デビルズ・ウォー

宮崎 ソウ

復興

第1話 戦争の傷跡とさようなら


 私は悪夢を見ていた。


 これは本当に夢なのか、と隣に立つ自分自身に確かめた。そうだ、と隣の私は頷いた。赤髪で灰色の濁った瞳はまさに私を鏡で映したかのようで、私を毎日虐待していた両親にそっくりだ。苛立ちが募る。世界の平和を守るなんて言っていた過去の自分自身が嘘のようで、今ではアサシンとして戦時中以外でも人を殺すようになった。何が世界平和だ、馬鹿馬鹿しい。だから私の目は濁り、人間性を失っていくのだ。目的はただ一つ。リーダーの命令で人を殺していく。それだけしかできなくなっていた。


 私はもう一人の私にそうか、と言い、私は赤い満月が夜空を覆っている光景を眺めた。白い花びらが舞う花畑で、自分と共に絶望を見ていた時の気持ちは心臓を握り潰されたような絶望感に支配されていた。膝から地面に崩れ落ち、一枚の赤い花びらが私の左手に滑り込んだ。その花びらはどんどんと液体化し、私の左の手の平を真っ赤に染め上げた。私は大声で悲鳴を上げた。


「アーク! 起きるんだ!」


 外からの声で私は目覚めた。すぐさま左を向くと、包帯でぐるぐる巻きにされた左腕が赤く染まっていた。あの赤い花びらのせいかと思うほどに。


「アーク、もうこれ以上の回復は見込めないぞ」


 そう言うのは私が所属している集団のリーダー格であるテオだった。側で見守っていた彼は私の左腕を覆う包帯を丁寧に剥がし、傷口がよく見えるように腕を伸ばして台に乗せた。中途半端に壊死した部分が痛む。


 人間と亜人族による第一次世界大戦で負った手の甲にできた傷口は完全に壊死して膿と血を流し、黒ずんでいた。その黒ずみは指先、それから二の腕への方へと確実に蝕んでいる。これは第一次世界大戦の終戦が近い時に受けた傷だ。数人のアサシンを相手にしている時に毒塗りナイフが手の甲に突き刺さったのだった。解毒こそできたが、傷口がこうも悪化するとは私自身、思ってもよらなかった。


「もう切断しなければお前の命も危ぶまれる。そろそろ覚悟を決めてくれないか?」


 何度も聞いた言葉。結局勝ち負けがつかなかった第一次大戦で負った傷に細菌が入り込み、このざまだ。私は左腕切断を決意できないまま苦しんでいる。相棒だったレストは戦争中に持病により急死し、まさに私はどん底に叩き落とされていた。レストも失い、左腕も失うことになるなんてそんなことはごめんだ。


「切断以外、方法はないのか」私は恐る恐る問いかける。


「ない」傷の様子を確認しながらテオは即答した。「すぐ準備にとりかかる。お前は最後の腕を眺めておくんだな」


 そう言い捨ててテオは医務室から出ていった。


 その入れ替わりに本来は両手で持つような大斧を片手で担いだ長身の男が医務室に足を踏み入れて私の側へやって来た。いつ見てもゾクッとする赤い瞳は殺意に満ち溢れていて、その瞳が藍色の髪の毛から覗いているこの男、セロ。悪い噂も絶えない、我々の中で最も危険人物と言えよう。まさかセロが私の腕を落とすつもりか? 余計なところもまとめて落としてしまいそうで身震いをする。


「よお。それ、今日切るんだろ?」


「仕方なく、だ」


「俺が一刀両断にしてやるから心配無用だ。痛みで失神するなよ」


「余計なお世話だ」


 私はセロに背を向けて傷口を見た。これから何が起こるか、とにかく恐ろしかったからだ。私の腕を切り落とすのがそんなに楽しみなのだろうか。彼の口角は少し上がっていて薄ら笑いを浮かべている。


「アーク、始めるぞ」


  医務室に戻って来たテオは他に三名ほど連れて私の身体を押さえつけた。私とうまが合わないヨサクと美人で有名な妹のアスカ。残りの一人は見たことのない顔の女だったが、今はそれどころではない。私は押さえられることに反抗的になり、今にも意思に反して暴れ出しそうだった。


「ヒーラー、準備」


「はい」


 新顔の女が呪文の詠唱を始め、私の左肩付近に緑色の魔法陣が重なって出現する。それはクルクルと周り、一瞬で私は上級魔法だと察した。テオは一体どこからこんな優秀なヒーラーを連れてきたのだろうか。いや、今はそれどころではない。


「腕が鳴るぜ。悪いな、アーク。お前のためだ」


 セロは柄を握り直し、大斧を大きく振り上げ、力任せに思い切り振り下ろした。


 バン! と、台に大斧の刃がめり込んだ瞬間、衝撃と激痛に私は叫んだ。飛び散る血液は女が出現させている魔法陣が吸い込んでいき、切断面もものすごいスピードで皮膚が形成されていく。ヒーラーとしては上級者かもしれないが、痛みは完全には取れないようだ。


 木製の台が私から引き離されていく。真っ直ぐに切断された白く若干透明な骨や真っ赤な筋肉、その上に重なる脂肪が丸見えになった私の腕。じっと観察しているとテオが指を鳴らすと台ごと腕は燃えてしまい、一瞬にして灰と化した。


 痛みがなくなるまで回復魔法を受け続け、良い頃合いで新しい真っ白な包帯を巻かれて呆気なく処置は完了した。


「これからお前は義手の生活になる。もう出来上がっているから、今から持ってきてすぐに装着しよう。ではな。少し休め」


 新顔だけが残り、テオと他の者たちは全員医務室から去って行ってしまった。しん、と詠唱の声だけが残る医務室の居心地は悪い。人見知りの私としては知らない人物と二人きりにされると困るのだ。


「お前は誰だ」


 強く質問を投げ付けたにも関わらず、女はニコッと微笑んで答えた。


「あなたの新しい相棒よ」


「はあ?」


 私の相棒が女だって? 考えられなかった。


 ヨサクの相棒も女だが血の繋がった妹だし、そこは気にならない。だが、今までずっと男が相棒だった私にとって女が新たな相棒になることは違和感でしかならない。しかもヒーラーとアサシンの私とでは相性も良くないだろうに。テオは一体何を考えてヒーラーの女を私に寄越したんだろうか。決して私はこの女を相棒として認めない、そう心に決めた瞬間だった。


「それにしてもあなたの腕の状態、酷かったわね。どうしてあそこまで放置していたの?」


 詠唱が続けられる中、私は私の中だけで沈黙した。まさか腕が惜しかったなんて口が裂けても言えない。そんな弱音をこの女にもこぼしたくなかった。真っ直ぐな金色の瞳はそれらを見通しているかのようだし、橙色の鎖骨まである頭髪はアサシンの私にとって太陽のように眩しい。私はこの女に更に苦手意識を持ってしまった。


「特に理由はない」


 冷たくあしらうように言い捨てた。早く医務室からいなくなってほしかった。


「早く出て行けよ!」


 私はベッドから上半身を起こし、怒鳴りつけた。そうしてでも出て行って欲しかったからだ。だが、女は動揺しないどころかずっと冷静だ。


「それは難しいお願いね。相棒として、ヒーラーとしてあなたの様子を見ていなきゃいけないのよ。このまま詠唱を続けます」


 それから詠唱の声だけが医務室に響いた。私は口を閉じて沈黙したが、人の気配がある場では本当に苦手だ。ただ、なんだか左腕の切断部分は暖かいし、心地良いものだから眠気が襲ってきた。必死で瞼を開けようとするも鉛のように重く、いつの間にかウトウトとうたた寝してしまっていたところ、医務室にやって来た足音でハッと眠気が飛んだ。


「テオか」


「これがお前がこれから使うことになる義手だ。ジェス、もういいぞ」


「はい」


 ジェスと呼ばれた女は詠唱を辞め、テオは私の失われた四肢の一つに左腕を与えた。グッと差し込む際に鋭い痛みを感じたが、今までの腕と変わらないほどにフィットしたことに驚愕した。いつの間に寸法を測っていたのだろうか。


「動かしてみろ」


 そう言われたので私は慣れない義手を動かしてみた。指先、手首、肘、と順番に動かしてみる。一つわかったのはとても完璧な義手だということだ。繊細な指の動き、手首も硬くないし、肘の曲がり滑らかで良い。これが用意されていると最初から知っていれば、あんな状態になってしまった生身の腕に執着することもなかったろうに。


「これは素晴らしいな。動きが右腕とそう変わりない」


「最新の義手だからな、そうだろう。あと、ジェスにも感謝することだ。ここまで優秀なヒーラーはそうそういない。ただのヒーラーであればお前を出血多量でショック死させるところだったんだからな」


「それについては感謝するが、相棒としては認めない」


 私は頑なにジェスという女が相棒の後釜に相応しいとは思っていなかった。最も引っかかるのはレストの存在だ。戦時中にレストを看取ってやれなかった罪悪感から、もう私は相棒というものと組まないと決めた。失うのが怖かった。失って傷付くのが自分だから嫌だった。そんな子供じみた理由が通るかはわからないが、とにかく私はテオに反発した。


「アーク、文句を言うんじゃない。我が一団も人が多いわけじゃないのはわかっているだろう? 我慢して、これからすぐにでも街の復旧を手伝ってくれ。終戦直後で人手が足りん。ジェスはまた別の負傷者の治療に当たる。ほら、起きろ」


 無理矢理ベッドから降ろされ私は地に足をつけたが、二週間近くは寝たきりだったので足がよろけて床にへたり込んでしまった。


「大丈夫?」


 先に手を差し伸べてきたのはジェスだった。しかし、私はその手を振り払い、ベッドにしがみつきながら自力で立って見せた。悲しそうな表情を浮かべるジェス。だが、そんなもの私にはどうでもよかった。新しい相棒だからといってそう簡単に受け入れられるはずがない。この女がレストの代わりになるはずがない。そう信じきっていたからだ。


「仕方ない、行くか」


 私は独り言を呟いて一歩を踏み出そうとした時、大きな地震が発生した。横揺れの大きな地震。またか、とテオは悪態をつく。


「もうユグドラシルが限界なんだろうな」


 テオが言うユグドラシルとは、世界を支え、安定させている聖樹ユグドラシルのことだ。老化した魂を何度も破壊、新たな魂を創造して先祖たちは世界そのものを守ってきた。が、最近になってまた老化が始まってきたと小耳に挟むようになった。この地震が老化が開始しているその証拠である。しかも、魂を創造する資料などは古代語で記されており、今やその古代語は失われつつある。資料だけあっても解読できなければ意味を成さない紙の束でしかなかった。


「ならば古代語を解読して、正規の手順でまたユグドラシルの魂を創造すればいいじゃないか」


「それが……」一旦口を閉ざしたテオ。「今回の戦争で大図書館の一部が燃えて、ユグドラシルの魂を創造する手順が書かれた書物が失われたらしいんだ」


「なんだって? それじゃあもう……」


 テオは頷く。「俺たちは戦争に明け暮れながら世界の崩壊を待つしかないかもしれないってことさ」一息ついて、「円卓会議も元に戻るかわからない中、世界の死を待つか、あがき続けるかのどちらかだ」


「私はあがくぞ。絶対どこかにまだ手順が描かれた何かが残っているはずだ」


 私は希望を失っていなかった。戦争ばかりの人生なんでごめんだった。


 聖樹ユグドラシルはこの世界を創造したものであり、神的存在に近い。しかし、永遠の命を持たないユグドラシルは先祖たちが代々とある儀式を行ってその命を今の時代まで繋げてきた。とはいえ、老化がかなり進行している今現在、毎日起こり続ける崩壊の音を聞きながら私たちは今の今まで戦争を繰り広げていた。人間対亜人族の無意味な争い。戦争の原因はどちらかがユグドラシルの外部からの侵入防衛システムを解除へ向かうかどうか、というくだらない内容だったらしい。らしい、と言うのも、円卓会議に出席するのは我が一団ではテオだけだからだ。だからいつも円卓会議の内容はテオから聞かせられるしか方法がない。


 戦争が決定した時、私は斥候兵として人間側、亜人族側どちらの偵察も行わなければならなかった。エルフ、ドワーフ、そして天空に住むと言われるレンドゥーリ。レンドゥーリこそ偵察に向かうことは困難だったが、我ながら良い働きをしたと思っている。


 そうして始まった第一次大戦。私の相棒は持病の悪化で参戦できなかったため、私一人で亜人族を殺すだけ殺した。良心などいらない。闇に潜み、背後から首を掻っ切る。そして、私はエルフの暗殺部隊に運悪く遭遇してしまった。一人での対処を余儀なくされ、命だけは助かったものの左腕に深い傷を負ってしまった。それが今回、切断することになってしまった傷である。動脈が切れてしまっていたので、必死に圧迫止血しながら一団の拠点に駆け足で戻った記憶は微かに残っていた。


「とにもかくにもだ」テオは私とジェスに向けていた視線を医務室の外に流した。「まずは街の復興をせねばならん。お前たちも手伝ってこい」


「了解」


 私は一人でさっさと行こうとすると、テオに義手を掴まれた。


「二人一組の行動が鉄則だ。わかったか?」


 危うく舌打ちするところだった。私がこの女とタッグを組むだって? 確かに腕の処置の時の恩はある。だがそれだけだ。どうにも気に食わない。


 今にも吐きそうな悪態を飲み込み、私は気が重いままジェスの腕を強引に掴み、しのごの言わさず連れて医務室を出た。

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