表情を変えることなく聞き返してきた。


 遠藤美紀は倉ノ下櫻子の事務所に所属しているスタッフで、イベントなどを仕切るやり手らしい。見た目からは想像も出来ない仕事振りでチーム櫻子には無くてはならない人材だと倉ノ下櫻子のマネージャー松本祥子が言っていたのを思い出した。


「いや事件やのうて、人を待っとるんですわ」元平はそう言いながら右の掌を遠藤美紀に見せて、そちらは?という仕草をした。


「わたしも櫻子さん達を待っているんです」


「倉ノ下さんも来られるんですか」


「はい、私は少し早めに着いてしまったので、建物を見ていたところなんです」眼鏡のフレームに触りながら遠藤美紀は大きな壁を見上げた。


「美紀ちゃーん」と、よく通る声で遠藤美紀の名前を呼びながら、駅の階段を倉ノ下櫻子が降りてきているのが、水尾のいる駐車場からも僅かに見えた。


 その後ろには涼しげな雰囲気で滑らかに歩くマネージャーの松本祥子の姿も見えた。遠く離れていても分かるスタイルの良さはいつも通りだ。


 駆け足で近付いてきた櫻子は二人の顔見知りを見つけると、眼鏡の奥の目を細くしてニヤニヤと笑いながら言った。


「あらあら、お二人さん、こんなところでナンパですか?ぷぷぷぷ……」


「櫻子さんと同じ様に、私、家出少女と間違われたみたいで……」美紀が少しだけ眉間に皺を寄せて、困ったという仕草をした。息をピタリと合わせて水尾をからかう二人の眼鏡女子は双子の姉妹のようだ。


「もう、その件は勘弁してくれませんか?わりと引きずっとるんで……」水尾は鼻の頭を掻いた。


「その辺にしておきなさい。二人ともそれなりの年齢なんだから、もう少し服装を歳相応にすれば、家出少女なんかに間違われないでしょう?」


 祥子がそう注意したが、水尾にとってはこれはこれで、更にからかわれている様な感覚に陥っていた。


「お姉ちゃんはいいよね。どんな服を着たって大人のレディーだもん」そう櫻子が祥子に話し掛けたのを聞いて水尾は驚いた口調で尋ねた。


「お姉ちゃんって、お二人は姉妹なんですか?」


「あれ?言っていませんでしたか?正真正銘の血の繋がった姉妹ですよ。似ていないと言われるのには慣れています」いつもの涼しげな笑顔で祥子は答えた。


「はいはい、分かっております。どうせ私はお姉ちゃんみたいに色気ありませんから。はいはい、分かっております、はいはい……」口を尖らせて櫻子はおどけた表情を見せた。


 水尾は、櫻子と美紀が姉妹と言った方が自然だと口から出そうになったが、間違い無くやぶ蛇になると思い、言葉を飲み込んだ。


「小夜子さんは遅刻ですね」当たり前のことを言うような感じで美紀が祥子に尋ねた。


「当然でしょうね」と答えた祥子は微笑んだが、その目は笑っていなかった。


「まあ、『小夜子時間』だからね~。本人曰く生まれてこの方時間通りに来たことが無いって言ってたくらいだから」櫻子がケラケラと笑いながら言った。


「何が『小夜子時間』よ。ただの遅刻じゃない」松本祥子が彼女らしくない少し怒りを表に出した雰囲気で言ったが、直ぐに表情を戻し、いつもの涼しげな表情で水尾に視線を向けた。


「その節は大変お世話になりました。今日はどういった要件でこちらに?」


 水尾が答えようとしたとき、車を止めてあった丁度後ろに当たる、建物の何も無かった壁面に、突然鋭利な刃物で線を引くように音も無く扉が現れて、その扉は音も無く静かに開いた。


 中から現れたのは淡いブルーのパンツスーツ姿の女で、水尾達に向き合って深々とお辞儀をした。開いた扉は音も無く静かに締まり、壁に溶け込んで消えた。


「私、社長の久我山の秘書をしております、坂本と申します。生憎社長は少し遅れると連絡がありまして、お客様をもてなすよう申しつかりましたので、皆様、どうぞ建物の中でお待ち下さい」


 坂本が壁に手を翳すと僅かにカチリと小さな音がして、先程同様そこに扉が現れ音も無く静かに開いた。


「未来感満載だね。くーっ」櫻子が少し鼻の穴を膨らまして目を爛々と輝かせた。


 一団が建物内に入ろうと動き出した時、駐車場に一台のタクシーが滑り込んできた。


 最後尾を歩いていた美紀が足を止めて振り返りながら小さな溜息をついた。


「ご到着のようです」美紀は祥子に視線を送って呟いた。


 タクシーから先に大きなバックが駐車場の地面に放り出され、それに続きタイトなジーンズに赤いハイヒールを履いた足だけが見えて上半身だけ車内という光景がしばらく続き、ようやく料金を払い終えたのかタクシーから降りて、地面に置かれたバックを重そうに担いで水尾達のいる方向に女が歩いてきた。


「寝坊した上に、電車乗り間違えちゃって、タクシーを飛ばして来ました。良かった、何とか間に合いましたね」


「寝坊した割には相も変わらずキチンとメイクもして、ヘアスタイルも身なりもバッチリね。大体全然間に合っていないわよ。あなたに伝えていた待ち合わせ時間は予定の一時間前なの。良かったわ、保険掛けておいて」祥子は意地悪そうな微笑みで言った。


「小夜子さんにしては早く来た方です」美紀も意地悪そうに付け加えた。


「もうっ、祥子さんも美紀ちゃんも意地悪。でもそんなところが好きかも……」とウインクをしながら南川小夜子は答えた。


「今日はとても大切なお客様にお会いするのよ。遅刻されては困るの。いつも以上に櫻子を綺麗にしてくれないと、ね?」祥子はいつもの涼しげな微笑みを見せた。


「了解しました」敬礼のポーズを取りながら、小夜子は櫻子の方を見てウインクした。


「それでは、皆様お揃いになられたようですので、建物の中にお入り下さい」坂本が小さくお辞儀をした。

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