第7話

Cap006


 尋常では無い緊急車両のサイレンが鳴り響く中。お茶ノ水教授は、まるで他人事のようにお茶を啜っていた。

「で、誰だっけ?」

「天馬です。天馬年郎と言います。今日から、先生のゼミでお世話になります」

 僕が、そう言うと、教授はお茶を啜りながら、何かを思い出すように目を斜め上に向けた。

「あぁ。お前さんが新しい雑用係か…そうか、そうか。そうだったわい。選んだ、選んだ」

 

 教授は、どうも変な事を言う。


 教授のゼミは、不人気も不人気。志望者数最下位にして、その志望者はゼロの筈だった。なのに「選んだ」とは、解せぬ言葉である。

「あのぅ。実は、失礼なんですが僕は、先生のゼミを志望していなくて…」

「博士!先生ではない。博士と呼べ!知っとるわい。ワシのゼミは万年、志望者ゼロ。でも、人手はいるんでな。学長に頼んで、優先的に逆指名させてもらったんじゃ。学長に感謝せねば」


 感謝せねばいかん相手は、先程、学長室共々、吹っ飛んだはずである。

そんな感謝の表し方があるとはつゆ知らず。僕は、どうにか、この博士たる老人が捕まらないものかと考えた。

「学長とは、昔からのマブダチでな。いつも2人で悪戯ばかりしたもんじゃ」

「さっき学長室を爆破したようですけど、大丈夫なんですか?そのマブダチ…いや、学長は」

「ん?大丈夫、大丈夫。あれ如きで死ぬタマではないわ…たぶん」

 “たぶん”と語尾に付ける辺り、自信は無いらしい。


“プルルルルッ”


 電話が鳴る。

しかし、一向に博士は電話に出る仕草を見せなかった。

「出なくていいんですか?」

「…出たら負けなような気がする」


“プルルルルッ”

「鳴り続けてますけど…」

「出てはならん電話もあると言うに!」


“プルッ…ジー、ガーッ”

電話の呼び出しが収まったかと思うと、直ぐに再度、呼び出しが鳴る。そして、今度は、Faxが忙しく動き始めた。

『殺す気か!ボケ〜!』

『電話に出ろ!腐れジジイ!』

『絶対に許さんからな!死に損ないめ!』

『寄生虫が!ぶっ殺すぞ!』

次々と悪態がFaxから吐き出されていく。


「だいぶ怒ってらっしゃいますけど」

「そのようじゃな。まぁ、生きてる証拠ではあるが」

「謝った方がいいんじゃないですか?」

「…大丈夫。もう少しで紙が切れる」


 その後、長らく悪態は吐き出され続けたが、渋々、学長に電話した博士の電話口でのコソコソ話以降、それはピタリと止まり、あれ程の大爆発が起きた大学についても、数時間後のニュースでは、ガス漏れによる爆発事故として報じられていた。


 博士は、学長の弱みを握っている。それもガットリとである。


 僕は、そう確信した。


「で、博士。なんで、僕なんですか?」

「ん?それは秘密じゃ」

「はぁ」

 大体にして、秘密というのは、当事者にとって察しがつくものである。

僕には、何となく自分が選ばれた理由が分かっていた。

「名前ですか?」

「えっ、何で分かった?誰にも言ってないのに」

 博士はお茶ノ水。僕は天馬である。言うまでもなく、アトムである。

「別に良いんですけど、それはそれで。で、ここのゼミは、一体何をするんですか?」

「おっ、そこ聞きたい?」

「いや、それが全てですけど」

「しゃーないのぅ。見してやる。付いてまいれ」

そう言うと、博士は立ち上がると小屋の奥の扉を開けた。


 扉の向こうは、階段のようだった。

しかも、その階段は下に続いている。僕は、博士に誘われ博士の後に続き、その階段を下りた。階段を下りると、そこは別世界だった。あの古ぼけた小屋の中とは思えない無機質で近代的な空間が広がっている。それは明らかに小屋の敷地よりも広く、僕は『なるほど、あの広い空き地の地下には、この空間が広がっていた』と気が付いた。


「こっちは、農業スペースじゃ。上を見てみぃ」

博士の言葉に僕は、その地下の天井を見上げた。見上げた先には円形の模様が無数にあり、円形の内側は黒?いや、よく見るとコゲ茶色になっていた。

「この穴から土へ栄養を送って根にピンポイントじゃ、ゴッソリと作物を育てる。まぁ、今は、準備期間中で何も育てちゃおらんが」

「育てるって、じゃ、あのだだっ広いグランドで何か育てるんですか?」

「勿の論じゃ。この夏には、あそこは緑一杯になるぞ。まぁ、そんな事は、正直、どうでも良いんじゃがな。ワシ、農家じゃ無いし」


 そうだった。そうだった。僕は経済学部で農学部ではない。

それに博士も農学博士ではない。けれど、あまりのスケール。あまりの広大さである。

「じゃ、何で?」

「何でもな。やりたい事をやるなら、しなきゃならん事がある。ワシの場合。後者は、資金集めで、前者はこいつじゃ!」

博士は地下を進み、開けた場所に置かれたテーブルと、その上に置かれた何かを覆うベールの前で立ち止まると、勢いよく、それを捲り上げた。


 それは、まるで新車のような光沢の中にあって、何とも滑らかなフォルム。

機械だが、限りなく機械ではない質感と清らかな表情を併せ持っていた。


「…」

「どうじゃ、びっくりして声も出んか?」

「こっ、これは…」

「そう!これは、ワシの汗と涙の結晶!未来型猫型ロボット!ドラえもんじゃ〜!!」


どん滑りの中、博士のドヤ顔は置いておいて。これは正真正銘、アトムである。

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