第3話


 第三話



「こ、これに向かって話せばいいのか……?」

「ああ、存分に彼女への想いを語ってくれ」


 時を駆け戻り、現代の港町リンデ。サウンド・オーブの見慣れない形状に戸惑うナレクに、オレはひらひらと手を振って頷いた。堂々とさえしていれば、現代の人間から見れば得体えたいの知れない代物しろものでも、意外となんとか押し通せるものだってことは経験則で知っている。


 少しいぶかな表情ながらも、少しすると順調にサウンド・オーブに向かって話し始めたナレクの姿に、オレ達は離れたところで待つことにした。




「リジーさん、無事に見つかると良いな……」

「そこは我らの腕の見せどころでござろう?」


 ポツリと呟きを落としたエイミに、サイラスが元気付けるように言葉を返すが、当のエイミはツンとした表情でそっぽを向いてしまう。


「言っておきますけど、まだ二人のこと許したわけじゃないんだからね。何よ、二人だけで内緒でおいしいもの食べて来ちゃって」

「それは本当に悪かったって……これから行くアクトゥールで、冷たいお菓子でもおごるからさ。それで許してくれよ、な?」


 渋々、と言った感じで頷きながらも『冷たいお菓子』と言うキーワードでエイミが機嫌を持ち直したのを見逃さず、ここぞとばかりに話題を乗り換える。


「それはそうと、昨日はリィカと二人でどんな話をしてたんだ?」


 オレの言葉に二人は顔を見合わせると、リィカが神妙な(多分)面持ちで告げた。




「女性同士ノ秘密、デスので」

「なんだそりゃ……」


 あきれて天を仰ぐオレに、くすくすとエイミが笑う。まぁ、楽しかったみたいで何よりだけどさ、と思いながら一晩で今まで以上に仲を深めたらしい女性陣二人をボンヤリと眺める。


「にゃーん?」


 オレのなんだかんだで複雑な内心を知ってか知らずか、ヴァルヲが気の抜けたように鳴きながらこちらを見上げて来た。


「うん……女の子って、難しいよ。少なくともオレにとっては」


 正直、猫の手も借りたいと言うか、もしかしなくてもご近所猫にモテモテなヴァルヲの方が、オレなんかよりよほど百戦錬磨なんじゃないんだろうか。


「オレ、お前に弟子入りでもした方がいいのかなぁ……」


 しゃがみこんでヴァルヲに問いかけると、どこかじっとりとした猫目で「にゃーん……」と気のない返事がかえる。




「その……アルド、どうしたんだ?猫になんて話しかけて……」


 振り返ると、さっきまでサウンド・オーブに向かって話しかけていたはずのナレクが立っていて、どこか残念なものを見るような視線をオレに向けていた。


「へ?あっ、いや、なんでもないよ……それより、もう良いのか?」

「ああ。どうか、彼女に届けてくれ」

「任せてくれ……とは言っても、リジーが見つかればの話だけどな。何か、分かりやすい特徴とかはあったりするかな」


 オレの問いかけに、ナレクは少し考えて頷いた。


「胸元に、真珠のブローチを着けていたな。お母さんの形見だと言っていた……子供が身に着けるには、繊細せんさいで美しい大人びた品だったから良く覚えている」

「真珠のブローチだな。他には……」




 何かあったりするか、と聞こうとした言葉を叩き切るように、ナレクの声が怒涛どとうの勢いで熱をこめて語り始める。


「それから健康的な小麦色の肌に、長く美しい鳶色とびいろの髪と良く合う深緑しんりょくの瞳が春の息吹いぶきのように鮮やかで、一目見ればこれだと分かる愛らしさが特徴的で、鈴の鳴るような声で打つ相槌あいづちも、いつまでも聞いていたくなるような」

「分かった、分かったから!もう十分だ!」

「……そうか?彼女の魅力を表現するには、まだまだ言い足りないくらいだが」


 さも当然のような表情で言い放つナレクに、オレは心無しかげっそりしながら頷いた。


「お前が彼女に本気だってことは、よくよく分かったよ。それじゃ、行ってくるからな」

「頼んだ……ありがとうな、アルド」




 深々と頭を下げるナレクにひらりと手を振って、オレ達は時空の狭間を駆け抜け、一路2万年前の過去にある水の都・アクトゥールを目指した。恐竜の跋扈ばっこするゾル平原を足早に抜け、途中の火の村ラトルで昼食に激辛スパイシー・ソージャンを掻き込み、ただでさえ辛いそれにトッピングされたバルハラハラペーニョを口いっぱいに頬張って、天にも昇るような辛さで涙目になりながら、今はアクトゥールへと続くティレン湖道で行く手の敵をぎ払いながら駆け抜ける強行軍……つまり、ダメージのほとんどは食事のせいだった。


「ねぇ、湖の中に道があるってロマンチックで素敵だと思うんだけど……」

「……まあ、そうだな」


 実際、揺らめく水面の中に柔らかな緑と花が咲き乱れ、昼下がりの陽光が道行きを照らす湖の街道は夢のように美しい……そこに蔓延はびこる、化け物の存在さえなければ。


「どうしてムキムキの足が生えた魚とか、大っきくて可愛くない鶏の化け物とか、カチカチ歯を鳴らして襲いかかってくる巨大リンゴとか、そういうのばっかりなのよぉおおっ?」


 そう……ここの道の難点は襲い来る敵の見た目が、控えめに言って気持ち悪いことにある。オレはとうの昔に慣れたから気にならないが、初めて訪れた人間にとっては、景色の美しさとあまりにミスマッチな奴らにゲンナリすること間違いなしだろう。




 びちゃっ


「ひぃっ、なんか変な粘液ついたっ……もういや、気持ち悪い!」


 自分の拳と脚だけを頼りに戦う彼女にとっては、叩きつけた時の感触が耐えられないのか、珍しくエイミがを上げて叫ぶ。


「そうでござるか?この魚頭さかなあたま……シーラスなど、焼いて食えばなかなかの」

「サイラスは黙って!」

「理不尽でござる……」


 今のはさすがにサイラスが悪い、と頷きながらエイミを振り返る。


「大丈夫だ。幸いティレン湖道は、そこまで道が複雑じゃないから……ほら、ここを抜ければすぐだぞ。エイミ、うつむいてないで見てみろよ」


 笑って前を指差せば、渋々と顔を上げたエイミの夕焼け色の瞳が、みるみるうちに世界に広がる柔らかな青のきらめきを写し込んで見開かれた。




 一面に見渡せる、海とはまた違う色を持った淡いあおの世界。どんな魔法か、街のそこかしこに浮かぶ水瓶みずがめが小さな無限の滝を生み出し、虹のような水の架け橋が絶えず街中に恵みの水を巡らせている。湖の向こうには鮮やかな夜明けの蒼に帆を染めた、この時代独特の優美な曲線を描く小舟が静かに水面を揺蕩たゆたい、悠久の時の流れを感じさせていた。


「綺麗……」


 ポツリと落とされた言葉が、さらさらとした水の音に溶けて行く。


 真白くけがれない石で彩られた道が縦横無尽に湖面を行き交い、その隙間に浮かぶようにして白と青の均整が取れた色合いの家々が並ぶ。これが2万年前の古代だとは信じられないような、凄まじい技術力と生きた水の力で創り上げられた湖上の都は、今日も色褪せない生命の輝きで誇り高くきらめいていた。


 四大精霊の恵みあればこその豊かな光景に、エイミは魂を抜かれたような溜め息をこぼして、おもむろにしゃがみ込むと足元の水をそっと掬った。指先から零れていく自由な水の透明さに、その瞳がどこか揺らいだように見えて。


「本当に、綺麗……」


 もう一度だけ、そう呟いて。立ち上がってこちらを向いた彼女は、既にいつものエイミに戻っていた。




「とっても素敵な街ね。ここが、サイラスの生きる世界なのね……」

「うむ。生まれ故郷こそ、この国ではないでござるが……第二の故郷と呼んでも良いくらいには、愛着のある場所でござるな」


 正確に言えば、サイラスの家はアクトゥールの地下……リィカのナノコーティングされたボディにすら悪影響を与える、ジメジメした薄気味悪い毒沼の湿地帯にあるのだが、世の中には言わない方が良いこともあるだろう。


「さて、それじゃあ手分けしてリジー探し、と行きたいところだが……まずは約束を果たさなくちゃな」

「約束……?」


 キョトンとした顔で首を傾げるエイミに、オレはニヤリと笑って歩き出す。中央の通りを暫く行けば目当ての宿屋が見えて来て、隣を歩くエイミが訝し気な表情でオレの袖を引いた。


「まだ宿を取るには早いんじゃない?」

「まあ、見てろって」




 オレの言葉にエイミが器用に片眉を上げて、背後のサイラスとリィカを振り返るも、二人とも心得たように黙って頷いている。どうやらオレのサプライズ作戦に、上手く乗ってくれるつもりらしい。宿に入ってカウンターの女性に歩み寄り、エイミに聞こえないように頼み事をすれば、こころよく裏から目当ての包みを取って来てくれる。代金を渡して、小さな包みを三つ受け取って宿を出れば、我慢の限界に達したのかエイミが腰に手を当ててオレの顔を覗き込んだ。非常に迫力があって、別の意味でドキドキするのでやめて欲しいと思う。


「それで?そろそろ説明してくれてもいいんじゃないの」

「そんな顔しないでくれよ。ほら、これ」


 ずいっと包みを差し出せば、反射的に受け取ったエイミが異質な感触に目をみはる。パッと手の平を開いて現れた包みは、若く青々とした棕櫚しゅろの葉で編まれた代物で、水か何かで直前まで冷やしていたのか感触がひんやりと心地よく、少し結露が出始めていた。オレに促されてそろそろと包みをほどく指先が、中身を覗き込んだ瞬間ピタリと止まる。


「わぁ……!」


 中に入っていたのは、棕櫚の緑が美しく透けるガラス玉のような球体だった。更にその中には明るい赤と黄色の小さな球が浮いていて、どこか太陽と月を思わせる。


「アクトゥールの隠れた名物、スフィア・コッタだ……冷たいお菓子をおごるって、約束したろ?」

「……食べて、いいの?」


 もちろん、と頷けば鮮やかなオレンジの瞳は、暫くきらきらとスフィア・コッタを眺めた後で、ようやくそっと小さな天体を唇に運んだ。




「んー……!あまぁい……!」


 とろけるような笑顔で頬を押さえる姿に、サプライズが成功したらしいことを悟り、胸を撫で下ろす。サイラスと頷き合って、オレ達も自分のスフィア・コッタを口にすれば、ぷるぷるとした食感と共にどこか爽やかな果実のような優しい甘みが広がった。ひんやりと口の中を癒やしていく感覚に、そっと歯を立てればカラフルなシュガーバドックの球がはじけて、今度はじわりと甘酸っぱい味が舌の上に広がり、頭の芯がジンと痺れる。


(これ、フィーネにも食べさせてやりたかったな……)


 そんなことをボンヤリと考えて、その思いを溶け落ちた甘さと共に咀嚼そしゃくした瞬間、指先まで凍りつくような冷たさが全身を駆け抜けた。どうして今、こんな瞬間に。


 どうして、こんなにも簡単に、零れ落ちてしまったんだろう。


 誰にも気付かれないよう、震える手で口元を抑えて、じっとこの衝動が過ぎ去るのをひたすらに待つ。




 始まりは、確かにさらわれたフィーネを……何より大切なはずの、オレの妹を、取り返すための旅だった。それがいつの間にか、世界を、時空を救うなんて大層な目的が加わって……そうしていつしか、それが一番の目的にすり替わっていて。


 ほんの少し前まで、オレの世界はバルオキーの村とフィーネと爺ちゃんと、ほんの少しの大切な人達だけで出来ていた。ひどくシンプルで、それだけの幸せを考えていれば良かったはずなのに、歩みを進める程にオレの手の平には分不相応なくらい沢山の『大切』が増えていって、それを天秤にかけて考えるなんて傲慢ごうまんな決断をしなくちゃいけない立場になってしまった。


(そうだ……だから、考えないように、していたのに)


 フィーネは確かに魔獣達に連れ去られた……でも、その元凶の魔獣王をこの手で討ち倒し、今フィーネと共にあるのは昔から仲の良かったアルテナと言う魔獣の女の子で、フィーネが今すぐにどうこうされるような危険な事態にはないはず。そんな風に、自分に言い聞かせて、今は世界の命運だけを考えなくちゃと、それが結果的にフィーネを救うんだと。


 それでも、たった一人きりの、妹なんだ。


 ふとした瞬間に零れ落ちた、だからこそこれが、紛れもないオレの本音なのだと分かる……分かってしまいたくなど、なかった。今のオレは何もかもを掬い上げて、何もかもを手に入れようとしていて、そんな傲慢な子供みたいなやり方で、本当に何もかも失わずに済む明日は来るのか?淡雪のように消えてしまった、あの日のエルジオンのように……次の夜明けが殺されない保証なんて、どこにもないのに。




「アルド、ありがとう」


 その声が、その笑顔が、いつかの追憶に重なった。


 ぐっと現実に引き戻される感覚にまばたきすれば、目の前に花のこぼれるような笑みがあった。


「素敵なサプライズだったわ。いつかちゃんと、お礼をさせてね」

「そんな、お礼なんて……」


 そうだ……エイミ。オレは、いつだって君から受け取ってばかりなんだ。


 あの空の上で、オレを見つけた夕焼け色の瞳が、オレの名前を呼ぶ声が、時を超えて差し出された心が……どれだけの価値をもっているのか、きっと君は知らない。




 預けられる背中がある。振り向けばそこに還るべき場所がある。それが何度失われようと、オレは何度でも取り戻すために時の狭間を駆けることを選ぶだろう。未来の殺された瞬間、伸ばした指先から零れた温もりの感覚を、あの絶望を忘れることは決してない。


(そうだ……最初から、未来を、彼女を諦める選択なんてなかった)


 この笑顔が、瞬く黄昏たそがれがある限り、オレは決して迷ったりなんかしない。この世界の未来に手を伸ばしたことを、後悔だけはしたくない。大切な人に、生きていて欲しい。どうか、笑っていて欲しい。オレの『根っこ』は、そんな風にシンプルなものだけでいい。


「よし」


 なんとなく、自分の中のモヤモヤが片付いたことを確認すると、オレは丸まりかけていた背筋を伸ばしてゆっくりと息を吐き出した。明るく開けた視界に、行き交う人々の活気に満ちた表情が映る。そして目の前には、頼れる仲間達がオレを待ってくれている。


 ゴチャゴチャ考えるのは、もうやめだ。この小さな平穏を、全身で受け止めて、何もかもを覚えておこう。そして今はとにかく、目の前の幸せを取りこぼさないように、がむしゃらに進もう。どっちみち、オレに出来ることなんてそれだけなんだから。


「それじゃ、まずはナレクとの約束を果たさなくちゃな。甘いもので元気も出たことだし、張り切って行こうぜ!」


 ……そう、気合いを入れたまでは、良かった。




「おーい……見つかったか……?」

「全然……」


 手分けして聞き込みを始めたは良いものの、オレ達の収穫はさっぱり上がらなかった、と言うのも。


「条件に当てはまる女性が、多すぎるんでござるよ……っ!」

「正確には、条件の『一部』ね……」


 地域性なのか何なのか、アクトゥールには少し赤みがかった鳶色の髪や、緑色の瞳を持つ女性が多いようだった。


「リィカ、そっちはどうだった?」

「視覚センサーに『真珠のブローチ』デ検索ヲかけ続けていマスが反応多数、処理ガ追い付きマセン……!」

「まぁ、だよなあ……アクトゥールだもんなぁ……」


 ボヤきながら、どうしたもんかと腕組みをして考える。




『リジー……そんな名前の女の子が、昔はいた気がしたけど、今はどうしているのかねえ』

『リジーちゃん?あの子なら確か、親御さんが二人とも亡くなって、親戚に引き取られて行ったって話だけど。その後は、さすがに知らないな。付き合いが深かった訳じゃないし』

『鳶色の髪に、緑の瞳の女性ぃ?んなの腐るほどいるけどよ……そうだな、俺ぁ酒場の姉ちゃんが特に好みだね。これがもう、別嬪べっぴんでさあ!』


 ……最後のは聞いた相手を間違えたワケだが。オレが聞き込みをして回った感じでも、むしろアクトゥールには既に目的の『リジー』はいないのでは、と言う線が濃厚になりつつあった。


「ねえ。リジーって女の子を探してるって、アンタ達のこと?」


 打つ手を失くし、道端みちばたで立ち尽くすオレ達に、そんな声がかけられる。気のない返事をして、のろのろと振り返ったオレは、思わず目を見開いてあんぐりと口を開けた。


「鳶色の髪……」

「深緑ノ瞳……」

「真珠のブローチ!」

「で、ござるなっ!」


 オレ達の勢いに押されて、話しかけて来た『ドンピシャリ』の女性は、表情を引きつらせて後退あとずさった。




「あ、アンタがリジーかっ?」

「まぁ……昔はそう呼ばれてたこともあったけど、それは愛称。本当はリズベットよ」


 そもそも探してる名前が違う可能性もあったのかと、ガックリと肩を落とす。


「その、気になったから来てみたんだけど、なんか私に用事?」

「あっ、ああ……ナレクを知ってるか?バルオキーの、ナレク」


 その名前を口にした瞬間、彼女……『リジー』の表情が変わった。


「っ、なんで……どうしてその名前をっ?もしかして、手紙を受け取ってくれたの?ナレクを知ってるの?彼は元気にしている?」


 ばやに問いかけながら詰め寄ってくる彼女に、今度はオレが後退りながら頷いた。


「幼い頃に結婚の約束を交わしたんだろう?アンタのことをずっと探してて……そうだ、伝言を預かってるんだ。これを、聞いてくれないか」


 なんとか彼女を押し留めて、オレはナレクから預かったサウンド・オーブを再生した。




『リジー、君からの手紙を受け取った。遅くなって、本当に済まない……』


 流れ出したナレクの声に、彼女は息を止めて目を見開いた。震える手にサウンド・オーブをそっと託すと、オレ達は少し離れたところで彼女がナレクからの伝言を聞き終わるのを待った。それはとても静かで、優しい時間だった。


「声変わりして、ちょっと低くなったけど……でも本当に、ナレクの声だわ。夢じゃ、なかったのね……ずっと、何年も探して。私だけじゃ、なかった……」


 涙に濡れた声がそう呟いて、胸元から小さく光る何かを大事そうに取り出した。革紐に通された小さなそれは、ボロボロになった玩具おもちゃの指輪……彼女とナレクが交わした、幼くとも尊い約束の証だった。大切に、抱き締めるようにしてサウンド・オーブを手にした彼女は、オレ達の元にやって来ると深々と頭を下げた。


「ナレクの想いを届けてくれて、本当にありがとう。この恩はどうしたって返し切れないわ……ただ、烏滸おこがましい願いなのは分かってるんだけど、私をナレクの元へ連れて行って欲しいの。私に出来ることなら、なんでもする……どうか、お願いします」

「っちょ、頭なんて下げないでくれ……でも、ナレクのいる場所は、そうやすやすと連れて行けるようなところじゃないんだ。ナレクをこっちに連れてくるのも、そうだけど」


 オレの言葉に、彼女は強い意志を秘めた瞳で口を開いた。




「何か事情があってこっちにナレクが来れないなら、こっちからプロポーズを叩きつけに行ってやるわ。たとえ彼がどこぞの王族だとしたって、引くつもりはない……ううん、どんなに貧しくたって、海の底にいたとしたって、実は正体がカエルなんだとしても、彼以外と結婚するつもりはないの」

「カエルでもでござるか……!」

「話がややこしくなるから、サイラスは黙っててくれ!頼むから!」

「理不尽でござる……」


 何故か目を輝かせて身を乗り出してきたサイラスを押しのけて、オレは彼女の意志の強さに頷いた。


「分かったよ。それなら、真実を教えよう。彼はAD300年……君から見て、2万年後の未来に生きる人間なんだ。信じられないかもしれないけど……」

「いいえ、信じるわ。今まで繋がらなかったことが、ようやく繋がった……見慣れない景色。噛み合わない会話。どこにも存在しない、幻のバルオキー……どうりで見つからない訳ね」


 彼女は目を閉じて考え込んだ後に、何かを心に決めたような表情で頷いた。


「私、行くわ……未来に」

「遠い未来で、たった独りきりで生きていく覚悟はあるのか?それに、自分で言うのもなんだけど、オレ達ってかなり怪しいと思うぞ?未来から来たなんて……」

「彼に会えるなら、何だってするわ。全てを捨てる準備は出来てる……と言うより、失うものなんて私には何もないの。家族もずっと昔に死んじゃったし、いて言うならお世話になってた叔父さんに、ちょっと挨拶あいさつするくらい。だから、大丈夫よ」




 迷いなく言い切った彼女の強さが、ひどく眩しくて。オレはその眩しさに引きずられるようにして、気付けば頷きを返していた。


 その後、彼女についてアクトゥールの奥まった場所にある酒場へと足を向けた。何度かオレも情報収集のために来たことがあるが、情報収集にならないくらいに大抵が閑散としている酒場だ。ガランとしたそこに迷いなく足を踏み入れた彼女は、カウンターでジョッキを磨いていた店主に向かって声を張り上げた。


「叔父さん!私、結婚することになったから!」


 視線を上げて目を丸くした店主は、オレと彼女を見比べて首を傾げる。


「まさか……そこのアンタと?」

「いやいや、オレじゃないよ!彼女の幼馴染で、ちょっと遠くに住んでるんだけど……」

「あぁ、例の!俺はてっきり、リジーの妄想かと思ってたが……本当にいたんだなぁ」


 意外そうに頷く店主の親父に、リジーは怒ったように腕を組んだ。




「だから言ったでしょ、ナレクは本当にいるんだって……まあ、これから改めてプロポーズしに行くんだけどね。とにかく、明日から……多分もう戻って来れないから、よろしく!」

「悪い悪い。別に、明日から来れなくなるのは構わんぞ。何せ、大して客もいないからな!ガッハッハ!」


(良いのか、それで……)


 色々とこの二人のことが心配になりながら、オレはハラハラしながら事の成り行きを見守った。


「そうだ。どうせ結婚するなら、昔ながらのやり方でプロポーズしたらどうなんだ?」


 店主の親父の言葉に、リジーがハッとしたように目を見開き、今度は難しそうな表情で考え込み始めた。


「どんなものなんだ、その昔ながらのプロポーズって?」

「結婚を申し込む人がね、心をこめて特別な花を贈るの。ただ、それがどんな花だったのか忘れちゃって……」


 言い出しっぺである店主の親父の方を見ると、彼はトボけた表情で肩をすくめた。まあ、花に詳しそうな顔には見えない。




「あー……花に関しては、詳しそうな人を知ってるけど」


 曖昧あいまいに濁しつつ、苦笑して考える。


(ちょっと、いや、かなり気が進まないんだよなぁ……でも、背に腹は代えられないし)


 そう思い、オレは今度こそしっかりと頷いた。




「まあ、いいや。そっちにも寄って行ってやるよ」

「いいの?でも、そこまで甘えるのは……」

「俺には結婚っていうの、良く分からないけど……一生に一度のことだもんな。それに、あいつは俺にとっても幼馴染なんだ。二人のために出来ることなら、なんでもするよ」


 オレの言葉に、彼女は大きく頷いて顔を上げた。


「ありがとう。それじゃあ、よろしくお願いします……叔父さんも、今までありがとう」

「おうよ、行って来い。こっちのことは心配すんな」


 ひらひらと手を振る店主に、彼女はくるりと背を向けた。あまりにも淡白な別れに、オレ達の方が振り返りながら扉を閉める。




「……幸せに、なれよ」







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る