第5話

Cap004


 僕が、その建物に辿り着く間に、僕は、僕のこれから所属するゼミと、そのゼミの主である教授について話をしなければいけない。

あのピロティでの啓示(掲示)があった日。僕は意気消沈し、家に帰った。

母親から朝、出かけに頼まれたゴミ出しをすっぽかした僕に対する小言が、どこか遠くから聞こえてきたような、聞こえていないような。そんな気がしたが、僕はお構いなく、一切、外部からの情報を受け入れない虚無感を片脇に抱え、自分の部屋に入った。


 1時間ほど、ふて寝する。


 しかし、どうも例のゼミの事が気になって寝付けない。

僕は、ベッドから起き上がると、確か机の引き出しに仕舞ったはずのガイダンスの冊子を取り出し、ページを捲った。

 

 各ページには、二つずつゼミの紹介文と募集人員。担当教授の顔写真が載っていた。言い忘れていたが、僕は経済学部の経営学科に在籍している。

 特に、何がしたくて入った学部ではない。

ただ、高校から大学という流れに乗って、大学受験を受けるタイミングがやって来たので、未来を何も見据えぬ僕は、自分の学力で入れるであろう場所を見繕い、あるだけの弾を撃ち尽くした。撃ち尽くした弾の中で、全弾命中はしなかったので、当たった弾の中から1番最寄りの大学を選んだ。それが、ここである。


 僕は、ペラペラと案内の冊子を捲る。

そもそも、希望を出す際に見向きもしなかったゼミの紹介欄。どこに載っていたかも覚えていない。難しい顔をした教授の写真と小難しい説明の紹介文が続く。


 噂だけは嫌でも情報として入ってくるので、どの教授が優しい。

この場合、優しいというのは、『性格が丸いとか温厚』という意味ではなく、『容易に単位をくれる』か。違う言葉で言えば、『学生に興味がない』『学生達に希望を抱いていない』か。という意味に他ならない。

 基本、総合大学。とりわけ、自分の意志なく入れるような大学の学生というのは、勉強に興味がない。何となく入り、何となく出て、就職の際の履歴書の経歴に1行付け加える為だけの通過儀礼と言えば、他の学生達に怒られるかもしれないが、相応にして、そうである。

 そういうものを知っている教授達にとってゼミなどというのは、至極、面倒なものだ。出来るだけ手を煩わしたくない教授は、俗に言う『優しい先生』に、成り下がる。逆に、やたらと厳しく『ゼミを休んだ時には単位は無い』という教授は、この大学のこの学生達に何を求めているのか。未だ謎である。


 然るに、僕の第1志望〜第5志望のゼミは、鉄壁の『優しい先生』と噂される教授陣で固められていた。まさに鉄壁の布陣である。特に第1希望の教授に於いては、ただ1度、ゼミに出席しただけで単位がもらえた。卒論は、数ページの論文というよりも感想文で問題なし。と、定評のある神様のような存在だった。そりゃ、競争倍率も当然、自然と高くなる。

 大学生というのは、遊びにバイトに恋愛に、忙しいのだ。勉強に割く時間は短ければ、短い程いい。そんな没落的な学生にとって彼は、意中の人に他ならない。


 ページを読み進めていく。

中々、辿り着けない。結局、僕の手が止まったのは、冊子の最後のページだった。


“ゼミ名:現在経営における家内制手工業”

そりゃ、人気も無いわけである。

この御時世、何故に家内制手工業という言葉が出てくるのか。

家内制手工業・工場制機械工業。中学か高校の世界史で、産業革命か何かの折に出てきて以来、とんとご無沙汰なワードである。

“定員:若干名“

「バイトか!?」

若干名という言葉に、僕はついツッコミを入れてしまった。


 若干名という言葉は、ズル賢いワードである。

得てして、それを使う側の希望は、ごく少数。1人ないし、2人である。がしかし、そう書くと、何とも狭き門に見えるし、消極的に取られかねない。具体的な数字は決まっていても、それを教えたくない側の最大限のカモフラージュである。

 ちなみに金銭に対しては、“応相談”が相場であるが、相談したいのは、その言葉を使った側にある。


“担当教授:お茶ノ水教授(経済学部名誉教授)”

「…アトムかよ」

そう言わざる得ない。

 紹介文には、それ以上の情報はなかった。

他のゼミの紹介文には、その内容と教授のメッセージが長々と綴られていたのに比べ、この短略さ。そして、何よりも、その横の写真が酷かった。他の教授陣の写真は学会の紹介にも使われるような枠一杯の顔写真なのに対し、お茶ノ水教授の写真は違っていた。


「何故に集合写真…何故に町内熱海旅行…」


 まさに、前途多難である。

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