第33話 夜更けの創作会議は秘密!


「さあ、あの作家を助けたければ生と死の液体のうち、『生の液体』を選ぶのだ」


 リビングのソファーに横たわったまま、僕はどこからともなく聞こえてくる声に耳を済ませた。


「よいか、作家を『しかばね』にしたくなければ、くれぐれも間違わぬことだ」


 僕は声の主を見極めようと身体を起こしかけ、首から下が縫い付けられたように動かないことに気づいた。仕方なく頭を動かしてリビングの様子をうかがうと、テーブルの上に『アライブ・リキッド』と思われる飲料の缶が二本、並べられているのが見えた。そのまま見続けていると、小さな人影がテーブルに近づいてくる様子が見えた。


 ――ミドリ!


 人影がミドリだと気づいた瞬間、僕は先ほどから命令口調で呼びかけている声の主に気づいた。ほんの数回しか会ったことはないが、声は紛れもなく『神谷郷』のものだった。


 ――ミドリ!僕だ。こっちを見てくれ!


 僕はミドリの背中に呼びかけようと口を開けたが、喉から声らしきものが出ることはなかった。テーブルの上の『アライブ・リキッド』の缶は赤く塗られたものと緑に練られたものとがあり、神谷郷はどうやらミドリに『生の液体』と思われる方を選べと命じているようだった。


「お前が選んだ方の液体が、作家の身体に流し込まれる。さあ、選ぶのだ」


 ミドリはテーブルの前に立って二本の缶をかわるがわる眺めた後、宙をにらんだ。


 たぶん、言葉のイメージから考えて『生の液体』は緑色の缶に違いない。……だが。


 ――ミドリ、やめるんだ。君には『生の液体』を見極めることは不可能だ!


 僕はあることに気づき、そう叫ぼうとした。しかしミドリは無言でうなずくと、一方の缶に向けて手を伸ばした。その色は――赤だった。


「その色を選ぶのだな。……では、その液体を作家に与えるところを見ているがいい」


 声がそう言うと、リビングのドアが開いて別の人物が姿を現した。その人物を見た瞬間、僕は思わず動かぬ身体をよじった。


 ――雪江!


 現れたのは。神妙寺雪江だった。雪江はテーブルに近づくと赤い缶を手に取りためらうことなく、リングプルを開けた。そしてそのまま僕のいるソファーに歩みよると、缶を持っていない方の手で僕の頭を浮かせた。


 ――雪江、やめるんだ。その液体はおそらく、死……


 僕が必死で呼びかけても、雪江の目はガラス玉のように冷たい色のままだった。


「口を……」


 雪江が呼びかけ、缶を近づけると僕の口は魔法のように開いた。僕は声にならない声で「やめるんだ、雪江!……助けてくれ、ミドリ!」と叫んだ。やがて冷たい液体が僕の喉に流れ込み、胃の腑へと滑り落ちていった。


 ――ミドリ……雪江……なぜだ


 僕は流れ込んだ液体が、自分の身体に『死』をもたらすべく広がってゆくのを意識した。


                  ※


「秋津先生、大丈夫ですか?」


 闇から戻った僕を険しい表情で除きこんでいたのは、弓彦だった。


「神楽先生……」


「ずいぶんとうなされてましたが、悪い夢でも?」


「……ええ、まあ」


 僕はかろうじてそう返すと、頭を振って悪夢の残滓を振り払った。時計を見ると午後十時を過ぎていた。自室での執筆がはかどらず、リビングでぼんやりしているうちに眠り込んでしまったらしい。


「他の皆さんは、もうお休みになられたのかな」


 僕が言うと、弓彦が「それなんですが……実は先ほどから草野先生の姿がどこにも見えないんです」と言った。


「草野先生が?」


「ええ。夕食の時、僕に「何かとっておきのネタでもないですか」と話しかけた後、自室で執筆されていたですが、僕がちょっと思い出したことをお教えしようと部屋を訪ねたところ、不在だったんです。一階のあちこちを見て回ってるんですが、いないようで……」


 弓彦はぐるりと視線を巡らせたあと「お手上げです」と言うように両肩をすくめた。


「それは心配ですね。気分転換に夜の散歩ってことかな」


「だったらいいんですが……ちょっと屋敷の周りを見に行ってきます」


「ご一緒しましょうか。遠くへは行かないといっても夜分は何かと危険でしょう」


「いえ、すぐ戻るのでそれには及びません。できれば秋津先生はここにいて、僕が三十分位以上たっても戻らなかったらマーサさんに伝えてください」


 弓彦はそう言い置くと、手にしていた上着を羽織って玄関ホールの方へと去っていった。


 これも悪夢の続きなのだろうか。落ち着かない気持ちのままぼんやりしていると、宿泊棟側のドアが開いてみづきが姿を現した。


「あら、秋津先生。難しい顔してどうなさったの?私同様、オチが決まらないってとこ?」


「オチどころか、まだ佳境にも入っていないよ」


 僕は自嘲気味にそう漏らすと、隣にやってきたみづきに現在の進捗状況を打ち明けた。


「みんな、苦労してるのね。……これだけ不可解な出来事が立て続けに起こると、かえって書けないのかもね」


「……そうだ、昼間、『魔女』さんから興味深いエピソードを聞いたよ。小説には使えそうもないし、君の執筆に役立つなら教えてもいいよ」


「本当?お願いするわ」


 僕はみづきに促されるまま、昼間聞かされた七年前の事件について話した。


「村長の息子が……まさか三角関係のごたごただったなんて思いもしなかったわ」


「ここのみんなは人を『しかばね』にする薬物の存在を暗に認めてるみたいだけど、それって異常なことなんじゃないのかな」


「異常が当たり前なのが『暗闇亭』なのかも。今度、神谷先生が来たら聞いてみたら?」


 僕が冗談交じりの提案を口にした、その時だった。足元から微かな振動が、床板を通して伝わってくるのが感じられた。


 ――誰かが地下に行った?


 そう思った直後、一つの想像が脳裏を駆け抜けた。ひょっとして、ネタに詰まった草野がエレベーターで地下の風景を見に行ったのではないか?


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