第3話 妙薬の魔女

「それでそれで? 自分で作ったゴーレム相手に取っ組み合いの喧嘩した挙句、あちこち青痣あおあざこさえたわけ? なにそれ、なにそれっ。笑っちゃうわー! あははははっ!!」

 呪術の訓練で大失敗してからの翌日、私は久しぶりに集落を訪れた知人から盛大に笑われていた。


 体を直角に曲げてお腹を押さえながら今も笑い続けているのは、奇抜なローブを着た黒ずくめの少女だった。布地の少ないローブに反して、無駄に長い袖や裾は蜘蛛の巣のようなレースで飾りつけられている。肩幅より広い三角帽子のつばがゆらゆらと揺れて、まるで帽子が私を笑っているようだった。

「メディ……笑い過ぎ」

「えぇ~? だってだって今の話、笑うところしかないんだものー」


 彼女の名前はメディシアス。こう見えて『妙薬の魔女』と称えられる魔導技術連盟の一級術士だ。

 魔導技術連盟は多くの術士が所属する全世界的な組織である。その土地ごとの地域性はあるものの各支部が巨大な情報網で繋がっており、連盟に登録していない術士はモグリと揶揄やゆされるくらい一般的に認知されている。ちなみに私も連盟には登録しているが、修行中の身でもあり等級はまだ五級術士である。

 メディシアスはその連盟の中でも極めて優秀な術士にのみ与えられる一級術士の資格を有していた。


 加えて彼女は辺境伯の地位を有する貴族でもあり、ここレドンの村も彼女の支配地域である。本来なら、領主貴族であるメディシアスに対して私なんかがこうも親しげに接するのは異常なのだが、他ならぬメディシアス自身が私に『メディ』と愛称で呼ぶことを強要しており、対等な友人としての振る舞いを強引に求めてくるのだ。


 ……強要されている時点で既に対等ではないように思うのだが、なんだかんだとそんな関係を続けていれば、いつの間にか自然と仲の良い友達になっていた。本人曰く、まだまだ若い身であるのに、有能であったばかりに早々はやばやと大人の社会へ組み込まれ、年相応の人付き合いが経験できていないそうだ。

 たまにこうして管轄の集落を回っては、若い『友人』達と談笑するのが楽しみなのだとか。それでも多くの人は恐縮してしまって対等な友人関係を築くのはやはり難しいらしい。そんな中では比較的互いの遠慮がない私と彼女の関係は珍しい部類だった。


「あぁ~……それにしてもひどい顔。引っかき傷まであるじゃない。もっともっと、よく見せて? あ、こんな首の裏まで引っかかれてる。ぷぷっ」

「うそっ、そんなところまで!? あのゴーレムぅうっ……」

 私は昨日の訓練で創り出したゴーレム、レムリカ=エラーのとぼけた顔を思い出して腹が立った。あんな間の抜けた顔して取っ組み合いの喧嘩では、暴れる野良猫のように激しい抵抗をしてきたのだ。


「それにしても可愛い顔が台無しね。ちょっと動かないで。あたしが治してあげましょう。レムリカちゃんは、よいこ、よいこ」

 妙な言い回しをしながら、メディシアスは太腿のベルトに差してあった薬品筒の中身を手の平へ広げると、細く骨ばった指先で私の痣や傷に液状の薬をさらりと塗り付けてくる。ひんやりとした感触が首筋を伝って背中へと垂れ落ちてきた。

「ふゃっ!?」

「くふふっ。そんな声、出さないの。興奮しちゃうでしょう……?」

「ひえぇぇ……」

 頬を紅潮させたなまめかしい表情で顔を寄せてくるメディシアスを前に、私は一本の丸太のごとく硬直してしまった。


 魔女メディシアスの醜聞しゅうぶんの一つに、領地に住むお気に入りの少女をお持ち帰りして、身も心もとろけるような快楽に落として遊ぶのだという噂があった。これまで私にはそのような素振りを見せたことはなかったが、ついに私にもその毒牙を剥いて襲い掛かってきたのかもしれない。


「はいっ、治療終わり! もう、傷跡はないわよ。本当にないんだから。よく見て、よく見て?」

 ささっと、メディシアスはどこからともなく手鏡を取り出してみせる。鏡に映った私の顔からは綺麗に青痣が消えていて、むしろ普段よりも肌の色艶いろつやがあって綺麗なくらいだった。

「あら、なにほうけているの? もしかして、何か期待していた? それとも綺麗になった自分の顔に見惚れているのかしら? そうなのかしら?」

「ち……違うから! ただ、相変わらず凄いなぁって感心していただけで……」


 事実、凄いことではある。並みの医療術士では、ここまで完璧に即効性のある傷薬を作ることはできないだろう。

 『妙薬の魔女』メディシアスは、あらゆる病気を薬で癒すと言われる。近年、各地で『膿疱病毒分子のうほうびょうどくぶんし』という致死性の高い感染症が広まったときも、魔女メディシアスの支配地域においては速やかな感染収束がなされたことは記憶に新しい。

 感染が拡大していた当時、彼女は病をわずらった貧しい領民には無料で薬を配る一方、金持ちには高額の薬代をふっかけていたとか。

 それゆえ富裕層には業突ごうつく張りの魔女などと悪い噂が流れたが、広く一般の領民には慈悲深き聖女などと称えられたそうだ。人心の掌握方法や資金調達の仕方のえげつなさを見れば、どう考えても魔女に違いないのだが。


「あらあら、レムリカちゃん。あたしのことを感心しているだけじゃダメよ。うん、ダメダメね。おばば様の言うことはよく聞いて、お勉強に励んでいるかしら? いずれはあなたが後を継いで、レドンの村を護っていかないといけないのだから」

「うーん……それもなぁ。本当に私でいいのかな? おばば様やメディみたいに、立派に村の皆を導いていけるのかどうか……」

 普段ふざけてばかりのメディシアスから、急にまじめな話を振られてしまうと私は弱い。実力や性格を考えても、私が集落の代表をやっていくなんて想像もつかなかった。

「うんうん。不安なのはわかる、わかるわぁ。でもね、術士としての技量に、村民からの人望も、あなた自身が思っている以上にレムリカちゃんほど次の村長に相応しい人物も他にいないのよ」

「わっ、わかったから! そんな手放しで褒めないで!」


 メディシアスがここまで言うのはもう、お世辞でも何でもないのだろう。それならそれで、期待には応えないと失礼に当たる。もし本当に私が村長の立場になるとしたら、ここら一帯の領主たるメディシアスが直接の上役となるのだから。

「これからしばらくの期間、あたしは領地を離れてお仕事があるけど……大丈夫? 大丈夫よね? おばば様と一緒に村の運営をお願いするわ」

「それは別に……いつものことでしょ?」


 メディシアスは幾つもの集落をまとめる領主だ。一つの村だけ面倒を見ているわけではない。たまにこうして様子を見にやってくるが、よほどのことがなければ村の運営に手を出すことはない。彼女が信頼して任せた代表者が村を管理しているからだ。ここレドンの村ではそれがおばば様で、先代の魔女・・・・・メディシアスの頃から代表を務めており、今代の魔女メディシアスからの信頼もあつい。私はその補佐としておばば様を手伝っているわけだ。


「でもさぁ、本当におばば様の教えを受けているだけでいいのかな?」

「もちろん、それだけではダメ。ダメダメね。自ら色んな経験をして、知見を深めないと――」

 そこまで言いかけたところで、どん、と小さな影が軽くメディシアスの腰辺りにぶつかってくる。メディシアスの真後ろから村の子供達が体当たりを仕掛けていた。

「メディシアス様~」

「魔女様だ~」

 体当たりした勢いのままにぎゅっと抱きついてくる子供達をメディシアスは愛おしそうに抱きしめ返す。

「まあまあ、可愛いこと。くふふっ、みんな元気にしていたかしら? 病気になった子はいない?」

「平気だよー!」

「うちのお父さん、風邪ひいたけど魔女様のお薬ですぐによくなった!」

 メディシアスはあちこちの村で病気の村人を診て回り、怪我や病気によく効く薬を配っていることもあって、村の子供達とも面識があり好かれている。領地の経営も忙しいだろうに、こうしたこまめな活動が領民の心をうまく掴んでいた。


 メディシアスが子供達に囲まれたついでのように、私の周りにも数人の子供が集まってきた。

「レムリカお姉ちゃん、今日もお仕事なの?」

「たまには俺らと遊べー!」

「うぉふっ! うぉふ!」

「んんなぁ~……。なぁなぁ~」

 中には犬猫も紛れ込んでいたが、私は彼らの頭を分け隔てなく撫でまわし、適当に戯れの相手をしてやる。犬は私の周囲をぐるぐると走り回り、猫は足元をくすぐるように擦り寄ってきた。

「ああ……はいはい……。元気だねぇ、君たちは……」

 仕方なしに相手する私を見て、メディシアスがケラケラと笑っている。

「レムリカちゃんも好かれているわね! いいわ、いいわ。それこそ長の資質というものよ」

「メディほどじゃないけどね」

 いつの間にか大人達も集まってきて、大勢に囲まれているメディシアス。数人の子供と犬猫にまとわりつかれている程度の私とは比較にならない。皆、メディシアスのことが大好きなのだ。私も、あんなふうに大勢の人から好かれる人物に、いつかなれるのだろうか?


 ぼんやりと将来のことを考えていたら、不意に日の光を遮る大きな影が私の隣に立った。

「おう、レムリカ嬢ちゃん。魔女殿の付き添いか?」

 筋肉質の巨躯きょくに、厳つい顔の中年男性。村で唯一の鍛冶屋を営む親方だった。

「付き添いっていうか、お喋りに付き合わされていただけですけど……」

「がははっ。そりゃあ、お勤めご苦労なこった。……ああ、そういやこの前はうちの店の帳簿、確認してくれてありがとな。ここ半年の取引分まで整理してくれて助かったぜ」

「まあ、おばば様から回されたお仕事でしたから。本当は自分でやらなきゃダメなんですよ? せめて、お店で働いている人の誰かが管理するようにしないと」

「たはは……こりゃ耳が痛い。うちの連中ときたら、どいつもこいつも文字や数字に弱くてな。ま、俺もそうなんだが……。レムリカ嬢ちゃんがいてくれて本当、助かったわ。次もまた頼まぁ!」


 豪快に笑いながら鍛冶屋の親方は去っていった。親方はおばば様も認める鍛冶の腕前なのだが、毎年毎年、店の帳簿の整理を頼みに来る。それなりの代金を支払ってのことだからおばば様も仕方なく引き受けているが、仕事を回されるのは私だ。

 紙片に走り書きされた、蚯蚓みみずがのたくったような字を解読しながら帳簿をまとめるのは非常に根気のいる作業だった。


「おや、レムリカちゃん。今日は魔女様と一緒にいたのかい? おばば様のところにはこれから戻るんだろう? ついでに、これ持っていてくれないかね」

 鍛冶屋の親方が去ったと思ったら、今度はまた別の人に声をかけられる。メディシアスを囲んでいた大人の一人、私もよく知っている近所のおばさんが何やら布のかけられた籠を手渡してきた。

「これは?」

 おばば様への言伝ことづてなどは普段から色んな人に頼まれるので、いきなり何かを手渡されてもあまり驚かない。中身はちゃんと確認するし、渡した人が誰かもしっかり覚えておく。

 小さな集落なので村の人は全員が顔見知りだが、あまりにも距離感が近すぎて誰に何を頼まれたか、混乱することはたまにあるからだ。半端な言伝をするとおばば様に怒られるので、細かいようだがこの辺はきっちりするように癖がついていた。


「うちの店の新作、惣菜パン。中に山菜とかチーズが入っているからね、美味しいよ。あまり日持ちはしないから、明日の朝までには食べておくれ。感想が聞きたいって、おばば様に伝えてちょうだい。もちろん、レムリカちゃんの意見も聞きたいわ。最近の若い子がどういうものを好むのか――」

「あ、はい。わかりました。おばば様にも伝えておきますし、私も食べたら改めて感想を伝えに来ますね」

 話が長くなりそうだ、と思った私はすかさず言葉を挟んで会話をまとめてしまう。パン屋のおばさんは話をまとめられてきょとんとした表情になったが、すぐ笑顔に変わると私の肩を軽く叩いて満足そうに頷いた。

「レムリカちゃんはしっかり者ね。でも、そんなまじめに感想考えなくてもいいのよ。おばば様にはいつもお世話になっているし、レムリカちゃんもお手伝いしているんでしょ? これは差し入れだと思ってね」

 そういうとおばさんは再びメディシアスを囲む大人達の群れに戻っていった。


 何とはなしにそちらへ視線を送ると、ずっとこちらを見ていたのかメディシアスが私に向けてニヤリと笑いかけてきた。

 なんだか馬鹿にされたような気もするが、いつもあんな調子なのでその真意は読み取れない。どうも私と、近所のおじさん、おばさんとのやり取りを見て笑っている様子だが、いったい何がそんなに面白かったのだろうか?

 釈然としない思いを抱えながら、私はおばば様の家へと向かうのだった。

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