第5話 女主人の警告は秘密!


 平坂泉が到着するまでの間、僕らは気まずい空気のままリビングで待機を続けた。不自然な沈黙が十数分ほど続いた後、草野が痺れを切らしたようにソファーから立ちあがった。


「なんだか随分手こずってるようだが、厄介なトラブルなのか。……もしパンクだったら小一時間はかかるな。――どれ、執事殿が不在のうちに一階だけでも覗かせてもらうか」


「やめた方がいいと思いますよ」


 不敵な笑みを頬に貼りつけたまま釘を刺したのは、弓彦だった。


「ほう、なぜですか神楽先生。後でこっぴどくお灸を据えられるとでも?叱られるような年齢じゃないし、たどり着くまで散々、難儀させられたんだ。少しぐらい中を覗かせてもらっても罰は当たらないと思いますがね」


「咎められるようなことはないですよ。そういう意味じゃなく、むやみに邸内を歩きまわったら嫌な思いをするのは僕らの方だということです」


「どういうことです?」


「この御屋敷は普通じゃないってことですよ」


 弓彦の口調は、不穏な予言とは裏腹にどこか楽し気でもあった。


「面白い。我々は趣向を凝らしたお化け屋敷に招待されてたというわけだ」


「僕らが提出する予定のシナリオは、テレビのスペシャルドラマ用だと聞いています。仮にもし、そのドラマが一風変わった構成になっていて、フィクションにリアルな映像を混ぜ込んだ作りになっているとしたらどうです?ひょっとしたらこの部屋のどこかでもうカメラが回っているのかもしれませんよ」


 僕ははっとした。そういう可能性は微塵も浮かばなかったのだ。なるほど、この企画自体がハプニング映像を撮るための物だとすれば、大時代ななりをした執事やらメイドやらがいるのもうなずける。


「さすがは神楽先生、そういう発想はありませんでした。……ではこう考えてみてはどうです。せっかくあちらが粋なドッキリ企画を用意されたのであれば、こっちも引っかかったふりをして仕掛けを楽しんでみては」


 草野がそう言って奥のドアに目をやった時だった。玄関側のドアが勢いよく開け放たれ、サングラスをかけた若い女性がリビングに姿を現した。


「――ふう、まったくなんて日なの。散々、回り道をさせられてやっと目的地が見えたと思ったら、いきなり道の真ん中でエンストなんて。歩いてこられる距離じゃなかったら、レッカーを呼んでそのまま回れ右をするところだったわ」


 女性は入ってくるなりそうまくしたてると、急に我に返ったかのように棒立ちになった。


「あら、ごめんなさい。皆さん、ひょっとして神谷先生の……」


「ええ。シナリオ合宿です。……失礼ですが平坂泉先生ですか?」


 みづきが尋ねると女性は一同を見渡し、なぜか数字を数え始めた。


「一、二、三……あらいやだ、私が最後じゃない。お待たせしちゃってごめんなさい、自己紹介が後になったけど、小説家の平坂泉です」


 泉は名乗り終えると、おもむろにサングラスを外した。悪戯っぽい丸い瞳が僕らをかわるがわる見つめ、怪奇小説作家というより森の妖精が遊びに来たみたいだと僕は思った。


 招待客が全員揃い、ようやく本来あるべき状態に落ち着いたはずなのだが、リビングで六人もの作家が顔を突き合わせている絵面は異様といえば異様のこの上なかった。


 僕らは男性作家たちがやってきたときと同様、平坂泉にかわるがわる自己紹介をした。


「――へえ、迷谷さんって女性だったのね。良かった、一人でも同性の招待客がいて」


 泉は丸い目をくるくると動かしながらみづきの方を見た。一癖ありそうな男性作家たちと、元気な女性作家か。やれやれ、弓彦がいうようにこの合宿自体をドラマに組みこんだ方がよほど興味深い内容になりそうだ――そんなことを思っていると、奥の扉が開いてマーサが車いすに乗った初老女性とともに姿を現した。


「当家を現在所有、管理している明石富士子といいます。みなさん、ようこそ『宵闇亭』にお越しくださいました」


 銀髪を後ろに撫でつけた上品な女性は僕らをひとわたり見回すと、深々と頭を下げた。


「奥様は二階の一番奥のお部屋で寝起きされています。御用のある方は私か角舘に声をおかけください」


 マーサはそう言うと、富士子には書面のような紙束を手渡した。


「……神谷さまからお聞きした、この合宿の趣旨を説明いたします。皆さんには、今日から六日間の間に五十枚前後の原稿を仕上げていただきます。提出していただいた原稿を神谷先生が吟味し、一篇を選んで後ほど見えられるテレビ局の方がドラマに仕立てる――ということでございます」


 富士子は書面をすらすらと澱みなく読み上げると、細いフレームの眼鏡を押し上げた。


「六日間、ここで生活するってことは当然、ある程度行動の自由は許されてると思っていいんでしょうね?」


 草野が身を乗り出すと挑むような口調で問いを放った。


「もちろんです。……ただし私や使用人も生活を共有しております。最低限、自重していただきたいことをこれから申し上げますので、くれぐれもお忘れなきようお願いします」


 富士子は当主然とした佇まいでそう前置くと、再び書面に目を走らせた。


「日中の行動は自由にしていただいて構いません。屋敷の中も自由に歩いていただいて結構です。……ただし、階段と廊下の一部に封鎖されている箇所がございます。くれぐれも奥をうかがったり、施錠されている扉を開けようとなさったりはしないでください」


 富士子が封鎖、という言葉を口にした瞬間、リビングにざわめきが波のように広がった。


「屋敷の外に出られる際は角舘かマーサに行き先とおよその帰宅時刻をあらかじめ告げていってください。食事は三度、大食堂で私たちと一緒に摂っていただきます。あとでご案内する大食堂に、時間を守ってお越しください。就寝と起床は執筆の都合もおありでしょうから、ご自由になさって構いません」


 富士子はそこでいったん言葉を切ると「マーサ、ところで角舘はどこに?」と尋ねた。


「平坂様のお車の調子を見るとのことで、ガレージにおります。夕食時には同席できるでしょう」


「そう、よかったわ。……夕食の時は当家の使用人を集めて、あらためて紹介します。……なにぶん、山の中ゆえ不自由な思いもされることと思いますが、ここの生活リズムが体になじめば、きっと身も心もゆったりと癒されることでしょう。では私はこれで……」


 富士子が顔を上げて締めの言葉らしきものを口にしかけた、その時だった。眼鏡の奥の瞳が急に大きく見開かれたかと思うと、表情がみるみるこわばり始めた。


「あ……ああっ」


 富士子の目線を追って背後を振り返ると、庭に向けて大きく取られた窓の隅を人影のような物がふっと掠めるのが見えた。


「……誰だ?」


 弓彦が叫ぶのとほぼ同時にマーサが「奥様!」と悲鳴を上げ、僕らは一斉に視線を館の当主に戻した。車椅子に収まった老婦人は目を見開いたままがたがたと震え、苦し気な呼吸を繰り返していた。


「どうしましょう。……ドクターを呼ばなくちゃ」


 マーサが慌てて携帯を取り出そうとすると、草野がおもむろに席を立って富士子の前に移動した。


「私が診ましょう。こう見えてもかつては麻酔科の医師だったんです」


 草野は落ち着いた声でそう言い放つと、富士子の前に屈みこんだ。

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