二章 恋人役のお仕事

第8話 三人の協力者

 アルオニア王子の屋敷の使用人にとって、わたしの第一印象は最悪だろう。みすぼらしい身なりをした不審者だと思われているかもしれない。

 なので手持ちの服の中で、一番上等のものを選んだ。といっても、シンプルな麻のワンピースなのだけれど。

 髪をきっちりと結えて、乾燥している唇に保湿クリームを塗る。


「よし! これで大丈夫。今日は屋敷に入れてもらえるはず」


 アルオニア王子を通して、今日屋敷に伺うことは使用人に伝わっているとは思う。それでも不安が募って、緊張してしまう。


 屋敷に着くと、出迎えてくれた使用人が丁寧な応対をしてくれた。


「リルエ様、お待ちしておりました。お話は伺っております。執事のヴェサリスの部屋にご案内します」

「あ、はい。ありがとうございます……」


 前回とはあまりにもかけ離れた対応に、拍子抜けする。おまけに様付けで呼ばれるなんて生まれて初めてのことなので、むず痒い。



 ヴェサリス執事の部屋で、恋人役の契約書を渡されて説明を受ける。


「大切なことが二点あります。一点目は、仕事期間中も終了後も、一切口外しないこと。恋人役の仕事を依頼されたこともそうですし、アルオニア様のプライベートも第三者に話してはなりません」

「はい。分かりました」

「二点目は、お給料は前払いと致します。後から金銭の催促をなさらぬようお願いします」

「それはもちろん! 大丈夫です」

「期間としては、アルオニア様が大学を卒業するまでとなっています。承諾していただけるなら、サインをお願いします」


 ヴェサリスから万年筆を渡される。

 大国エルニシアの王子の恋人役なのだから、契約が複雑だったり、身内調査があったらどうしよう……と身構えていた。

 けれど両親について何も聞かれず、契約内容もシンプルでホッとする。

 不安に思うほど、責任の重い仕事ではないのかもしれない。親密な関係の女性がいるという匂わせ程度の役割であるなら、わたしにでも十分できそうだ。

 そう考え、署名欄にサインをする。

 ヴェサリスは契約書を確認すると、一つ大きく頷いた。


「これで契約は完了となります。では今から、アルオニア様の彼女となっていただきます。よろしくお願いします」

「い、いまからですか⁉︎」


 驚きのあまり、声が裏返ってしまった。

 ヴェサリスは、契約書に記してある雇用期間の部分を指さした。


「日付が今日からになっているでしょう?」

「そうですが、早速始まるとは思っていなくて……」

「不安ですか?」


 素直に頷く。


「契約書には、彼女役としてするべき具体的な行動が書いていないのですが……何をしたらいいのでしょう?」

「気負う必要はありません。世間一般的な恋人のようなことでいいのです」

「それが問題でして……」


 ヴェサリス執事は理知的な目をしているのだけれど、物腰が柔らかく、声に丸みがある。人見知りのわたしでも打ち解けられるぐらい、話しやすい雰囲気がある。

 そのせいで、つい、正直に話してしまう。


「大変に恥ずかしいのですが、その……わたし、誰ともお付き合いをしたことがなくて……。世間一般的な恋人のすることと言われましても、まったくピンとこなくて……」


 ヴェサリスは一瞬言葉に詰まらせたのち、拍子抜けしたように笑い出した。

 

「いや、笑って失礼。そっちの不安でしたか。わたくしはてっきり、アルオニア様を本気で好きになったらどうしようとか、そのような不安かと……」

「そんなだいそれたことありえません! 絶対にないですから! それに、これは仕事だって分かっています。ビジネスパートナーとしてのルールは守ります!」

「そうですか、それは頼もしい限りです」


 ヴェサリスは「リルエさんの不安を解消するに相応しい使用人がいます」と、呼び鈴を鳴らした。



 ヴェサリスの部屋に入ってきたのは、二人の使用人。先日家まで送ってくれた御者のマッコンエルと、ふくよかな体型をした年配の女性。

 ヴェサリスは、彼女の名前はオルランジェで、この屋敷のメイド長だと紹介した。


「リルエさんは、男性との交際経験がないそうです。そのため、アルオニア様の彼女役に抜擢されて戸惑っておられます。ここはわたくしたち三人が全面に協力をし、共に頑張っていくことにしましょう」

「ようし、盛り上げてやるぜっ! なんてたって、アル王子が気に入った女の子なんだから。リルエちゃん、俺らに任せて!!」

「あ、あの、マッコンエルさん。気に入っているとか、そういうわけでは……」


 わたしと王子はただのビジネスパートナーなのに、マッコンエルは誤解している。

 ヴェサリスに助けの目を向けたものの、柔和な笑みを返されただけだった。誤解は、自分で解くしかないらしい。

 

「あの、盛り上げていただかなくても大丈夫です。ただの匂わせ程度の……」

「リルエちゃん、いい考えがあるの! 私たちが恋愛マニュアルを作るってあげるわ。リルエちゃんは、その恋愛マニュアルに従って動けばいいのよ!」

「それ、いいっすね!!」


 オルランジェの提案に、マッコンエルはすぐさま同意した。


「まずは、二人だけの時間を作ることだな。親密度を上げていこうぜっ!」

「だったらアル様の好きなものをリサーチして、一緒に買い物に行ってはどう?」

「一般人の目があるとなぁ。アル王子は目立つから……」

「だったらレストランを貸し切っちゃう?」

「王族とか貴族のデートというよりは、もっと庶民的な感じがいいんじゃないかな? 王子はそういう経験がないから」

「そうだわ、それよ! きゃー!! 王子様が庶民の女の子とお忍びデートする。恋愛小説みたいでときめくわぁ!」


 メイド長であるオルランジェは、わたしの母より年上だ。それなのに、嬉々として黄色い声をあげている様は少女のよう。

 二人のノリについていけず、わたしはうろたえるばかり。

 ヴェサリスは、腹に一物あるような笑みを浮かばせた。


「いいですか、リルエさん。四ヶ月という期間限定の恋人ではありますが、しっかりと仕事をしていただきます。恋人役のプロを目指してください」

「プロだなんて、そんな……。初心者の私にできるはずないです!」

「だからこその恋愛マニュアルです。マニュアル通りに行えばいいのです」


 キッパリと言われてしまうと、気の弱いわたしは言い返すことができない。

 青ざめているわたしを、マッコンエルが励ましてくれた。


「俺ら三人は、アルオニア様に仕えている年月が長いんだ。しかも忠誠心が強く、主人の幸せを心から願っている。リルエちゃんからしたら、アル王子は君に関心のない態度をとっているように見えるかもしれないけれど、本当に無関心だったら、仕事であっても彼女役なんて頼まないよ。だからさ、自信をもって彼女になりきればいいんだ」

「マッコンエルさんにそう言ってもらえると、自信がもてるような気がします」

「リルエちゃんって素直! そうそう、その調子。頑張って!」


 マッコンエルの気のいい笑顔のおかげで、前向きな気持ちになれた。

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