第7話 予定外の登山は秘密!


 外に出た僕とみづきは、連れ立って敷地の中を歩き始めた。


 窓から見えた畑は思いのほか広く、植えられている植物はよく見ると、先の尖った葉の間に小さな赤い花をつけていた。


「何に使うために栽培してるんだろう、この植物は」


 僕が誰に問うでもなくそう口にすると、みづきが「漢方薬かサプリメントの原料じゃないかしら」と返した。


「漢方薬?」


 予想外の答えに僕が面喰っていると、みづきは急に真顔になって口調をあらためた。


「ええ。だって『宵闇亭』は『ツモト製薬』の保養所として購入した建物よ。ここでしか育たない植物があったからこそ、この建物を購入したってことも考えられるわ」


「まさか。……たかが一種類の原材料のために不動産を購入するなんて馬鹿げてるよ」


 僕が一笑に付すと、みづきは「そうかしら」と挑むようなまなざしを寄越した。


「ね、こういう噂、聞いたことない?『ツモト製薬』の最近のヒット商品にある種の抗精神物質が含まれてるっていう話」


「やめてくれよ。そういう噂は昔からネットなんかでよく聞くけど、カフェインだってアルコールだって一種の抗精神物質だろう?非合法の薬物を使って会社が倒産したら元も子もないじゃないか」


「……じゃあ非合法の薬物じゃなくて、未知の薬物だったら?」


 みづきは声を低めると、凄むように顔を近づけてきた。コロンか何かの甘い香りが鼻先をくすぐり、僕が思わず身を引きかけた、その時だった。


「あー、君たち、畑にむやみに入っちゃだめだよ」


 すぐ傍で良く通る声がしたかと思うと、浅黒く日焼けした体格のいい男性が姿を現した。


「すみません、花が綺麗だったので、散歩がてら拝見させていただいてました」


 僕がその場でこしらえた言い訳を口にすると、男性は「なるほど、それなら仕方がない。この花に心を乱される人は少なくないですからな」と笑った。


「あの、もしかするとこちらの御屋敷で働いている方ですか?」


 僕が尋ねると男性は「そう言うあなた方は?」と逆に問いを返してきた。


「僕も彼女も、作家の神谷郷先生に招待を受けて合宿に来た新人です。僕は秋津俊介、彼女は迷谷彩人」


 僕らが名乗ると男性は目を丸くし、急に居住まいを正し始めた。


「これは失礼しました。まさかお客様だったとは。私は当館のコックで都竹真一と申します。どうぞよろしく」


 僕らは相手の装いにざっと目を走らせた後、顔を見あわせた。都竹というコックのいでたちは作業着のようなシャツに汚れたエプロン、膝までの長靴という野良仕事スタイルだったからだ。


「コックさんだったんですか……そうとは知らず、失礼しました」


 僕が無礼を詫びると、都竹は「とんでもない」と鷹揚に笑ってみせた。


「こんな山の中ですが、野菜や山菜の類は自前で賄っています。夕食時には私の自慢の「薬膳カレー」を提供させていただきますので、楽しみにしていてください」


「薬膳カレー?」


「スパイスに加えて薬草の成分を程よく練り込むのです。すると脳が活性化されて素敵なアイディアがどんどん、湧いてくるというわけです。まあさしづめ食べる桃源郷といったところですかな。……では私はこれで」


 都竹は僕らを相手に怪しげな講釈を一席ぶつと、向きを変えて別の畑へと去っていった。


「……桃源郷根ねえ。こうなると秘密の薬物って話も、あり得なくはなくなってくるな」


 僕が冗談めかして言うと、みづきは我が意を得たとばかりに「でしょ?」と微笑んだ。


 『宵闇亭』の建物は山の斜面を切り崩した土地の谷側にあり、山側は薬草畑と思しき菜園を除くと、ほぼ何もないに等しかった。


 みづきは菜園が途切れたところで足を止めると、母屋と山とを交互に見て「……ねえ、あそこに道みたいなものが見えない?」と言った。


「道って、あっちは山だぜ。敷地の外に出ようって話かい?」


「そうよ。何かありそうじゃない。行けるところまで行ってみましょうよ」


 みづきはそう言い置くと、驚いたことに敷地の外に向かってすたすたと歩き始めた。


 僕はみづきの破天荒さにうんざりしつつ、後を追った。獣道のような山道は入り口がいくらか見えているものの、奥の方はうっそうとした木立に覆われて全く見えなかった。


「一体、山の中に何があるっていうんだい。ほどほどにして引き返した方がいいよ」


 行く手を遮るように伸びる枝を掻き分けながら、僕はみづきの背中に呼びかけた。


「道があるってことは、誰かが山の上と屋敷を行き来してるってことでしょ。人が通らないところにこんな風に踏み分け道ができるわけないわ」


「そりゃあ、薪にするための枝を取りに行くとか、多少の用事はあるだろうさ。すぐに途切れて立ち往生するに決まって……」


 僕が吐き続けていたぼやきを止めたのは、倒木に足をかけたまま固まっているみづきにただならぬ物を感じたからだった。


「……どうしたんだい、急に立ち止まって。猪でもいたのかい?」


 僕が歩み寄るとみづきは目線だけを動かし、「見て、あれ」と押し殺した声で言った。みづきの肩越しにそっと目線を追った僕は、思わずあっと声を上げそうになった。


 獣道は少し先で唐突に途切れ、そこから奥に向かって金属のレールが伸びていた。レールの上の方では何かがゆっくりと動いており、よく見るとそれは人間を乗せた小さなコンテナだった。


「……子供か?」


 そう言いかけて僕ははっとした。コンテナには小さな人影が並んで乗っていた。その片方に見覚えがある気がしたのだ。


「ねえ、おかしいと思わない?あれって資材か何かを運ぶリフトでしょ?どうして子供が乗ってるの?仮に麓の集落の子だとしても、歩いてここまでくるなんて考えられないわ」


 みづきのいうことはいちいちもっともだった。僕は少し思案し、「考えられるとすれば、屋敷に関係のある子たちだろうな」と言った。


「屋敷に……でもさっき家主さんと顔合わせをした時には、そんな話は出なかったわ」


 みづきの疑問に、僕は黙って頭を振るしかなかった。家主の身内……例えば孫が遊びに来ているとしても客に紹介などしないだろうが、僕の関心はまったく別のところにあった。


 ――子供たちの片方が「あいつ」だとして……あいつがなんでこんなところにいるんだ?


 僕が混乱する思考を宥めようとしていると、みづきが「でも面白いじゃない。あのコンテナが戻ってきたら、私たちも上まで行ってみましょうよ」と切りだした。


「おい待てよ、僕らは敷地を出て道のどん詰まりまで来ちまったんだぜ。これ以上、深入りしたらどんなペナルティを課せられるかわかったもんじゃない。引き返した方がいいよ」


 僕が及び腰の提案を口にすると、みづきが不服を申し立てるように両眉を上げた。


「意気地がないのね。……じゃああなたは先に戻ってて。私はちょっとだけ行ってみるわ」


「無茶言うなよ。僕に一人で引き返せっていうのかい。どうしても行きたいのなら、いったん屋敷に戻ってちゃんと計画を……」


 そこまで言いかけた時、ふいにすぐ先のレールがごおんと重い音を立てた。僕らが固唾を飲んで見守っていると、やがて上の方からゆっくりと降りてくるコンテナの影が見えた。


「……まずい、やっぱり引き返そう」


 コンテナに乗って降りてくる人影を見て、僕は思わずそう声を上げていた。


「でも、あの人がどうして?ガレージにいるんじゃなかったの?」


 みづきが戸惑いを含んだ声で言った。コンテナに乗っていたのは、執事の角館だった。


「何か事情があるんだよ。見つかってあれこれ聞かれる前に、屋敷に戻ろう。謎ときはそのあとだ」


 僕らは大急ぎで回れ右をすると、足元の悪さも気にせず一気に山道を駆けおりていった。

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