乾華

私は牛乳の色の空を見ながらバスに揺られていた。

気温は日に日に下がり、体調を崩しやすくなる季節の変わり目の中、イヤホンから流れるお気に入りの曲が私の聴覚を支配していた。

「次はぁ、澄が丘ぁ、澄が丘ぁ・・・」

運転手の気の抜けた様な声が音楽の隙間から聞こえ私は顔を上げる。

イヤホンを左耳だけ外してリュックを背負う。

腕時計を確認すると現在は六時四十分を過ぎた辺りだった。

バスが止まるのと同時に私は交通系電子マネーカードを手に立ち上がる

カードをかざして運転手に軽く頭を下げてからバスから降りる。

雨が降りそうな空はどこか不安を煽り、遠ざかるバスは自分意外の人の気配を奪っていった。

腕についているお気に入りの腕時計を見ると待ち合わせの時間まであと二十分ほどだった。

ここから奥、山の中に入った先には小さな学校跡地がある。

田舎特有の小さな学校だが、聞いた話だと私が幼い頃にはもう廃校していたようだ。

私は山の獣道を掻き分けるように進む。

湿った土の臭いや木の皮の臭いがこの場所がどのような場所か教えてくれていた。

「・・・それにしたって、こんなところで待ち合わせなくたっていいだろうに」

愚痴にも近い呟きがじめじめとした空気に消える。

そとそもなぜ、私がこんなところに来たのかというのはほんの三日前、私の家に一通の手紙が届いたのが始まりである。

このご時世、手紙なんて使う人間はそういないが私には一人だけ思い当たる人がいた。

その人は私たちの仲間内でも生粋の機械音痴で、携帯電話を使ってメールを打つなんて、一生できないであろうと皆が口を揃えて言うほどだ。

そんな良いところなんてあんまりなさそうな人ではあるが、その人は私の、初恋の人でもあるのだ。

約十五分ほどかけて山を登り、少しだけ開けた場所に出る。

そこには先ほどバス停からも見えていたお化け屋敷のようなぼろぼろの校舎が建っていた。

正直気は進まないが、ここまで来たからには行くしかあるまいと自分を鼓舞して校舎へと足を進める。

中に入るとそこには外見よりもさらにぼろぼろな内装が広がっている。正直苦笑いしかできなかった。

あの人はどこかこういう秘密基地のような場所が大好きだった。もしかしたら今日の待ち合わせの場所もそういった理由で選んだのかもしれない。

「お、来たね。久しぶり」

あの頃と変わらない口調、少しだけ脱力したような彼女の声が耳に届いた。

放置されてぼろぼろになった机の上に座り手を振っている彼女を見て私は自然と口元が緩んだ。

「お久しぶりです、先輩。元気にしてました?

「まあまあだねぇ。そっちは?」

「僕もそこそこって感じです。別に仕事も楽しいわけじゃないですしね」

「あはは、言うねぇ」

先輩はカラカラと笑う。

会話が途切れ沈黙が流れる。私は段々と気まずくなって目線が自然としたに落ちた。

「・・・変わってないんだね、その癖」

「へ?」

「癖だよ。その気まずくなると下を向いちゃう癖。私と話すときはいつもそんな感じだった」

先輩らしくない、あまり見慣れない苦笑でそう言った

何かを見透かされたようで恥ずかしくなった私は違和感と共にそれを誤魔化すように苦笑で返した。

「そんなの、誰だってそうですよ。気まずくなると目線が逃げるじゃないですか。僕に限ったことじゃない」

我ながら見苦しい言い訳だが先輩は「そっか」と小さく呟いてそれ以上掘り下げては来なかった。

「最後に会ったのは君の卒業式だっけ?」

話題を変えるためか突然話し始めた先輩に私は遅れて言葉を返す

「はい。あのときはたしか先輩が卒業式が終わってから学校まで来てくださったんですよね」

「暇だったしねぇ・・・せっかくだから可愛い後輩の門出でも祝ってやろうかと」

「そんな、僕かなり嬉しかったんですよ?、それを暇だからなんて一蹴されたら泣いちゃいます」

「泣かれるのは困るなぁ、お姉さん、困っちゃうもん」

そう言った後、笑顔を崩さずに次の言葉を選ぶように探す。

私はその先の言葉がなんとなく予想できてしまって、またも視線が落ちていく。

そんな私の様子から何かを察したのか、先輩はほんの少しだけ気まずそうな顔をして本題を口に出した。

「ねぇ・・・まだ、私のこと好きなの?」

言われてしまった。

そう思うだけで私の心臓は痛いほど波打つ

秋の風で寒いはずの教室とは対照に私は湿るほどの汗が滲んでいた。

「結婚式、呼んだのに来てくれないし。部活の同窓会も、顔出さなかったもんね」

「・・・あはは、ご冗談を。あのときもちゃんと言ったじゃないですか。忙しくて行けないって。就職したばっかりで忙しかったんですよ」

今度は私が先輩のようにカラカラと笑って見せる。

彼女の得意な作り笑顔だ。

「そうだね。確かにそう聞いてたし、私だって納得してた・・・でもね」

その瞳の奥には怒りと、哀れみと、優しさが渦巻いていて

「だから、結婚式に来てた君の同僚から話を聞いたときは。ほんとに悲しかったな」

嘘を言っているようには聞こえない。

澱んだ怒りが私の中を支配していく。

この話をされることはわかっていたはずなのに、けして怒りを露にしないと、そう決めていたのに。

この人の前だけは、いい後輩であり続けようと思ったのに

「君にも、おめでとうって、行って欲しかったな」

・・・私の中で何かが折れた。

「ふざけんな!!、よくもそんなこと俺の前で言えたな!!」

怒声が響いて教室の腐った天井に吸い込まれた。

唖然とする先輩を前に私は構わず続ける。

「祝って欲しかったって??、ふざけるなよ。あんたにフラれて、あんたの前でまだヘラヘラしてられるわけないだろ!?、辛かったんだよ!、あんたと顔も会わせるのが!、絶対にあんたの隣を奪いたくなるから!!、なのに、人の気も知らないで・・・」

年甲斐もなく騒ぎ立てて挙げ句には涙まで出てくる。

ぐちゃぐちゃの頭の中を無理やり回転させて先輩を睨み付けた。

「・・・ごめんね」

先輩は哀しみの奥に青黒い何かが混ざったような眼で私を見た。

「ほんとに、無責任で酷い、最低な人だ。ほんとに、ほんとに」

私は息切れするように漏らす。

先輩も目に涙を浮かべ、壊れたオルゴールのように「ごめん」と何度か繰り返す。

それからほんの少しして、私はベタベタになってしまった顔を袖で拭って先輩を見据えた。

「・・・すみません。いくらなんでも言い過ぎました」

「いいの、私が悪かった。本当になにも考えてなかったの」

涙を流し終え、そう言う彼女はどこか幼く感じられる。

きっと、私も同じような顔をしているのだろう。

「そういえば、僕と先輩って喧嘩したことなかったですよね」

「・・・そうだね。基本的に君は反抗したりしないから。私がどれだけからかっても怒らなかったもんね」

そう言って赤く腫れた目を私に向けた。

「それは完全に先輩が悪いので自重してください」

「あはは、善処するよ」

私はもう一度彼女を見る。

あの頃から変わってしまった先輩が、そこにいた。

これはまあ、私が変わっただけかもしれない。

だが、寂しさと同時に、今からならもう一度、先輩とうまくやっていける気がしてしまう。

先ほどの数分で私たちの関係は砕け、新たに作られた。

「ねえ、もう一度だけ聞いていい?」

「え?何がですか?」

彼女の言う意味がわからず思わず間抜けな受け答えをしてしまう。

「私のこと、今でも好き?」

「あぁ・・・」

言葉が出ずに詰まる。

私は、この関係を、先ほどまでの関係に終止符をつけた。

壊れたものをグダグダ言っていても仕方あるまい。

「・・・僕の心は、さっきのやり取りで終わりました」

「そっか」

先輩は目を細めてどこか遠くを見るように呟いた。

「だから」

「・・・え?」

それは、人生で二回目の告白。

「今のあなたを、僕は好きになりました」

窓から風が流れた。

「・・・君らしい、臭いセリフだねぇ」

そう言って先ほどとは違う涙を流す。

「一番じゃなくてもいいんです。先輩のできる限り近くにいさせてください」

きっと、この略奪愛は許されることはない。

だからせめて、空席の中で一番近い場所で、この人を見ていたかった。

冷たい空気と同時に頬を撫でたのは

「・・・わかった。私のこと、一番近くで見せてあげる」

細くて白い手と花のような甘い匂いだった。

唇が濡れると私の中で何かが溶ける。

「大丈夫、そんな不安そうな顔しないで」

彼女は優しくて妖艶な笑みで

「私の隣、空席だから」

そう言った先輩の薬指には、何もついていなかった。

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