第21話 ダンス転倒作戦

 優美な音楽に合わせて、使用人たちがスローステップを踏んでいる。ジュニーはマッコンエルと、トビンはオルランジェと踊っている。

 アルオニア王子を探すと、部屋の隅でグレースと話していた。


「先生と踊るのかな? 良かった」


 ほっと胸を撫で下ろしていると、王子がわたしに気づいたようで、こちらに向かって歩いてきた。

 固まっているわたしに、王子が手を差し出した。


「リルエ、踊ろう」

「でも、わたし、一度も踊ったことがなくて……。どうしたらいいのかわからないので……」

「お姉ちゃん、大丈夫だよ! トビンを見てよ!!」


 ジュニーに声をかけられて、トビンに目をやる。

 トビンは体をくねくねと動かし、さらにはお尻も振って、周囲の笑いを誘っている。

 十歳の男の子らしい元気な動きに、ダンスのパートナーであるオルランジェは涙を流して笑っている。わたしも声を上げて笑った。


「トビンってば、おもしろすぎる! そうだ……。トビンって、そういう子だったな……」


 トビンには我慢させてばかりで、いつの間にかおとなしい子になってしまった。けれど、小さい頃はおふざけ好きのヤンチャな子だった。

 本来の天真爛漫なトビンに戻ったようで涙ぐんでいると、王子がわたしの右手をとった。


「トビンのように、自由にダンスを楽しもう」

「でも……」


 手を掴まれ、部屋の中央に連れていかれる。波が引いていくように、使用人たちが場所を譲る。

 窓の外の闇が、サイドテーブルに置かれたオイルランプを幻想的に浮き上がらせ、蓄音機のホーンからは管弦楽の美しい旋律が流れてくる。

 わたしを見つめる、やさしい瞳の王子様。

 夢を見るのはやめて、現実を見て! 警告音が、頭の中で鳴り響く。


 でも——。王子の体温に触れ、息遣いを感じて、ダンスをするこの時間だって、紛れもない現実。決して夢なんかじゃない……。


「リルエ。僕の肩に手を置いて」


 言われるがままに、左手を王子の肩の上に置く。王子の手がわたしの腰に回され、距離がぐっと縮まる。

 王子のつけている香水が鼻をかすめる。クールな王子に似合う、冷涼感のある香り。けれど残り香は甘くて、わたしを陶酔状態に誘う。

 ゆったりとした音楽に合わせて、体を左右に揺らす。

 スローテンポの音楽が終わり、次に流れてきたのは明るいアップテンポの曲。使用人たちが歓声をあげ、ステップを早めた。体を大きく動かし、情熱的に踊りだすみんなに、わたしは慌ててしまう。

 するとオルランジェが横に来て、わたしの耳元で「派手に転んで!!」と指示をだした。


「どうしよう!」

「リルエ?」

「あの、わたし……」


 もう、どうでもなれっ!!


 強引に体を横に倒して、派手に転ぼうとした。

 なのに、腰に回っている王子の手がそれを許さない。わたしの腰を強く抱きかかえて、転ばせてくれない。

 それならばと、足をよろけさせた。王子は「おっと!」と声を上げると、わたしを抱き寄せた。

 密着する体温。耳元で囁かれる。


「僕とくっつきたくて、わざと転ぼうとしている?」

「ち、違いますっ!!」

「では、僕にかまってほしくて転ぼうとしている?」

「それも違います!!」

「じゃあ、なんでわざと転ぼうとしているの?」


 バレている……。わたしって、演技が下手すぎ。

 楽しそうにクスクスと笑った王子の吐息が耳にかかる。爽やかで甘い香水の香りが鼻をくすぐり、広くて逞しい胸に心臓が早鐘を打つ。

 こんな現実、夢でさえ見たことがなかった。



 ◆◆◆



 ダンス転倒作戦は失敗に終わった。

 ヴェサリスに呼ばれて厨房に入ると、オルランジェとマッコンエルがいた。


「すみません。うまくいかなかったです……」

「いいのよっ!」


 作戦が失敗したにも関わらず、オルランジェは感極まった表情で胸を押さえた。


「グレース先生の見ている前でリルエちゃんを抱きしめるなんて、アル様ってなんて大胆なの!! グレース先生、ポカンとした顔をしていらしたわ。ああ、なんて素敵なんでしょう。恋愛小説よりも、ドキドキしちゃう。このまま突っ走ってちょうだい!」

「あのー、オルランジェさん。何を言っているのですか?」


 マッコンエルがわたしの肩を叩いた。


「俺も、嫌われマニュアルに参加している。オルランジェのダンス転倒作戦は失敗したけれど、次は大丈夫。自信がある」

「え? 次もあるのですか⁉︎」


 マッコンエルは自信満々に、次なる嫌われマニュアルを発表した。

 その内容に、血の気がサーっと引いていく。


「無理です! そんな演技、できません!!」


 マッコンエルから陽気さが消えた。じっとりとした視線と、ウジウジした話し方で責めてくる。


「俺はリルエちゃんのために、マフィンを食べてあげたのになぁ。食べ過ぎて、マフィンのお化けが襲ってくる悪夢まで見たというのに……。一生懸命に嫌われ作戦を考えたのに、リルエちゃんは無視するのかぁ。悲しいなぁ」

「無視はしていないです。あの、わたし……」

「リルエちゃんは、俺のことなんてどうでもいいってわけかぁ」

「そんなことないです! でもわたし、お酒を一度も飲んだことがなくて……」

「オルランジェの転倒作戦はできても、俺の酔っぱらい作戦はできないってわけかぁ。俺、嫌われているのかなぁ?」

「そんなことないです!! わかりました! やります!!」


 突然ネガティブになってしまったマッコンエルを元気づけたくて、嫌われ作戦を受けると、マッコンエルとオルランジェは笑顔でハイタッチをした。


「やったわね! 二人を急接近させちゃうわよ!!」

「リルエちゃん、俺の演技に騙されたな! でも、やると言ったからにはやってもらうよ。どんな酔っ払いさんになるのか、楽しみだ!」

「演技……?」


 動揺していると、ヴェサリスから折り畳んである紙片を渡された。


「酔っ払い作戦が失敗したら、これを読んでください。リルエさんが次にするべきことが書いてあります」

「次もあるんですか⁉︎」

「これで最後です」


 わたしは紙をスカートのポケットにしまうと、オルランジェから飲み物を受け取って、渋々アルオニア王子のいるテラスに向かったのだった。

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